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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(22)

大日本帝国の植民地(5)

戦時下の植民地(2)


 前回、「はじめに」を読んで「戦時下の植民地」問題のあらましを知りましたが、 著者の鈴木さんは「はじめに」の末尾でその本論を次のように三章に区分して 進めることを提示しています。

① 「総力戦体制と植民地支配」
 日中戦争勃発後に日本の総力戦体制にくみこまれた植民地支配と収奪の過程およびそれ に対する抗日民族運動の展開をとりあげる。
② 「植民地におけるファッショ的人民支配と戦争動員」
 戦時体制下の植民地人民に対するファッショ的支配と戦争動員の特質をさぐる。
③ 「植民地支配の崩壊」
 戦時支配の下で累積された諸矛盾がいかに植民地支配を日本帝国主義との同時崩壊にみ ちびいたかを追及する。

 当初の予定では私にとって一番関心のある②に絞って論考を紹介していく予定でしたが、 私の狭い知見のせいかもしれませんが、読んでいるうちに、戦時下の植民地問題を全面的に 詳しく論じている鈴木さんのこの論考は他に見られない貴重なものに思えてきたので、全論考 を紹介することにしました。

 では、①から読んでいくことにします。
 (なお文章は、そのまま直接転載する部分もありますが、私の判断でできるだけ簡潔 になるように書き換えています。また鈴木さんは論考の裏付けとして随時詳細な統計表を提示 していますが、それらは割愛していきます。)

植民地支配の戦時的再編

 盧溝橋事件(1937年7月)に端を発する日中戦争の全面化により、戦争遂行に必要な総力戦体制 が不可欠となった。その一環として日本の植民地支配の戦時体制への再編が必要不可欠な要件と なった。

 植民地支配の戦時的再編は、まず治安体制の強化が前提であり、その基で植民地経済の戦時統 制経済への再編と人的物的資源の戦争への動員体制を強化することによって実現される。まず、植 民地経済の再編がどのように行われたか、その概略をまとめておこう。

「満州国」の場合

 前回で確認したように満州国は関東軍の実質的支配下にあったので、当初から強い軍事的性格をつ よく帯びており、戦時体制への移行は敏速であった。
 日中全面戦争が開始されると、国務総理張景恵は7月22日に
「満州国は日満共同防観の大義に基づき、官民一致団結して日本を支援すべきこと」
という声明を出した。
 日本を支援するための「満州国」の戦争準備は関東軍参謀部第四課が担っていた。その政策は 「産業開発五ヵ年計画」と呼ばれていたが、その実施に対応して、1937~41年度を期間とすると規定していたが「満州国戦 争準備指導計画」に具体化された。
 それは、
「満州国政治、その計画の基本方針は、経済の各分野に対して、実行第一主義を以て其組織運営を平時より努めて戦時態勢に近似せしめ速に物心両面に亙る戦争準備を完成せしむる如く指導すると共に、……随時の開戦並爾後の戦争指導に遺憾なからしむ」
と述べ、中央・地方行政機構改革をはじめ、国防上の諸設備諸法制の完備、5ヶ年計画による国防資源の開発促進などを要領 とし、その具体策として治安体制の強化から防衛法の制定、総動員体制の確立にいたる包括的な施策を提示した。
 ここに示された諸政策は戦争の長期化にともなってつぎつぎに実施に移されていった。

[治安体制の強化]
 37年7月1日 「中央行政機構の改革」を実施
  行政各部の整理簡素化によって政府の一元的指導体制を整備し、また軍政部と民生部警務司を合体した治安部の新設によって 治安体制の一元的強化をはかった。

[軍事態勢の強化]
  38年4月に国家防衛法が施行され、戦時・事変もしくは非常事態突発の場合の警備活動について政府に広汎な権限が与えら れた。
  さらに39年6月から関東軍の要望により3ヵ年計画としての「北辺振興計画」が実施された。
  この計画は対ソ戦に備えて国境地帯の軍事・交通施設の整備を主眼とし、同時に人的物的動員体制の強化をともなっていた。

