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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
恥を忍んで、自作品の公開

詩文編(13)

 今回が「自作品の公開」の最後の回になります。詩文は全て三宅島に移住した以後(30歳前半~40歳頃)の作品です。


<わたし>の中の<あなた>を幻視するための呪文

あらっ! たまの
たましずめうた
うみのむた やまのむた
おどろそろしく たまふりおきよ
ののたみ うみのたみ
たまうたず たまふり
おとすより だま
とし よりだま
しよりだま
だま
まっ
ひたぶるに あらぶり
ふたつの たまふり
にほんの くにさき
やまとしうらめし やっきさき
すめらぎひっ きさき
うみのぬた やまのぬた
たみこそ みききこしめせば
よっ とよの
あけて さて
ぼくたま (あ)げないさ
あらっ! たまの
たましずめうた
だもの




<あなた>の中の<わたし>の蘇生のための祈り

<あなた>は夜あけとともに頑強な大地の屹立者
<わたし>は見せ金市場でさかさに吊され去勢されるやせた豚
<あなた>は大地の正午の豊饒を耕作する太陽の嫡嗣
<わたし>は吊されたまま贅肉を切り売りするふとった知識の頭陀袋
<あなた>は夕やけに優しくそまって海から七色の塩を得る
<わたし>は鼻さきにはられる売約済の札をこばめない
<あなた>は妻子にかこまれて満ち足りた一日をからだに刻みながら闇に安らう
<わたし>はとってもさみしいので闇がこわく猫の死体ほどの結構な悦楽をむさぼる
<あなた>はたしかな手ざわりの死を抱いて静かに眠る
<わたし>は等身大の不透明なアメーバとなり死がらみの時代にうなされる
<あなた>はやがて海と大地の奥に自らを埋葬する子供たちのために
<わたし>は死まで買いとられて吊されたままさまよう死がない人生を
<あなた>は<わたし>の存在証明として<わたし>を夜毎に殺す
<わたし>は<あなた>の不存証明として<あなた>を日毎に生かす


<あなた>の中の<わたし>の永劫にわたる祈り
分断されることによって辛うじて存在するシャム双生児
<あなた-わたし>が再びいだき合って生き得るために
<あなた>の中の<わたし>の蘇生のための
<あなた-わたし>の唯一の絆
互に激しく憎悪し合うほどの愛
地に
満ちてあれ!



教師論

陰湿な王族の歴史の中でまどろむ君の
支配者もどきの虚偽意識が
したり顔にうなづくたびに
流れない時間のよどみからはみでる君の生徒
の肢体が切断され
流れない時間のよどみの中で生きる君
の平穏無事な日常が保障される
他者の生の一回性を代償に
保障される君の日常とは何か
出生届と交換に与えられた
御墨つきのライフサイクル
それで君にどんな生きがいが残った?
ペラペラの人生予定書を海に捨てれば
難破船の破片のように
海底に堆積する切断された肢体の山
と山の間に宙づりになった平和の深部から
あぶり出される君
のライフサイクルの最後の一行
 <君は暖く緩慢な大量殺戮(ジエノサイド)の員数>
君の日常はおだやかな生かされ死

狂いうるものがいるかぎり
この世は生きるに値する
日常化された集団狂気の中で
狂うとは正常に醒めきること
君になお狂いうる孤立があるか
ライフサイクルの最後の一行を
<固有の死>に書き換えるために
まず狂うこと
他者を切断する快楽の共有を拒み
自ら切断される側に立て
君の肢体が切断されるとき
君は得心する
切断の痛苦は叛逆の支点 と
虚偽意識にもたれた君の胃に
痛苦の悲鳴を千回のみくだした後
君の支配者もどきは解体する
すると君の日常はいきなり
春から冬へと変貌する
君がのみくだした千回の苦しい沈黙は
入念に教え込まれた規範のことばを破って
正当にくるいざく
君の沈黙は凍ったことばの花ふぶき
流れない時間のよどみに
君の狂気が垂直につきささる
とおもむろに流れだす君の固有の時間
固有の死への君の道行が始まる
君の生徒
と 君と
同行
二人



