2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
404 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(56)
激動の朝鮮半島(8)―「高句麗好太王碑」(3)
2005年11月26日(土)


 「好太王碑の文面は1882年頃、スパイとして朝鮮に渡った日本陸軍参謀本部の士官(酒匂 中尉とされている)の手(指図)によって改竄され、それを拓本したものが一般に 流布されてきた」という「改竄説」がある。古田さんは、『そのように主張 する一部の学者(李進熙氏等)がある』と特に「李進熙」の名をあげている。

 実は私は、「改竄説」問題は古田さんの論考によって決着済みのことと理解している。 だからこのことには触れずに、今回から前回末尾に紹介した「神功紀」の記事の解読に 入る予定だった。しかしやはり「改竄説」のことを書きとめておこうと予定を変更するこ とにした。理由はこうだ。

 先日(24日)、偶然に「好太王碑を巡る論争・水谷拓本と新発見の墨本」と題する講演会のチラシ を見た。講演者は「李進熙」(和光大学名誉教授)とある。チラシ裏面には2005年6月23日付 の毎日新聞の記事がそのまま掲載されている。その記事は中国社会科学院の徐建新・教 授が中国の学術誌「中国史研究」に発表した論文を紹介している。それによると改竄され たものとされる「酒匂本」より古い墨本が発見されたが、それと「酒匂本」とには異同は 認められないという。記事は「洒匂本より古い本に旧陸軍士官の意向が働いたとは考えられ ず、徐教授の見解に従えば改ざんは否定されることになる。」と書いている。
 これに続いて記事は本文中で李進熙の意見を次のように紹介している。

 これに対し、改ざん説を唱える李進熙・和光大学名誉教授は「新たな墨本は非常に貴重な 発見。洒匂本と同じく、最も早い段階のものだ」とした上で、「こけなどを取り除くため、 碑は1882年に焼かれている。新たな墨本の字も焼かれた痕跡が見え、それ以前ということ はありえない。抜文(新発見本の)は誇張が多く、書いてあることが正しいとは限らず、 論文は間違っている」と反論している。

記事は最後に、鈴木靖民(國學院大学教授)という学者の次のようなコメントを掲載して いる。
 墨本は縁取る時に文字をどう読むかという解釈が介在する。新発見の墨本と酒匂本の文 字が同じということは、同じ人やグループがかかわった可能性が高いことを示す。この墨 本が洒匂本より古いのなら、どちらも旧日本軍の意向とは無関係につくられたということ だろう。これで改ざん説はほとんど成立不可能となったと考える。

 すでに古田さんによって決着済みの問題に対して、いまだに「改竄説」に固執しているものと、いまさら あらためて「改ざん説はほとんど成立不可能となった」などとしたり顔をするものと、 両者のコメントはどちらも間の抜けたものと、古田さんの論考を知る私には思える。 この国の古代史学会は古田さんの仕事に対して相変わらず『「採択せず」「論争せず」「相手 にせず」の三手法をもって』(古田著「古代は沈黙せず」あとがきより)無視あるいは軽視 を続けているようだ。
 講演会のチラシに毎日新聞の記事を掲載していることから、李進熙教授が今回の講演 会(12月24日予定)でも「改竄説」を展開するのは眼に見えている。講演が相変わらず 古田説を無視したままでの「改竄説」ならば、もうそれは茶番に過ぎない。なおも「改 竄説」を展開するのであるなら、古田さんの論考を論破した上でやってもらいたいものだ。

 古田さんは今までに「改竄説」を巡って行われた調査・論考を検討しながらご自身の論考 を進めている。「改竄説」を巡る古田さんの論考は約10ページ(朝日文庫版「日本列島 の大王たち」)にわたる。例によってポイントのみの紹介をする。

「改竄説」が疑惑としている箇所の銘文は次のくだりである。

倭以辛卯年来渡海破百残□□□羅以為臣民(□□□は欠落部分)

 改竄の犯人を日本の参謀本部と見なす立場から、「改竄説」はこの中の「倭」の一字 を問題の焦点としている。
 これについての古田さんの論考は次のようだ。

 ところが「倭」の字はこの碑面に九回出現する。

  ①倭以辛卯年来   (第一面九行)
  ②百残達誓与倭和通 (第二面六~七行)
  ③倭人満其国境   (第二面七行)
  ④至新羅城倭満其中 (第二面八行)
  ⑤官兵方至倭賊退  (同右)
  ⑥⑦倭満倭潰城   (第二面九行)
  ⑧倭不軌侵入帯方界 (第三面三行)
  ⑨倭寇潰敗斬殺無数 (第三面四行)
            (今西龍の釈本による)

 この中で各種の拓本・写真等による文字のズレが指摘されたのは、先にあげた①の 個所をふくむ一部の「倭」であり、他の多くの「倭」は、それが見られないため、指 摘されていないのである。けれどもそれは改竄(もとの石の文字を削り、石灰による 造字を新たに行ったとする)が巧みに行われたため、いわばポロが出ていないように 見なされたようである。
 ところがその後、いろいろな方面から、現碑を実際に調査した観察者の報告が数々も たらされた。


 それらの報告はどれも「改竄説」を否定しているという。
 次に古田さんは王健群(中国の研究者)の論文に注目し、その詳しい検討をしてい る。特に、好太王碑に近く住み、碑に深く関わってきた人たちの証言を記録した 部分を分析して言う。
 王氏の立論は、他にも多岐にわたり、種々興味深い論点をふくんでいる。しかし、そ れは他の機会に詳論したい。
 しかし今は、次の二点を紹介するにとどめよう。

 第一
 碑下に住んでいた初天富父子が、日本人の石灰を塗ったというような事実を知って いない。また碑の周囲にいた李清太もまたそのような事件を知らない。敵対性国家 (中国)の中で、このように大規模な「石灰塗布作戦」(李進熙氏の立論の一) を行って、人々に知られずにすむなどということは、不可能である。
 第二
 日本の参謀本部やその間諜、酒匂景信の、侵略と罪悪行為を明らかにすることは重 要だ。しかし、歴史は客観的存在であるから、その歴史を研究するには、実事求是が 必須である。双鉤本や拓本の文字の異同は、初父子の歴史知識の欠如によるものであ り、歴史を改変するためのものではない。

 以上、二点とも、わたし自身の年来の主張であった。本論文をもって、好太王碑文 の改竄間題は、一つのジ・エンドをむかえたようである。
 なぜなら、従来の改竄論者は現碑にも接せず、現地の住民の証言も聞かず、ただ拓本 や双鉤本等からの類推にすぎなかった。これに対し、王論文は右の二原点に立脚した 確実、かつ安定した基礎研究だからである。


 ところで、何故「倭以辛卯年来渡海破百残」の部分がとりたてて問題にされるのか。 碑文の文字が変えられたという疑念が出てくるは、この文の解釈にナショナリズムが 絡んでいるからなのだ。
 「倭が海を渡ってきて、戦に勝ったなんていう事実はない」という主張と「やはり倭は百 済を破っているのだ。碑文は正しい」という主張が争っている。
 どちらもこの文を「倭が海を渡ってきて、百済を破った」と解釈している。ところが 古田さんの解釈はまったく違う。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/245-f5858f16
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック