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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
今日の話題3

管理教育といじめ

カテゴリ『自作品の公開』内の『論説編(4)』は45年ほども前の学校教育の体質を取り上げたものですが、その頃の学校教育は生徒を支配あるいは管理・操作の対象として扱っていたこと、その結果として、選別.分断された生徒たちの心身は「荒廃」にさらされていたことを論じ、その「荒廃」を示す事例の一つとして知的エリートたちの「足弱な子供に、なお足ばらいをかける」ような「いじめ」というエゴイズムを取り上げました。
 その記事を転載しながら、現在の教育の実態に疎かった私は、「現在の教育の実態はどうなのだろうか」という問題が随分と気にかかっていました。
 ところで、なんとその転載作業が終わる間際に次のような論説に出会いました。

 東京新聞の連載コラム「時代を読む」(2018年10月7日:日曜日)の貴戸理恵(関西学院大学准教授)さんの『古くて新しい管理教育』と題する論考です。読んでびっくりしました。45年前よりずっとひどい状況になっているのです。また現在の「いじめ」をめぐる問題について、第一面のコラム「筆洗」(2018・10・28)が取り上げていました。
 まず貴戸さんの論考を紹介し、最後に「筆洗」を転載しましょう。

管理教育

 貴戸さんはまず、1987年に出版された干刈(ひかり)あがたさんの「管理教育の闇をテーマにした」小説『黄色い髪』を次のように紹介しています。
 「中学校を舞台に、校舎に挨拶させる校則や、軍隊のように厳格な先輩・後輩関係、異様な緊張感のもとで行われる頭髪検査などが描かれる。」

  貴戸さんは『このような管理教育は「過去の遺物」と思っていたが、とんでもない。』と言います。そしてさらに管理教育を描く著書を二冊取り上げて、その内容を次のように紹介しています。


  『ブラック校則』(2018年、荻上チキ・内田良):『ブラック部活動』(17年、内田良、ともに東洋館出版社)は現在進行形で存在する学校の「異様なルール」を伝えている。

 校則で、生まれつきの髪色を黒く染めさせられる。「下着の色は白」などと決められ、教師にチェックされる。部活動は「自主的」なのに強制加入で、辞められない。土日はおろか、盆・正月も休みがなく、顧問教師の妻は休日を夫なしで過ごす「部活未亡人」になる…。

 しかも、著者らによれば状況は悪化している。かつての「丸刈り」や「水飲み禁止」といった校則が影を潜める一方で、毛髪指導やおしゃれ禁止などはより細かくなり、十代など若い世代で経験率が増加しているのだ。また、この十年で休日の部括動のための中学教師の勤務時間は増加しており、運動部の顧問などからは「早く負けてほしい」との声も聞かれるという。

 もちろん、校則が自由な学校もあるだろうし、充実した適度な部活動を楽しんでいる生徒や教師も多いだろう。だが、全体としてみたときに、厳しさを増す傾向がみられる現実をどう捉えればよいのか。
 冒頭に挙げた「黄色い髪」のような80年代の管理教育批判の文脈では「画一的・管理的な学校」や「受験競争にあえぐ子ども」の問題が取り上げられた。そして、子ども中心主義の立場から「個性尊重」「多様性」といった価値が提示された。個性を尊重すれば競争は緩和され、学校が多様化すれば不自由な管理はましになる、と考えられていた。
 しかし、現在起こっているのは「個性尊重で競争激化」「多様化して管理強化」という実態であるように見える。


 以下、貴戸さんの論考は問題の本質とその解決の道を次のようにまとめています。

なお、その引用文中にAO入試という、私にとっては初めての用語が出てきます。調べました。次のような入試だそうです。
 「アドミッション・オフィス入試の略語で学力だけではなく、高校時代の部活動、校内活動などによる学校生活での取り組みに加え、大学側が用意したテーマに沿った小論文の作成を行います。
  次に、志望理由書を作成し複数回の面接を経て合否の判定が出されます。」



 前掲の『ブラック部活動』によれば、学校の生徒評価がテスト一辺倒から「個性重視」になったことで、部活動が過酷化している面があるという。
 学力ではなく生活面に目を向けたとき、部活動はその子の個性をアピールする恰好のポイントだ。大学のAO入試などでも、部活動での良い成績が評価される現実があり、「試合・大会」の重要性は増している。

 また、学校が多様化し、保護者に選択肢が開かれるようになると、校則で生徒管理を強化して「わが校の評判」をコントロールする必要性も生じるだろう。生徒の背景や進路も多様化しているなか、まとまりを保つため、一括管理の必要性が現場で意識される局面も増えているのかもしれない。

 個性化・多様化が管理や競争からの解放にはつながらなかった現実を見据えつつ、今もう一度、反管理教育・子ども中心主義に立ち返って根底から考えたい。
 子どもの人権を侵害する校則が存在し続けて良いのか。生徒や教師の健康や生活のゆとりを犠牲にしてまで競争に追い立てる意味とは何か。
 市民社会の価値に照らして明らかに理不尽なルールが学校でまかり通っているのであれば、止めなければならない。古くて新しい課題である。


いじめ


【筆洗】(東京新聞のホームページから転載します。)
 映画監督の黒澤明さんの小学生時代のあだ名は、「こんぺと(金平糖(コンペイトー))」。<こんぺとさんはこまります いつも涙をポーロポロ>。当時そんな歌があったそうで黒澤少年はそう囃(はや)されていじめられていた。
 ▼ドッジボールでは集中的にぶつけられる。洋服は汚される。坊ちゃん刈りで、背広に半ズボンの黒澤少年の姿は他の子どもから、浮き上がり標的にされたそうだ。助けてくれたのは、四つ上のお兄さんだったそうだ。休み時間にいじめられているとどこからともなく現れて、救い出してくれる
 ▼その悲しい数字にいじめに泣くすべての子どもにそのお兄さんがいてくれたらと詮ない空想をしてしまう。
  過去最多の41万件。全国の国公立私立の小中高校、特別支援学校が2017年度に認知した、いじめの件数である。
 ▼41万件分の悲しみ、痛みとはどれほどか。まず、いじめられている子どもの分。大切な子へのいじめを知り、心配する親。黒澤さんのお兄さんのような兄弟、姉妹もいる。おじいちゃん、おばあちゃん…。親類やそれぞれの友人まで含めれば、途方もない数の悲しみになるだろう。
 ▼教室は閉ざされているので分かりにくい。が、泣いているのは、その子だけではない。その子につながる、たくさんの痛みを想像したい。
 ▼そして、いじめている君よ。その事実を知れば、君につながるたくさんの人も泣く。

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