[経済の戦時的再編]
  すでに37年5月には5ヵ年計画の実施にあわせて重要産業にたいして政府の許可制による国家統制が強化されたが、 さらに日中戦争開始後の日本経済が経済統制諸立法の制定によって全面的に戦争統制の段階に移行する。
  それにほぼ順応して「満州国」でも為替管理法の改定(37年10月)・貿易統制法(同12月)・暴利取締令(38年4月)・臨時資金 統制法(同9月)があいついで制定された。
  また一元的統制立法である「国家総動員法」は、38年2月に日本に先んじて公布され、5月11日に施行された。
  こうして満州の植民地経済は統制経済、物資需給などすべての面で日本戦時経済体制の一環に完全にくみこまれていった。

 さて当然なことながら、日中戦争の勃発は日本の直轄植民地である朝鮮・台湾にも直接的な影響を与えた。
 まず開戦後の日本の戦時経済統制立法は直ちに朝鮮・台湾におよび、暴利取締令(37年8月)、輸出人品等臨時措置法(同9月)、臨時資金調整法(同10月)がつぎつぎに適用された。
 さらに38年5月国家総動員法も施行され、朝鮮・台湾の植民地経済ははやくも日本戦時経済の一環に包摂された。

朝鮮の場合

 日中戦争に即応する朝鮮支配のあらたな方向は、朝鮮の「大陸前進兵站基地」化であった。38年8月の第一回各道産業部長会議で南総督は
 「第一に帝国の大陸前進兵站基地としての朝鮮の使命を明確に把握すること」
 を強調し、その内容として、
 「将来更に大なる事態に面したる時には、仮りに或期間大陸作戦軍に対して内地より海上輸送路を遮断される場合ありとするも、 朝鮮能力のみを以て之を補充し得る程度までに、朝鮮産業分野を多角化し、特に軍需工業の育成に力点を置いて万全を期する必要 があること」
 を力説したが、ここに示された「大陸前進兵站基地」化構想のねらいは、要するに朝鮮の軍需工業化により有事に朝鮮で戦争を持久しうる産業基盤を確立することにあった。
  総督府ではこの構想をさらに具体化するため、同年9月官制によって設置した「時局対策調査会」を開催した。この調査会は総会のほか、社会・文化・産業・経済・交通・通信の各分科会の審議結果を答申した。
  そのうち産業政策については、地下資源の開発をはじめ各種軍需工業部門の拡充とそのための一連の助成政策が提示され、 これに沿って朝鮮産業の軍事的再編成が急速に推進された。

 朝鮮産業の軍事化とともに、朝鮮における物動計画も本格的に実施された。
 まず37年9月、資源調査と総動員業務は従来の総督府官房文書課から新設の資源課に移され、38年8月には殖産局に臨時物資調整課が新設され、さらに39年11月には資源課と臨時物資調整課を統合した企画部の新設により、日本の物動計画と生産力拡充計画の要請に即応する朝鮮の総動員実施体制が全面的に強化されるにいたった。

台湾の場合

    台湾経済は従来から米・糖を中心とする食糧品生産を基軸としたものであった。
  これにに対して日中戦争の開始にともなって、新たに軍需生産のための工業化政策がつよく要求された。
   38年4月の地方長官会議で小林総督は台湾経済のあらたな方向について、国防上必要な資源の供給と重要産業の振興に重点をおく方針を明らかにした。
  この方針にそって38年度から日本の生産力拡充の一環として「台湾生産力拡充五ヵ年計画」が実施に移された。
  この計画の骨子は、硫安・アルミニウム・パルプ・ソーダなどの工業部門の生産拡充を主とし、農業・畜産・林業・鉱業の各部門における生産拡充は工業化のための原料供給に資することが目的とされた。

  また台湾の工業化政策に対応して総督府の機構も改革され、40年2月の物価調整課の新設に続いて、同年10月には地方制度の改革により州に産業部、庁郡に勧業課がそれぞれ新設されて、工業化推進の機関となった。

 こうして日中戦争の勃発によって急遽再編されていった日本の総力戦体制の一環としての経済の軍事化を中心とする植民地支配の戦時的再編は、日本の植民地収奪を容易にし、戦争の長期化にともなって植民地にたいする日本帝国主義の支配と収奪はさらに強化されていくのだった。
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