2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(20)

大日本帝国の植民地(3)

アイヌモシリへの侵略と略取(2)


 アイヌ人で参議院議員(1994年~1998年)を務めた萱野茂(かやのしげる1926年6月15日 ~ 2006年5月6日)という方が参議院の内閣委員会での質問で松浦武四郎を取り上げています。平田さんはこの時の議事録を引用して松浦をめぐる問題の補充を次のように語っています。

アイヌ民族・萱野茂の松浦観

 アイヌのおぼえも悪くはない。国立国会図書館のウェブサイト「国会会議録検索システム」を開いてキーワード欄に「松浦武四郎」と打ち込むと、5件がヒットする。うち2件は故・萱野茂参議院議員によるスピーチだ。萱野は、現在のところ、後にも先にもただ一人の、アイヌのアイデンティティをもつ国会議員である。1994年11月24日、第131回国会参議院の内閣委員会で質問に立った萱野は、こんなふうに松浦を引いた。

〈今から130年ほど昔に三重県三雲町出身の松浦武四郎という方が北海道へ行っております。(略)アイヌからいろいろと地名を聞きまして、それを書き残してあるのが8000ヵ所から9000ヵ所ある(略)。その地名を私の生まれて育った二風谷(にぶだに)のアイヌの村へ持ってきてみますと、武四郎が書き残したと言われる地名がわずか14ヵ所、大正15年生まれの私が二風谷の地名を調査してみますと72ヵ所ありました。(略)北海道で使われている地名の90%以上はアイヌ語であるということをまず皆さんに知ってもらいたい〉(議事録から抜粋、誤記を修正)

 1868年の王政復古――いわゆる明治維新――をはさんで、松浦は旧・新の日本政府に仕え、一種の外交コンサルタントの役目を担った。先住民族(インデイジナス・ピープルズ)の萱野にすれば、「アイヌモシリ(現在の北海道)に侵略の触手を伸ばす日本政府の手先」と批判的に語ることも可能だったろう。でも彼はそうせず、松浦が残した史料に信頼を寄せていた。

 念のために付け加えるが、萱野議員(当時政権与党だった日本社会党所属)には、日本政府に媚びたり遠慮したりする気持ちはなかったと思う。同じ日の国会質問で、彼はきっちり核心をついでいる。

〈日本政府はアイヌが独自の社会をつくっていたアイヌモシリ、北海道に無断で踏み込み、やがてアイヌモシリを勝手に自国の領土に編入するのでありますが、このようなことは他国に対する侵略行為であり、武力による行為は武力侵略なのでありますが、そのような歴史認識でよいのでしょうか。〉(同前)
 ウィキペディアの萱野茂の項に、参議院議員在任中の次のようなエピソードが記述されていました。念のため転載しておきます。

<在任中には、「日本にも大和民族以外の民族がいることを知って欲しい」という理由で、委員会において史上初のアイヌ語による質問を行ったことでも知られる。>

 「北海道命名150年」事業問題に戻ろう。

コロニアリズムの「黒歴史」は封印

北海道命名は植民地化宣言そのもの

 松浦武四郎は少なくとも1980年代からこっち、このように弱者の味方・反権力・反骨の人、といった描かれかたをしてきた。それが2018年のいま、官製の「北海道命名150年」のイメージギャラにされている。
 これって、主催者=行政機関が、松浦や、松浦に続く告発者たちとついにマジメに向き合って、150年にわたる対アイヌ政策を自己批判します、という反省の表れな んだろうか?

 その名も「北海道150年事業実行委員会」(会長=高橋はるみ北海道知事、2016年11月設置)は、「基本理念」をこう述べる。

〈本道が「北海道」と命名されてから150年目となる2018年(平成30年)を節目と捉え、積み重ねてきた歴史や先人の偉業を振り返り、感謝し、道民・企業・団体など様々な主体が一体となってマイルストーン(=通過点の節目)として祝うとともに、未来を展望しながら、互いを認め合う共生の社会を目指して、次の50年に向けた北海道づくりに継承します〉(同委員会ウェブサイト)

 自己批判など、どこにもない。
 そもそも「北海道への名前付け替え」(1869年8月15日)は、日本政府によるアイヌモシリ植民地化宣言にほかならない。

北海道命名を祝うとは?

 それをいま「祝う」とは、150年前の植民地化宣言を改めて肯定するということだ。
 20世紀後半になって「告発者」として再評価された松浦武四郎のイメージは、もういちど無害な「北海道の名付け親」にリセット。"黒歴史"は水に流して、前向きにいきましょう、というわけだ。

 これは、日本社会のマジョリティにはまことに心地よい。マジョリティとは、言うまでもなく和人のことだ。かくいう筆者もその一員。わが政府・同胞が先住民族にどんな仕打ちをしてきたか(前回の年表)、見聞きするたび後ろめたく、けれど戦後世代の戦争責任感にも似て、ついまわりのみんなと一緒に「昔のことと自分は無関係」と知らんぷりを決め込みたくなる。「いいんだよ、それで」とヤサシク背中を押してくれるのが、上記の「基本理念」である。
 でもこれでは、先住民族に対する「歴史的な不正義」(『先住民族の権利に関する国際連合宣言』前文、2007年採択)に荷担してしまうことになる。正義漢を気取るつもりはない。でも後ろめたい気持ちのままここに暮らし続けたとしても、幸せにはなれない。

