2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(34)
大日本帝国の住民抑圧政策(1)
東京新聞に毎回異なる人が執筆している「言わねばならぬこと」という連載コラムがあります。その記事のほとんど全てが現在の日本の危うい状況についての論評です。
そしてなんと、この連載は2013年12月13日から始まっています。そして、さらになんと、すべての論評の記録が全部公開されていて読むことができます。その記事一覧を紹介しておきます。
『言わねばならないことの記事一覧』
最新の記事は第110回(2018年6月15日)で、斎藤貴男さんの「奪われた自由 戦前想像して」という論評です。実は、私はこの論評に大いに刺激されて調べた結果「記事一覧」を知ったのでした。
(これまでに私は私のブログ記事で斎藤さん著作の『「非国民」のすすめ』・『機会不平等』・『空疎な小皇帝-「石原慎太郎」という問題』を利用させて頂いています。改めてありがとうございます。)
さて、私が大いに刺激された斎藤さんの論評「奪われた自由 戦前想像して」を転載します。
もう一つ、私が大いに共感した記事を紹介します。これは実は今朝(㋅18日)の事で、日刊ゲンダイのホームページで出会ったばかりの記事です。紹介しておきます。
『作家・中村文則氏が警鐘 「全体主義に入ったら戻れない」』
これは長い記事ですから記事全体の転載はしません。直接お読みいただければと思いますが、私がこれから取り上げようとしている問題とかかわる部分だけを転載しておきます。
この記事は日刊ゲンダイの記者さんのインタビューを纏めたものですが、まず導入部の記者さんの問題提起です。
『ウソとデタラメにまみれた安倍政権のもと、この国はどんどん右傾化し、全体主義へ向かおうとしている――。そんな危機感を抱く芥川賞作家、中村文則氏の発言は正鵠を射るものばかりだ。』
次は第6節(?)ほど先の記事で『――第2次安倍政権の発足以降、「この数年で日本の未来が決まる」と警鐘を鳴らされていましたね。』という記者さんの問いかけに対する中村さんの談話です。
『これほどの不条理がまかり通るのであれば、何でも許されてしまう。「ポイント・オブ・ノーリターン」という言葉がありますが、歴史には後戻りができない段階がある。そこを過ぎてしまったら、何が起きても戻れないですよ。今ですら、いろいろ恐れて怖くて政権批判はできないという人がたくさんいるくらいですから、全体主義に入ってしまったら、もう無理です。誰も声を上げられなくなる。だから、始まる手前、予兆の時が大事なんです。』
いま日本が全体主義に向かいつつあることへの警鐘を強く打ち出しています。ここで言われている「全体主義」は別の言葉で言い表せば「ファシズム」でしょう。
さて私は前回まで15回に亘って「大日本帝国の植民地」問題を取り上げてきました。植民地で行われた住民に対する苛酷な経済搾取や残虐な住民動員は、程度の差はあれ当然大日本帝国本土の住民に対しても行われていた。今回からこの問題を取り上げようと思っていましたが、この問題はこれまで書いてきたいろいろなカテゴリで取り扱っていましたので、重複を恐れてためらっていました。それが上の二つの記事に出会って、ファシズムに向かいつつある今、住民をがんじがらめに抑圧しつくしていったファシズムの時代を、新たなカテゴリを設けて取り上げ直すべきだ、という思いに至ったのでした。
(だいぶ長い前書きになってしまいましたが、)
……ということで、次回から日本のファシズムをとり上げることにしました。参考書として、『岩波講座 日本歴史20 「近代7」』を用います。
大日本帝国の住民抑圧政策(1)
日本ファシズム論(前書)
東京新聞に毎回異なる人が執筆している「言わねばならぬこと」という連載コラムがあります。その記事のほとんど全てが現在の日本の危うい状況についての論評です。
そしてなんと、この連載は2013年12月13日から始まっています。そして、さらになんと、すべての論評の記録が全部公開されていて読むことができます。その記事一覧を紹介しておきます。
最新の記事は第110回(2018年6月15日)で、斎藤貴男さんの「奪われた自由 戦前想像して」という論評です。実は、私はこの論評に大いに刺激されて調べた結果「記事一覧」を知ったのでした。
(これまでに私は私のブログ記事で斎藤さん著作の『「非国民」のすすめ』・『機会不平等』・『空疎な小皇帝-「石原慎太郎」という問題』を利用させて頂いています。改めてありがとうございます。)
さて、私が大いに刺激された斎藤さんの論評「奪われた自由 戦前想像して」を転載します。
もう一つ、私が大いに共感した記事を紹介します。これは実は今朝(㋅18日)の事で、日刊ゲンダイのホームページで出会ったばかりの記事です。紹介しておきます。
これは長い記事ですから記事全体の転載はしません。直接お読みいただければと思いますが、私がこれから取り上げようとしている問題とかかわる部分だけを転載しておきます。
この記事は日刊ゲンダイの記者さんのインタビューを纏めたものですが、まず導入部の記者さんの問題提起です。
『ウソとデタラメにまみれた安倍政権のもと、この国はどんどん右傾化し、全体主義へ向かおうとしている――。そんな危機感を抱く芥川賞作家、中村文則氏の発言は正鵠を射るものばかりだ。』
次は第6節(?)ほど先の記事で『――第2次安倍政権の発足以降、「この数年で日本の未来が決まる」と警鐘を鳴らされていましたね。』という記者さんの問いかけに対する中村さんの談話です。
『これほどの不条理がまかり通るのであれば、何でも許されてしまう。「ポイント・オブ・ノーリターン」という言葉がありますが、歴史には後戻りができない段階がある。そこを過ぎてしまったら、何が起きても戻れないですよ。今ですら、いろいろ恐れて怖くて政権批判はできないという人がたくさんいるくらいですから、全体主義に入ってしまったら、もう無理です。誰も声を上げられなくなる。だから、始まる手前、予兆の時が大事なんです。』
いま日本が全体主義に向かいつつあることへの警鐘を強く打ち出しています。ここで言われている「全体主義」は別の言葉で言い表せば「ファシズム」でしょう。
さて私は前回まで15回に亘って「大日本帝国の植民地」問題を取り上げてきました。植民地で行われた住民に対する苛酷な経済搾取や残虐な住民動員は、程度の差はあれ当然大日本帝国本土の住民に対しても行われていた。今回からこの問題を取り上げようと思っていましたが、この問題はこれまで書いてきたいろいろなカテゴリで取り扱っていましたので、重複を恐れてためらっていました。それが上の二つの記事に出会って、ファシズムに向かいつつある今、住民をがんじがらめに抑圧しつくしていったファシズムの時代を、新たなカテゴリを設けて取り上げ直すべきだ、という思いに至ったのでした。
(だいぶ長い前書きになってしまいましたが、)
……ということで、次回から日本のファシズムをとり上げることにしました。参考書として、『岩波講座 日本歴史20 「近代7」』を用います。
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/2419-5edbd32f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック