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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
天皇制問題(4)

  前回に続けて、宇都宮さんの論説の次の項「戦後の天皇制」を読みます。

  敗戦国日本は主権を失い 「連合国軍総司令部」(GHQ:実質的にはアメリカ軍)の占領下におかれますが、連合国軍(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、中華民国など)の間では、天皇の戦争責任か取りざたされ、天皇制廃止の声もあがっていたということです。しかしGHQは、軍部の反乱を抑えて、日本の統治をうまくやるためには天皇制を残して利用した方が良いと考えました。 この方針は天皇制をなんとか残したいという日本の支配層の思惑と一致し、天皇制は残ることになりましたが、ご存知のように新しい憲法では天皇の地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、天皇は絶対的権力者から「象徴」に変わったのでした。
  そして、天皇が絶対的権力者から「象徴」に変わったことにあわせて、皇室典範の改正がGHQのもとで行なわれました。

   皇室典範どのように改正されたのでしょうか。
   それまでは皇室典範は明治憲法と並ぶ最高法規と位置づけられていましたが、新憲法のもとでは他の法律と同じ位置づけとされました。
   明治の皇室典範では、元号は天皇一代に一つの元号と定めていましたが、天皇の権威と深く結びついたものだったので元号制度はGHQの指示により規定が削除されました。    しかしその後、戦前の天皇制と深く結びついた制度が復活してきました。
   1966年 紀元節(神武天皇の即位日とされた日)の復活
        「国民の祝日に関する法律」(祝日法)の改悪で2月11日が「建国記念日」とされた。
   1979年 「元号法」制定
   1999年 「国旗国歌法」(「日の丸」「君が代」を国旗・国歌とする法律)制定。

   なぜこのような反動的な動きが可能になってしまったのか。それは根本的には「天皇の戦争責任」を曖昧にしてしまった点に求められます。
   ここからは宇都宮さんの論説を直接転載することにします。


天皇の戦争責任

  戦前における日本の値民地支配や侵略戦争の責任を追及していくと、軍の統帥権を持ち、統治権を総攬し、立法・行政・司法三権の主権者である天皇の責任に行き着かざるをえない。
 しかしなから、アメリカは戦後の日本の統治をうまくやるために天皇制を残したほうがよいと判断し、天皇の貢任を追及しなかった。
  最高責任者の追及があいまいになり、結局「東京裁判」で戦犯として裁かれた人たちだけの責任になってしまった。
  戦後、国民か象徴天皇制を受け入れたことは、天皇の責任をあいまいにすることにつながり、結局は軍部や政府関係者など責任追及をあいまいにしてLまった面がある。

  この点、徹底して過去に向きあい、現在もナチスの戦犯の責任を追及し続けているドイツと大きな差が出てきている。
  岸信介は戦争中、東条内閣の閣僚の一人で、当初は戦犯として追及されたが、その後復活して内閣総理大臣になっている。
  ドイツでは、ナチスの閣僚だった人間が戦後首相や大統領になることは考えられないことである。


民主主義から考える

  日本国憲法は「基本的人権の享有」(第11条)「法の下の平等」(第14条1項)を保障している。
  しかしながら、天皇を含む皇室と、それ以外の国民とを区別する制度であり、悪法で定めた法の下の平等と矛盾する「差別」という問題を含んでいる。
  また一方で、天皇や皇族の基本的人権が保障されていないという問題もある。現状では天皇や皇族には参政権はないし、集会・結社・表現の自由、居住・移転・職業選択の自由など人権も侵害されている。
  国民主権の民主主義国家においては、憲法第1章には国民主権について規定するの当然のことと考えられる。ところが、日本は国民主権の民主主義国家であるにもかかわらず、現憲法では「天皇」が第1章となっている。
先般、秋篠宮が宮中祭祀の大嘗祭については、国費で賄うことに疑問を呈し、皇室の私的費用である内廷費で対応すべきではないかと発言し、話題を呼んだが、このような問題提起は国会や国民のほうから先に提起をして全国民的議論が行われるべきなのである。

  私は、今年5月韓国の光州・ソウルを、また6月にはスウェーデンを視察に行ってきた。
  韓国とスウェーデンに共通していたのは、市民・国民の側の強烈な主権者意識、主人公意識であった。両国では民主主義とは単なる多数決の制度ではなく「民」すなわち市民・国民が主人公になることだと、とらえられている。
  わか国の市民・国民の中で主権者意識、主人公意識が希薄であるのは、明治時代につくられた天皇制イデオロギーを戦後も十分に克服できていないことと関係があると思われる。

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この記事へのコメント
承久の乱とは
終戦までを後鳥羽承久の乱と比較してみることに
後鳥羽は裕仁、義時はルーズベルト、
泰時は マッカーサーに とする
アメリカは日本を・・・して太平洋の覇権確立
しかし後鳥羽と違い 一億総懺悔して軍も政府も国土も差し出して
終戦とし 強力なアメリカを配下に収めた・・・ のかな 外見上
西国支配は頼朝には無理、その西国に義時は支配権確立 西国にも御家人を置き北条帝国を築いた もはや鎌倉幕府ではない 一国二制度
1215年 マグナカルタ 1232年 御成敗式目で完成
西国は財力をもがれその後軍事力と警察権は北条帝国に飲み込まれてしまった。ずっとあとこれを忘れて王政復古などと寝ぼけたのは誰か 逆戻りしてしまった、アメリカにより御成敗式目の元に戻してもらった。義時を忘れたらだめです。ようなものですか この歴史を 菊の紋は後鳥羽以来ですから忘れないため、裕仁は市場初めての敗戦を学んでいないはずは有りません 家康でもそうでしたから、知らないのは歴史上 明治以後だけでしょう。
2019/06/28(金) 10:55 | URL | yamadera #kbg/rvIA[ 編集]
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