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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

論説編(2)

 前回選んだ論説文「修羅賢治素描」の続きです。
 テーマは「賢治を理解するのに欠かせない要素三つをめぐって賢治を素描する」ことでした。
 前回はその「要素三つ」のうち二つを取り上げたのですが、では「第三の要素」は何なのでしょうか。
 今回のテーマはその「第三の要素」です。

修羅賢治素描(その2)

 さて、賢治の太い精神と強い意志にも拘らず、東北の自然は厳しく、賢治は何度も打ちのめされる。

   その真っ暗な巨きなものを
   おれはどうしても動かせない
   結局おれではだめなのかなあ

 敵意に満ちているのは自然ばかりではない。現実の賢治は、生涯独立の生計をもたず、親のスネをかじり通した素封家(そほうか)の息子であり、農民へのコンプレックスに悩むインテリである。
 農民になりきろうとしても、農民との同一化は、ついにできない。

   草地の黄金(キン)をすぎてくる
   ことなくひとのかたちのもの
   けらをまとひおれを見るその農夫
   ほんとうにおれが見えるのか

 1930年代の東北は、幾たびも大凶作に襲われ、娘を売って食いつなぐ農家も多かった。
 厳しい自然と、冷酷な社会状況に忍従し、理想もなく日常の悲惨にへばりつき生きなければならなかった農夫に、
 賢治の理想は見えるはずもない。

   まばゆい気圏の海のそこに
      (かなしみは青々ふかく)
   ZYPRESSEN しづかにゆすれ
   鳥はまた青空を截(き)る
      (まことのことばはここになく)
      (修羅のなみだはつちにふる)
          〈注:ZYPRESSEN(ドイツ語、糸杉)〉


 修羅賢治を痛めつけるものが、さらにあった。
 第三の要素、「妹トシの死」である。

 トシは賢治より二才年下の妹で、聡明な女性で、賢治の最もよき理解者であったという。  賢治もこの妹をこよなく愛していた。トシが東京で勉学中に病気でもすれば、すぐに飛んでいったし、旅先からでもかけつけている。

 賢治の童話に登場する何組かの幼い兄弟姉妹たちを、ぼくはどれも好きになってしまうが、ぼくはそのとき、否応なく、賢治・トシの兄妹愛に想いをはせてしまう。

 賢治にとって掛け替えのない妹トシは、1921年に23才の若さで夭逝した。このトシの死に賢治は打ちのめされる。
 トシの死が、以後の賢治の心を大きく支配し続けたことは想像に難くない。
 トシの死の打撃を背負い、救い求めるかのように、賢治は、1923年、樺太へ旅行する。
 トシの死から樺太旅行にかけて、「永訣の朝」「松の針」をはじめ、「無声慟哭」三部作、「青森挽歌」「オホーツク挽歌」など、トシの死をめぐって、一連の挽歌群を、嘔吐するように、賢治は書きまくった。
 その詩群の中で最も広く知られている絶唱「永訣の朝」を全文転載しよう。(思潮社の現代詩文庫『宮沢賢治詩集』を用いています。)



    永訣の朝

  けふのうちに
  とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
  みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
  (あめゆじゆとてちてけんじゃ)
  うすあかくいっさう陰惨な雲から
  みぞれはびちょびちょふってくる
      (あめゆじゆとてちてけんじゃ)
  青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた
  これらふたつのかけた陶椀に
  おまへがたべるあめゆきをとらうとして
  わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
  このくらいみぞれのなかに飛びだした
      (あめゆじゆとてちてけんじゃ)
  蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
  みぞれはびちょびちょ沈んでくる
  ああとし子
  死ぬといふいまごろになって
  わたくしをいっしゃうあかるくするために
  こんなさっぱりした雪のひとわんを
  おまへはわたくしにたのんだのだ
  ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
  わたくしもまつすぐにすすんでいくから
      (あめゆじゆとてちてけんじゃ)
  はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
  おまへはわたくしにたのんだのだ
   銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
  そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
  …ふたきれのみかげせきざいに
  みぞれはさびしくたまってゐる
  わたくしはそのうへにあぶなくたち
  雪と水とのまつしろな二相系をたもち
  すきとほるつめたい雫にみちた
  このつややかな松のえだから
  わたくしのやさしいいもうとの
  さいごのたべものをもらつていかう
  わたしたちがいつしょにそだってきたあひだ
  みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
  もうけふおまへはわかれてしまふ
  (Ora Orade Shitori egumo)
  ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
  あぁあのとざされた病室の
  くらいびやうぶやかやのなかに
  やさしくあをじろく燃えてゐる
  わたくしのけなげないもうとよ
  この雪はどこをえらばうにも
  あんまりどこもまっしろなのだ
  あんなおそろしいみだれたそらから
  このうつくしい雪がきたのだ
      (うまれでくるたて
       こんどはこたにわりやのごとばかりで
       くるしまなあよにうまれてくる)
  おまへがたべるこのふたわんのゆきに
  わたくしはいまこころからいのる
  どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変つて
  やがてはおまえとみんなとに
  聖い資糧をもたらすことを
  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 (注)
  「兜率の天の食」という初めて接する言葉が出てきましたが、次のような意味を込めています。

 兜率天とは、「色・声・香・味・触」の五欲の楽しみが、完全に充足される天の世界のことである。
 つまり、「兜率の天の食」とは、食物としては,これ以上にはないという素晴らしいものを指しており、兜率天にあってのみ、味わえるものという意味です。


 夢と現実のはざまで、賢治が創り出した膨大な作品世界(童話百編、詩千数百編)の基底には、以上の三相が分かち難く渦巻いている。
 賢治は、天才と呼ばれるのに真にふさわしいことは勿論、人間としても類まれな魅力にあふれた人だった。
 賢治の詩を読むとき、激しく生きた賢治の、「春」と「修羅」の葛藤のめくるめく嵐に打たれて、ぼくは心を揺さぶられ、大きな感動を受ける。

 1933年9月21日、賢治喀血、そして死す。享年わずか38才。一生独身で通す。
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