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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
天皇制問題(1)

 「今日の話題3」を中断して、しばらくの間「天皇制問題」を取り上げます。

 小室圭さんと秋篠宮家の真子さんとの結婚問題に明仁天皇の退位問題が重なって、このところ皇室報道が多くなってきていますが、その報道はどれも薄っぺら感が拭えません。月刊『創』の編集長の篠田博之さんが東京新聞(1月13日付)の「週刊誌を読む」でこの問題を『年明け各誌が皇室報道 天皇制 深い議論なく』と題して取り上げていますが、その後半部分を転載します。

天皇制 深い議論なく


  眞子さま報道が象徴的だが、見出しが派手な割に、いろいろ大事な問題に踏み込めていないという印象が、皇室報道全般に拭えない。
  それは報道の問題だけではないようで、『週刊朝日』1月18日号の「新天皇の7つの壁」という対談で元朝日新聞編集委員の岩井克己さんがこう指摘している。
「今回の退位に至るプロセスを見ても、象徴天皇というその姿、有りようについて、天皇が問題提起したにもかかわらず、その議論がなされないまま、官邸主導で特例法という変則的な形で着地させてしまった。代替わり儀式についても同じです。面倒だからと早々に前例踏襲を打ち出してしまう。問題が積み残しとなっているのに、議論をしましょう、という機運もない」

  『サンデー毎日』1月6・13日号の政治学者・白井聡さんの「象徴天皇制の行方」や、『週刊金曜日』1月11日号の特集「天皇制」など、問題提起を行っている記事ももちろんある。でも昭和天皇からの代替わりの時には、象徴天皇制や皇室問題について、もっと踏み込んだ社会的議論がなされたように思うのだが、どうだろうか。

  私は、『週刊金曜日』を購読していますので特集「天皇制」を読みました。その記事の中で天皇制が孕む問題を余すところなく見事にまとめている中嶋啓明(ジャーナリスト)さんによる論述『「平和天皇の内実』を私は高く評価しました。週刊金曜日の担当者はその論述を次の様に紹介しています。
『天皇制問題がはらむ矛盾や危険性はどにあるのか。天皇制と民主主義は矛盾すると考える筆者が具体的に指摘する。』

  この中嶋さんの論述を転載することにしましたが、私はこの方には初 めて出会ったので、どのような方なのかネットで調べてみることにしました。「中嶋啓明」で検索したところ、なんとトップに『共同通信社中嶋啓明氏の皇室批判記事に抗議する』という記事がけいさいされていました。私が高く評価した論説を批判する人がいるんだと興味を持ち読んでみることにしました。批評文を書いてるのは杉田謙一という方(もちろん私にとっては未知の人)ですが、なんとその批評文が書かれた日付が2009年5月7日でした。 当然中嶋さんの論説も10年前のものということになります。
  それでは、10年前に中嶋さんがどんな論説を書き、杉田さんがどのような批判をしているのか、読んでみましょう。(漢字の間違いや仮名と漢字がゴッチャになっている箇所がいくつかありましたが、すべて私の判断で訂正しています。)


共同通信社中嶋啓明氏の皇室批判記事に抗議する

    オベンチャラまみれで気持ちが悪いと題して中嶋なる人物が週刊金曜日五月一日号に記載している。以下転載。


  明仁が天皇になって二十年の今年は、皇后美智子との結婚から五十年にも当たるとしてオベンチャラまみれの皇室報道が氾濫している。四月十日の結婚記念日は、その最初のピークだった。何が『語らい重ね通じる心』(朝日新聞 同日朝刊)だ。気持ち悪い。
  『国民』挙げての奉祝機運醸成に奔走する皇室報道。だがそれらには皇太子妃雅子の体調不良を契機にした天皇家、皇室内部にあるらしいすれ違い、対立が常に色濃い影を落としている。雑誌メディアには、そんな対立話を語る『皇室関係者』らの証言であふれている。そして、右翼「論壇」からさえ上がる、わがままし放題の雅子とそれを抑えきれない皇太子徳仁への失望の声。メディア上で見る象徴天皇制は漂流しているように見える。そんな天皇制もこの間、少なくとも一つの武器の意義を再確認しているであろう事は間違いない。『公務』と呼ばれるものだ。「皇室外交」「地方行幸」各種行事、式典への出席等々・・・。明仁の負担軽減など、皇族間での分担だの、さも不可欠なことのように取りざたされた。だが、それらは本当に天皇、皇族がすべきものなのか。そもそも彼らに許されているのか。

  メディアは『私事』より『公務』を優先するとしてひたすら天皇、皇族を賞賛するのみ。挙句の果て『日の丸・君が代』の強制をたしなめたと、もろ手を上げ『格差・貧困』に心を痛めているとありがたがる。(その際、数千万円の税金を掛けオランダに「私的」静養に出かけることのできる一族であることに触れるメディアは一切ない。この欺瞞。こうしてメディアは事実上の政治機能の行使から眼を背け、彼らの影響力の拡大に手を貸し続ける。

      『天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』(憲法第四条)

  極限状況が極度に深化しているのは何も憲法九条をめぐってだけではない。
  憲法の理念を体現する明仁、美智子だって? 最大の欺瞞の源泉である天皇制を皇室報道が支えている。

                                                   共同通信社記者  中嶋啓明


   ひどい文ですよ、読んでください。友に言われて驚いた。付き合いのある共同通信社社員はこんな思想の持ち主ではない。早速名古屋の記者に聞いたが、直接週刊金曜日に問い合わせるよう言われた。

   何たる不敬なる表現。「最大の欺瞞の源泉である天皇制」なる表現を『共同通信社記者』を名乗り表現をする以上、社はこうした方針であると考えざるを得まい。明仁がとか、皇后美智子と、記載する不敬を許してはなるまい。

   憲法の規定に国事行為として記載されているのは第四条。しかし第一条から第八条は天皇条項。日本国民統合の象徴としての御存在である天皇は、象徴としての行為が当然あるはず。象徴であらせられる天皇御皇室に対して、敬語表現をなさない記者の感覚は許しがたい。
  さらに国事行為以外に天皇のなされることを限定するなどとする論はおかしい。象徴としての行為が当然ある。「象徴行為」として諸外国に行かれ、日本の国益に大いに寄与なされていることをどう考えているのか。これがプライベートであるはずもなかろう。

   こんな憲法であっても、こんな政治家、マスコミのていたらくがあっても、なお陛下は国家国民の範たるべきご努力を積み重ねていらっしゃる。

  日本のマスコミがこのレベルであっては日本の将来は危うい。

  諸外国に行かれ、「皇室外交」をなされることを禁じる判例でもあるのか。ぜひ伺いたいものである。
  誤解をあえてしたいようなら、改憲時に「象徴行為」として天皇のご行為をうたうほうがいいのかもしれないが、その必要もないだろう。

  陛下の象徴としてのご行為を国民は感謝していることを知っていてほしいものである。なんなら世論調査をされたらよかろう。

 さて、どのような感想をお持ちになられましたか。

 次回は今回の続きとして、中嶋啓明さんの論述『平和天皇の内実』を転載します。
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