 勇気をふるうのに、今だからこその好材料がある。2016年から17年にかけて、北海道の3つの地域のアイヌグループが、非アイヌたちの支援も受けながら、地元墓地から大学に持ち去られた先祖の遺骨を奪回し、みごとに権利を取り戻してみせたのだ(本誌17年9月22日号など)。現代を生きる私たちには、チャンスがある。

 この機に取り組むべきは、この150年を〈次の50年に……継承〉することじゃない。松浦を含め、かつてどの和人も果たせなかったけれど、今度こそ歴史的不正義に終止符を打ち、これまでとは異なる未来を語るのだ。

 以上が平田さんの論説からの転載ですが、一つ追加したいことがありました。『史料集』に「北海道旧土人保護法」(全13条)の抜粋条文が掲載されていました。これを転載します。(アイヌ民族は狩猟・漁猟を主とした民族であったことを踏まえてお読み下さい。)
北海道旧土人保護法

第一条
 北海道旧土人ニシテ農業ニ從事スル者又ハ從事セムト欲スル者ニハ一戸ニ付土地一万五千坪以内ヲ限リ無償下付スルコトヲ得
第四条
 北海道旧土人ニシテ貧困ナル者ニハ農具及種子ヲ給スルコトヲ得
第五条
 北海道旧土人ニシテ疾病ニ罹リ自費治療スルコト能ハサル者ニハ薬価ヲ給スルコトヲ得
第七条
 北海道旧土人ノ貧困ナル者ノ子弟ニシテ就学スル者ニハ授業料ヲ給スルコトヲ得
第九条
 北海道旧土人ノ部落ヲ爲シタル場所ニハ国庫ノ費用ヲ以テ小学校ヲ設クルコトヲ得

 この法律について、ネット検索していましたら、『コトバンク』というサイトの
『北海道旧土人保護法』
の解説集と出会いました。最後に、その中から最も充実している日本大百科全書(ニッポニカ)の解説文を全文転載することにします。

 1899年(明治32)に制定されたアイヌ政策に関する基本法。近代日本のアイヌ政策の特質は、アイヌの「日本人」化の強制と「日本人」社会からの排除という二重の差別構造を内在化した同化政策と規定できる。同法はそれを象徴するもので、アイヌの生活・文化に大きな影響を与えた。

 同法は13条から構成され、アイヌへの土地給与、農耕の奨励と初等教育の普及を通してアイヌを「開拓農民」に仕立てあげ、かつ「日本人」になるための教育を受けさせることを主目的としている。その基本理念は、同化主義の法的フィクションにすぎない「一視同仁」の天皇制思想に基づいていた。

 なかでも、「旧土人」小学校は、その第9条「北海道旧土人ノ部落ヲ為(な)シタル場所ニハ国庫ノ費用ヲ以(もっ)テ小学校ヲ設クルコトヲ得」を法的根拠として設立されたアイヌ児童の分離教育機関で、児童のみならず、アイヌ・コタン全体の同化中枢的機能を果たした。同小学校は全道に23校が設立されたが、そこでの教育の実態は、尋常小学3ヵ年で学ぶ程度の内容をアイヌ児童の「能力の遅れ」を前提に4ヵ年としたり、あるいはアイヌ語・アイヌ文化を教科目に取り入れなかったり、きわめて差別的な色彩が濃いものであった。

 「旧土人」という差別的呼称を冠した同法は、アイヌの「同化」とともに五度にわたる改正を経た。しかし、その存廃をめぐって北海道ウタリ協会は、1984年(昭和59)5月、現行法を撤廃し、それにかわる新法の素案としてアイヌ民族の権利保障を盛り込んだ「アイヌ民族に関する法律」(案)をまとめ、同協会総会で承認を得、北海道知事の私的諮問機関であるウタリ問題懇話会および北海道議会厚生常任委員会にそれぞれ付託され、その内容が審議された。

 また、国会では、1986年10月の中曽根首相のアイヌ民族の存在を否定する「単一民族国家発言」に対する当事者からの抗議を機に、同法の名称変更を骨子とする改正案を継続審議し、政府は同法の見直しを約束した。

 1994年(平成6)2月には、連立与党に「アイヌ新法」制定のためのプロジェクト・チームがつくられ、同年7月、萱野茂がアイヌ民族として初の国会議員(参議院議員)となり、懸案だった「北海道旧土人保護法」の廃止と「アイヌ新法」の立法化に向けての作業が進められた。97年5月8日、「アイヌ新法」正式名称は「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略称、「アイヌ文化振興法」)が、国会で成立、同年7月1日に施行され、これに伴い「北海道旧土人保護法」は廃止された。[竹ヶ原幸朗]

 次回から『岩波講座 日本歴史21』の第5章「戦時下の植民地」を読んでいきます。
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この記事へのコメント
お尋ね
表題にはアイヌシモリとありますが、文中の表現はアイヌモシリとなっています。どちらが本当なのでしょうか?
2018/04/24(火) 19:35 | URL | 石猿 #-[ 編集]
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