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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(18)

大日本帝国の植民地(1)

 大日本帝国の植民地の一つである朝鮮については「明治以降の日本と戦争」でかなり詳しく取り上げていますが、台湾と満州については実質的には殆ど触れていません。また太平洋戦争で侵略した植民地については全く触れることが出来ませんでした。そこで『岩波講座 日本歴史』の第5章「戦時下の植民地」を用いて学習しようと思っていましたが、この問題について盲点を一つ突かれました。

 『週間金曜日』が「―歴史の偽造には騙されない―明治150年を斬る」というシリーズを始めました。その第1回目は、成澤宗男さんが聞き手となり、原田敬一さんが語る形で進められています。テーマは「日清戦争を美化した『坂の上の雲』の誤り」(2018/3/9刊 1175号所収)でした。これについては
『日露戦争をめぐるフェイクニュース』
でちょっと触れる程度でしたが、取り上げています。いずれ必要ができたらこの論考を教科書として使わせて戴こうと思っています。

 「明治150年を斬る」の第2回目のテーマは『「松浦武四郎とアイヌモシリ侵略」 「北海道命名150年祝賀」に漂うコロニアリズム』(2018/3/23刊 1177号所収)でした。執筆者はフリーランス記者の平田剛士さんです。この論説に私は盲点を突かれたのでした。今思えば、
『沖縄に学ぶ』
を書いていた時も、私の問題意識にはアイヌモシリは全く抜けていました。今回から大日本帝国の植民地問題を取り上げることにしましたが、まず上記の論説を教科書として大日本帝国によるアイヌモシリの植民地化から始めようと思っていましたが、その前に植民地という観点から沖縄を再考しておこうと考え直しました。(これから取り上げようとしている事項が頭の中で入り乱れて構想がなかなかまとまりませんでした。ごめんなさい。)

沖縄への侵略と略取


 沖縄へのはじめの侵略は1609年に薩摩によって行われています。大日本帝国による侵略の始まりは、その170年後(1879年3月27日)に断行された、いわゆる「琉球処分」でした。

 現在進行中の辺野古新基地建設工事の住民無視の強行が象徴するように、沖縄はまさに植民地扱いされています。大日本帝国の植民地問題を考えるとき、沖縄はその一つとして私の念頭にありましたが、「明治150年」という観点から沖縄を論じている新聞記事を切り抜いておいたので、それを紹介しておきたいと思ったのです。その記事は東京新聞「日々論々」というコラムの「視点 沖縄から」という次の二つの記事です。


『明治維新受難の始まり(2018.3.2)』執筆者・比屋根照夫氏(ひやねてるお 琉球大名誉教授)

『加害認識欠く「明治150年」(2018.4.6)』執筆者・又吉盛清(まよしせいきよ 沖縄大客員教授)

 『沖縄に学ぶ』と重複する部分があるかもしれませんが、①・②の順で、全文を転載することにします。


明治維新受難の始まり

 国家の行事は、およそ時の政府の権力基盤の安定を目指して行われる。日本政府は今年の「明治維新から150年」を、日本の近代化を進化させた時代として高々とうたい上げ、地方と連携してさまざまな礼賛の行事を行っている。しかし、琉球・沖縄にとっての「維新150年」は、全く異なる深刻な意味を持つ。それは、犠牲の強要による受難の時間でしかなかつた、ということだ。

 1972年の復帰から46年。今も在日米軍専用施設の7割が集中している沖縄は、陸も空も海も、日米両政府によつて暴力的状況にさらされている。
 陸では、米軍による女性暴行・殺害事件や飲酒運転死亡事故が起き、空からは人の命をも奪いかねない米軍機の部品が落ちてくる。米軍機自体の墜落や不時着も相次 ぐ。名護市辺野古の海では、新たな米軍基地建設のための埋め立てが強権的に推し進められている。辺野古の海には古来、住民たちの命の糧を育んできた豊かな自然がある。それを守るため工事に反対する人々を、警察は物理的な暴力で平然と排除している。

