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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
563 「創価学会」とは何か。(5)
牧口と日蓮正宗
2006年7月29日(土)


 創価学会の創立者の牧口にも、それを引き継いでいった戸田・池田にも、 分裂症やパラノイアの症候を思わせるような神がかりな宗教体験はない。この 点がいわゆる新新宗教と大きく異なる。いわゆる教祖はいないのだ。牧口の仏 教への接近はごく普通の信者と変わらない。

 牧口は、創価教育学会創設の2年前1928(昭和5)年(牧口57歳)に、 日蓮正宗の末寺、池袋・常在寺大石講の幹部であった三谷素啓という人物と 出会っている。このときから日蓮正宗の信仰をもつようになったと言われているが、 三谷素啓とはすぐに袂をわかち、創価教育学会発足直後の1931年からは、日蓮正 宗の僧侶であった堀米泰栄から直接日蓮正宗の教義を学ぶようになる。さらに 1936年には、日蓮正宗の法主であった堀日亨(にちこう)を招いて「富士宗学要 集講習会」を開いている。また大石寺でも講習会を開くようになる。

 牧口が日蓮正宗に入信したのは何故だろう。このことについて本人は何も 語っていない。
 牧口には定職がなく経済的に苦しかった時期がある。また入信の前後に家族の 不幸が続いている。1924年には次男を亡くなり、1929年には四男が、翌年には長 男が亡くなっている。いずれも結核であったと推測されている。この貧苦と病苦 の境遇が牧口のこころを日蓮正宗へと導いていったのかもしれない。
 しかし、「貧苦と病苦の境遇」がもとで宗教に傾斜していったのなら、入信する 教団は日蓮正宗に限らないだろう。日蓮正宗を選んだ理由があろう。

 牧口は札幌の北海道尋常師範学校に学んでいる。札幌は、内村鑑三 ・新渡戸稲造などキリスト者を生んだ札幌農学校もあり、キリスト教プロテスタ ントの伝道の拠点であった。牧口自身、「苦学力行の青年期に敬愛し親近した師 友は、大概基督教徒であった」(『創価教育学体系梗概』)と述べている。
 キリスト教に親しんでいた牧口が、貧苦や病苦に瀕した際に日蓮正宗の信仰に 救いを求めたのには次のような時代背景がある。
 その時代に、日蓮宗の元僧侶田中智学が「国柱会」という国家主義の宗教団体 を組織していた。その教団は一世を風靡していて「日蓮主義」が流行していた。 牧口も、1916年頃、鷺谷の国柱会館で催された田中の講演会に何度か参加してい た。しかし、必ずしも田中の主張には全面的に賛同はできなかったようだ。 牧口が国柱会の会員になることはなかったが、こうした時代背景が牧口を日蓮正 宗に向かわせたもう一つの理由と考えられる。

 余談になるが「国柱会」という宗教団体の名を私は宮沢賢治の評伝や研究論文で お目にかかって知っていた。宮沢賢治は両親をも改心させようとした熱心な日蓮宗 信徒だった。一方、賢治は化学に造詣が深く、詩や童話などその作品にはその影響が 濃厚である。賢治の中で科学と宗教がどのように折り合いをつけていたのか、私は 大きな関心を持っている。これを次回のテーマにしようかな、と思っている。

 以上みてきたように牧口が宗教へと傾斜していく素地はたしかにあった。牧口 は創価教育学会の機関誌のなかで、「所詮宗教革命によって心の根底から建て直 さなければ、一切人事の混乱は永久に治すべからず」と述べるようにまでなる。 やがて日蓮正宗の教義をもとに独自の宗教思想として「法罰論」を展開する。
 この法罰論については梅原さんは言及していないので島田さんの解説を引用す る。

 法罰論については、1937年に刊行された『創価教育法の科学的超宗教的実 験証明』という、かなり際どいタイトルがつけられた本のなかで展開されてい る。牧口は、自らの信奉する日蓮仏法には、利的価値、つまりは功徳を生じさ せる力が備わっていることを強調した上で、日蓮仏法を包含して新たに登場す る超宗教には、「制裁的威力」が備わっていなければならないと説いている。 つまり、悪人を罰するくらいの力をもっていない神には、善を保護する力など なく、罰するだけの力があるかどうかを、宗教の価値の基準として用いるべき だというのである。