渇魚

湿った風の方向へ傾ぐ
かの列島の傾度を測るすべを
M島の古老に尋ねる


  おもり三号・針十号・ハリス七号
  列島より最も遠い磯
  ハハノカタにて糸をたれよ
  大きな夕日が水平線にふれ
  やがて没するまでのわずかの間に
  釣りあげるウオは
  親指大・サナギ状のカワキ
  という寄生虫を吐いて悶死する
  だが寄生していたのはカワキではなく
  悶死するウオと知れ
  渇くことに渇いていたウオを逃れ
  カワキはまことに渇き初める
  その変位を測れ


毎夕列島に背を向けて
ハハノカタに坐り込み
カワキの採集に余念のないぼくを
なぜか古老は冷然と笑う



西風

それはいつも西からやってきた
出口のない島の頑な幻想をゆるがし
島中を激しくほえめぐった
波頭を荒々しく岩壁にたたきつけ
海がその到来に呼応した
それは初まりの告知であった
たしかにそれが初まりのはずであった


  <意味多い仕事にうんざりした大人たちにも
  <あきもせずたあいない遊びにふける子供たちにも
  <すでに温い日常は過不足なく
  <いまさら何の初まりか


が 何かが初まったことはかつてなく
告知は告知のまま
いつも終りの予感であった
変らぬことこそかのカミに呪縛されたものの願い
過不足ない凄惨な日常に身を隠して
人々はそれの通過を
ただひっそりと待つのであった


風の季節は
今年もまためぐってこなければならぬ



不惑

                      念此懐悲憤
                      終暁不
                               ――陶 淵明

首が落ちるように散るから
椿の花はきらい
と病床の姉はぼくを叱って
まもなく死んだぼく十歳


椿の花を拾いながら林道を
白髪の姉が来る
直角に曲った腰は
背負っているからの籠のせいか
杖はついていた かどうか
からの籠から………はは
の娘時代の夢がこぼれているのは
たしかに見た
ぼくの家を素通りして
母は海の方へ消えていった


1978年 三宅島 不惑の誕辰
ぼくは真夜中の書斎で
不惑の齢にしてなおやまぬ惑い
の明確な理由を
散り損ねている椿の花
とともに淵明の詩の行間に
溶かし
あぐねていた



 この最後の作品は前書きに陶淵明の詩を用いていますが、その頃の私が陶淵明にどれほど心酔していたのかどうか、もう40年程も前の事なので分かりませんし、私の詩が陶淵明の該当の詩とどのくらいの関りがあるのかどうかも分かりません。しかし、その陶淵明の詩がどのような詩なのか、知りたいと思い調べました。手元にある『中国名詩選』(岩波文庫、中)の陶淵明の作品を調べましたが、ありませんでした。そこで、インターネト検索をしてみました。すごい人がいますね。『かんさんのブログ』に出会いました。殆んど全ての漢詩を掲載しているのではないでしょうか。陶淵明の詩集もありました。私が前書きに使っていた陶淵明の詩は「雑詩其二:日月人を擲てて去る」でした。私が前書きに使っていたのはその最後の二行でした。以下に『かんさんのブログ』の全文を転載して置きましょう。

雜詩其二

  白日淪西阿  白日 西阿に淪み
  素月出東嶺  素月 東嶺に出づ
  遙遙萬里輝  遙遙として萬里に輝き
  蕩蕩空中景  蕩蕩たり空中の景
  風來入房戸  風來って房戸に入り
  夜中枕席冷  夜中 枕席冷ゆ
  氣變悟時易  氣變じて時の易れるを悟り
  不眠知夕永  眠らずして夕の永きを知る
  欲言無予和  言はんと欲するも予に和するもの無く
  揮杯勸孤影  杯を揮って孤影に勸む
  日月擲人去  日月 人を擲てて去り
  有志不獲騁  志有るも騁するを獲ず
  念此懷悲悽  此を念ひて悲悽を懷き
  終曉不能靜  曉を終ふるまで靜まる能はず


 この落陽と季節の交代をみて、己の人生の暮れ行くことを感じ、半生を振りかえって、その不如意だったことを詠嘆した詩である。
  日本語訳。

日は西の山の端に沈み、月が東の峯から出てきた。月光ははるか万里の彼方まで輝き、夜空一面を照らしている。風が吹き来って室内にも入り、夜具が冷たい。季節が変わり寒くなったことを悟り、寝ることもできぬまま夜の長くなったことを感ずる。月日は人を置き去りにして過ぎ行く。この年までとうとう志を立てることが出来なかった。このことを思うと、悲しい気持ちになり、悶々として朝を迎えるのだ。

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