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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

<『影』より(1)>

<>詩文編(17)

  前回で自費出版詩集『蜥蜴』の紹介が終わりました。今回から次の自費出版詩集『影』の紹介をすることにします。この詩集についてはいろいろと付記したいことがあります。すこし長くなるかもしれませんが、そこから始めます。

 『影』は三色の孔版印刷の詩集です。最初の勤務校の同僚で私の詩を大変高く評価してくれた方がいました。その方が多大な労力と時間を掛けて編纂してくださいました。もう52年前(1966年、私28歳)の事です。
 その方はその後どのように活躍しておられたのか、調べてみましたら、なんと今はある大学の名誉教授になっていました。
 連絡が取れれば『影』を一般公開することを告げたいと思ったのですが、連絡をする術がありません。私の独断で公開に踏み切ることにしました。前書きや後書きも転載することにしましたが、その方名前は匿名でM・Kさんと記すことにします。

 青春時代の大きなひとこまとして、M・Kさんとの出会いと関りは私の心の奥にひそかに生きいます。これもやはり記録しておきたいと思いました。まず『影』の「前書き」と「後書き」を転載しておきましょう。

 詩集はカラーのガリ版刷りなのでソフト「読んで?ここ」が使えません。かなり時間がかかりそうですが、のんびりと転載していくことにします。

  次の文は、私が書いた前書きです。

 五年ほど前 胸を病んで約八ヵ月ほど入院生活を送ったことがあります。その折のつれづれに詩の何たるかを知らぬまま、詩のようなものを書き始めました。前半の九編はその頃のものです。
 一年ほど前より、もとより詩の何たるかを知らぬまま、再び詩を書くようになりました。しかし、今度は生活のつれづれを慰めるためではなく、偉大な詩人たちのことばの魔術に魅せられ、詩の何たるかを知りたく、でき得れば、自分にも詩心があるならば、それを表現してみたいと、おおそれた考えを起こしてのことです。後半は前詩集『蜥蜴』につづく、ごく最近のものです。
 五年前と今と、さしたる進歩もなく、未だに児戯に等しいことを痛感しながら、『蜥蜴』の時の悔恨にもかかわらず、親しい人だけなら恥にもなるまい、再び詩集を編む誘惑に屈しました。

 ぼくの拙い詩を見限ることなく、始終助言・批評を惜しまず、ぼくを激励しつづけてくれたばかりか、今度は貴重な時間と労力をさいて、詩集をこんなにも美しく楽しいものにしてくれたM・K兄に心からの感謝の意を表します。
 Kちゃん、ありがとう。
           一九六六年 二月          仁平忠彦
    

 次はM・Kさんがしたためてくれた後書きです。

 おとなの絵本のような詩集を創りたい。これが仁平さんとの最初の夢でした。素人で あるわたくしの孔版印刷の技術を駆使して、多色刷りの楽しい詩集にしたかったのです。 作品の雰囲気を伝えるカットをたくさん添えて――

 ところが、鉄筆をにぎって製販をはじめますと、これらの愛すべき作品は、文字以外のものは 一本の線すら、その紙面に存在することを許さないのです。わたしは絵を添えることを諦めました。 また同じページにいくつもの色を使うことも諦めたのです。そうすることが、この詩集を手にする方への、 ほんとうの親切だと信じて――

 わたしは仁平さんが好きです。虚無の深淵をのぞき込んでいながら、救いを求めず、錯覚もせず、 しかも悲愴にもならず、あたたかく人間を生きようとしている仁平さんが。そしてまた、そんな仁平さん の裸で表現されている作品が好きです。売文業者はいても詩人のいなくなった今日、わたしは心から 兄の作品を愛読したいと思っています。

タッちゃん、がんばれ!
            一九六六年 二月          M・K

 さて、本文(詩文)の方は二部に分かれていてそれぞれ「二二歳ー 私の買いものは早すぎた」・「二七歳ー 私の買いものは遅すぎた」という表題がついて、それぞれに掲載されている詩文の数はそれぞれ九編・十四編(うち六編は最終詩集に転載)です。第一部の九編と第二部の残りの八編を転載していくことにします。今回は第一部の初めの五編を転載しておきます。

<二二歳ー 私の買いものは早すぎた>


ささぶね

   ささぶねさらさらかぜうけて
   ささぶねゆらゆらゆれていく
   ささぶねおうこのせがあかい
   さらさらゆうやけみずにさす


りんご

   今まさに我に食われんとする
   汝 りんごよ
   汝 生きることの悲しみ知るや
   汝 如何なれば
   かくも赤く熟れたるぞ


柿の木

   柿の実落ちて
   柿の木哀れ
   枝もたわわな秋の日は
   通る人ごと見上げてた
   はなたれ小僧もねらってた
   枯野に一本
   柿の木一本
   木枯し吹いて
   柿の木哀れ
   せめて冬の日やわらかく
   柿の木つつんで慰めよ
   また来る秋にも実れよと


春 花 去 来

  春も去る はや夏ぞ

  病室のベランダの片隅に
  胸病む我はうずくまり
  千々に乱れて想いに耽ける

   目の下の平たい屋根は
   窓の開かない手術室
   今日も誰かの胸が割かれる

   屋根の上 子すずめ三羽
   見よう見まねで羽ばたくが
   一尺飛んではかわらを滑る

   ズタズタに想いは飛び散り
   サクサクメス振る音もする
   あわれ 子すずめ早く飛び立て

   春も去る はや夏ぞ


墓 標 に

   私が何もなし得ず
   この世に何も残さずに滅びた時
   私のはかなく小さな墓標が
   私の師や友や恋人や同胞(はらから)の心に
   細やかながら立てられたとしたら
   すぐにも朽ち果てるべき私の墓標よ
   彼等にこう伝えてくれ

 私は気の弱い非常な照れやだったので
 私があなたたちに対して示した
 尊敬や友情や愛や感謝が
 あなたたちが私に与えてくれた
 この世の生の歓喜に比べて
 実に微々たるたるものであったとしても
 私の心の中では
 あなたたちに対するそれらの情念が
 上手に現れいずることのできぬ焦燥で
 熱く燃え立っていたのです。

 私が何もなし得ず
 この世に何も残さずに滅びた時
 私の小さな墓標を
 私の師や友や恋人や同胞の心に
 細やかながら立ち得たなら
 せめて
 私のこの心残りを
 彼らに伝えてくれ
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