 要するに、価値のある宗教は、それを信仰する者に利益をもたらし、逆に、 その信仰に逆らう者には罰を下すものでなければならないと考えられたわけで ある。戦後の創価学会は、現世利益の実現を約束し、あわせて法罰論を強調するこ とで、急速に拡大していくことになる。


 ところで創価教育学会はどのくらいの規模の団体だったのだろうか。

1935年(『創価教育学体系梗概』が刊行された年)
 会の顧問には柳田国男をはじめ11人の著名人が名を連ねていたが、牧口を研究 所長とする研究部に所属する教師はわずか三十名だった。

1936年中ごろの時点
 創価教育学会刊行の雑誌(「新教」や「教育創造」)に掲載された名簿によれ ば
顧問12名、特別賛助会員15名、創価教育学研究所員10名、創価教育学研究員 13名、東京正会員22名、地方会員25名。

 牧口は法罰論を「伝家の宝刀」と呼んでいて、それを折伏のための武器とし て折伏による会員増加を図った。会員は漸増して

1939年12月
 麻布の菊水亭で創価教育学会の事実上の第一回総会では数十名が参加。

1940年10月
 九段の軍人会館(現在の九段会館)で第二回総会では全部で300名の参加者。 この総会で、牧口は会長に就任した。

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 コメント
この記事へのコメント
創価学会は真の宗教団体(5)
【私個人のコメント】
生命は不思議ですので神がかりな宗教体験は創価学会以外ではあるかもしれません。また絶大な権力を望む人は利用するでしょう。その姿は異状で悲しむべきことと思いますが、親しい人でないならば漫才を見ているようで思わず爆笑してしまいます。創価学会がたもつ日蓮大聖人の仏法ではそのような体験、思い込みやパラノイア(妄想)は全く無関係で、生活上の体験結果が重要です。大聖人の教義をたもつ創価学会の教祖は日蓮大聖人じゃないですか。聖教新聞をお読み下さい。そしてごく普通の人でも南無妙法蓮華経をたもつ事が出来るということです。
不幸によって宗教に入ることは当然あるでしょう。
病によりて道心はをこり候なり」(日蓮大聖人御書全集・妙心尼御前御返事・1480ページ1行目)
牧口先生が時代背景によって日蓮大聖人の仏法に向かう期間が短縮されたことはあるでしょうが、教義を完全理解して入信したとというよりも日蓮大聖人の御書の内容が心の琴線に触れたと思います。
種種の大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(日蓮大聖人御書全集・開目抄下・232ページ4行目)
我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教えしかども疑ををこして皆すてけん。つたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし。」(日蓮大聖人御書全集・開目抄下・234ページ.7行目)など心の琴線に触れる内容は枚挙に暇がありません。
次に第二祖日興上人の流れをくむ団体ということで日蓮正宗を選んだと思います。
日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫主と仰ぐ可き者なり」(日蓮大聖人御書全集・百六箇抄・869ページ10行目)
法罰論においては、牧口先生の独創ではありませんし、功徳も罰も下すのではなく、その人自身からにじみ出てくるものです。
賛する者は福を安明に積み、謗ずる者は罪を無間に開く」(日蓮大聖人御書全集書・曾谷入道等許御書・1037ページ7行目)
2007/11/13(火) 16:47 | URL | すすき #-[ 編集]
公明党市議の犯罪例
飲酒運転で2人はねる=公明市議の創価学会員を逮捕

【創価】公明党市議はモラルが欠如した犯罪者!!酒に酔い2人はねる=公明市議を逮捕(東京)

酒に酔って車を運転し、高校生2人をはねたとして、 警視庁田無署は19日までに、東京都西東京市芝久保町、 同市市議(公明)の衣袋一夫容疑者(58)を業務上過 失致傷などの現行犯で逮捕した。
ソース:時事通信(2005年 7月19日14時3分更新)
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050719-00000063-jij-soci
2009/05/03(日) 14:33 | URL | 池田犬作 #-[ 編集]
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