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401 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(53)
激動の朝鮮半島(5)―「七支刀」(3)
2005年11月15日(火)


<6>「倭王旨」
 魏志倭人伝の「壱与」という女王の名称の「壱」は「倭」と同じく国名( 倭国側の自称)で「与」が名前。中国風一字名称だ。倭の五王「讃・珍・済・興・武」は 五世紀。中間の四世紀にも一字名称はあったはずだ。「旨」はその一例といえる。

<7>「伝示?世」
 ここに示された用語も踏まえて、古田さんは解読結果を次のようにまとめている。
『ここには、下賜をしめす言葉も、献上をしめす言葉もない。自国の自負と助力の切望と 混交しながらも、本質的に同列、ないし同格の立場を保った苦心の用語法だ。わたしには そのように見える。』

 七支刀の銘文そのものからは、皇国史観による「献上説」もその反動とも言うべき「下 賜説」も否定されることになる。
 では「献上説」の最強の論拠となっている「神功紀」の次の記述は何なのだろうか。

 (神功)五十二年の秋九月の丁卯の朔丙子に、久氏(くてい)等、千熊長彦に従ひて 詣(いた)る。則ち七枝刀一口・七子鏡一面、及び種種の重宝を献る。

 「古事記」の「応神記」に次のような記事がある。

また百済の国主照古王、牡馬壱疋、牝馬壱疋を阿知吉師に付けて貢上(たてまつ)りき。 また横刀(たち)また大鏡を貢上りき。

 この「横刀」は腰につける佩刀であって「七支刀」ではありえない。そして最も重要 なことは「古事記」の「神功記」には「七支刀」の記事はないということだ。今までの 論理と同様、「記紀」の史料性質からは次のような結論しかありえない。すなわち
『ない方が原形か、ある方が原形か。やはり、天皇家の説話の書である『古事記』が、 このようにはなはだしい献上記事をカットする。それは考えがたい。とすれば、 『古事記』の方が原形、『日本書紀』の方が、他からの挿入形。そのように考えるほか はない。
 では、その他とはどこか。前述来の論証、また後述の論証のしめすように、それは九 州王朝しかない』

 最後に、「七支刀」銘文の解読を、古田さんは次のように締めくくっている。

 第一。戦前の皇国史観以来の「献上説」、それは金石文そのものの解読からも、『日本書紀 紀』に対する史料批判からも、否定されねばならぬ。

 第二。「下賜説」は、右に対する否定、ないし挑戦として出現した。その研究史上の意義 は十分評価すべきだ。だが、金石文自身のしめす事実とは一致しなかった。

 第三。これに対し、支持さるべきは「対等説」だ。金石文自身のしめすところ、それ以外 にありえないのである。

 第四。もう一つの肝心の点。それはここに現われている「倭王」が、近畿天皇に非ず、九 州王朝であることだ。これはこの金石文自体からではない。「倭の五王」はどの王朝か、こ の問いに対する答えによって、はじめて確固とすべきものである。

 (『日本書紀』における「七支刀」記事が、「卑弥呼」や「壱与」と同一視された神功皇后の項に 入れられていること、この年代上の錯誤も、この「七支刀」記事が、本来近畿天皇家に非ざる一 傍証となろう。)

 以上によって、この七支刀が、四世紀後半における百済と九州王朝との間の国交をしめす、 重要な金石文であることをしめしえた。


 「倭の五王」については後ほど詳しく取り上げることになるだろう。
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