 日本政府による沖縄の生命、自然、文化をないがしろにする行為、歴史をさかのぼれば、沖縄が長年にわたる独自の歩で築いた琉球王国を、強力な国権拡張主義の下で解体、併合した「琉球処分」を出発点とする。那覇出身の民俗学者で「沖縄学の父」とされる伊波普猷(いはふゆう)は明治末期、琉球処分は「土着の沖縄人を軽蔑すること其の極に達し」、沖縄人の本土に対する「新たな敵愾心」を起こさせたと弾劾。今こそ、日本の同化の強制という「旧物破壊、模倣の単純な社会」を脱して沖縄人としての自覚を目覚めさせ「旧物保存、模倣排斥』、すなわち自らの歴史と文化を重んじて日本同化から解放されるべきだと説いた。普猷と、普猷の実弟で文筆家の伊波月城(げつじょう 本名:普成(ふせい))らを筆頭とする明治の沖縄知識人は、自立・自存を追求し、明治政府に切実な抵抗を試みたのだ。

 彼らの国家主義、帝国主義に対する痛烈な批判と抗議は、西洋列強のアジア侵略に対しても繰り広げられた。フィリピンの独立運動、インドの反英闘争、中国の辛亥革命などに共鳴してのものだ。沖縄の明治維新は、こうしてアジアとの連帯を強めたことも大きな特徴だった。沖縄戦後の米軍統治下、抑圧の行政に抗する住民運動が高まったのは、このような歴史的背景があったからこそである。

 日本本土が謳歌した維新による『文明開化』は、沖縄にとってはまさに「苦い果実」以外の何物でもなかった。いま、問われているのはそのことだ。



加害認識欠く「明治150年」

 安倍政権が記念事業などにより称揚しようとしている「明治150年」とは、一体何か。

 内閣官房は「次世代を担う若者にこれからの日本のあり方を考えてもらう契機」であり、「明治期の人々のよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の強みを再認識し、日本の更なる発展を目指す基礎」にしたいという。  戦後、明治への再評価と賛美が高まったのは、1960年代だ。

日米安保条約が改定されて米国との間に従属的な軍事同盟が成立すると、国際的地位の向上など「日本大国論」が唱えられ、欧米諸国の侵攻をはね返したアジア唯一、最高の「近代文明国」として、明治期の日本の誇りが強調されるようになる。

 前後には、戦後の民主化に逆行する復古調の愛国心教育が重視され、侵略戦争と植民地支配の正当化が行われるようになる。

 改憲を信念とする岸信介首相からは「自衛のための核兵器保有は許される」との発言もあった。戦後日本の右傾化の始まりである。68年に政府は「明治100年」記念行事を挙行。「明治は世界的にも類例を見ぬ飛躍と高揚の時代、封建制度から脱却し勇気と勢力を傾けて近代国家建設に邁進した」と位置付けた。

 ここに欠如していたのは、アジア侵略と植民地支配に対する加害、責任の認識である。

 明治からの一世紀における最大の汚点は、日本国家が民衆を戦争から戦争へと引きずりまわし、大量死をもたらしたこと、東アジアの戦場にも、戦闘や虐殺により罪なき民の屍の山を築いたことにほかならない。

 この「国家死」の責任者は誰か。戦後の日本の総懺悔の中で「共同責任」であるかのようにして、軍人、政治家らの責任を主体的に追及することなく放免してきた。そのツケが、今日の憲法改悪、自衛隊の海外派遣、軍備強化に結び付いている。

 琉球沖縄にとって明治維新以降の歴史観は、決して本土側と一様ではない。

 「琉球併合」によって琉球王国が解体され、大日本帝国の植民地になると、沖縄には南方の防波堤から攻撃的な海外侵略、植民地支配の拠点として役割が与えられるようになる。

 「万国津梁(しんりょう)」(世界の架け橋)の精神をもって東アジアの海域を平和の民として生き抜いてきた琉球沖縄人が、台湾出兵や日清、日露、日中戦争を通して、東アジアの民衆を抑圧する加害者に転落したのである。

 筆者が主宰する「又吉学級」は19~20日、東京の中の琉球沖縄ゆかりの地などを訪ね、明治維新から150年の中で東アジア人がどう生きてきたかを考えることにしている。

 次回は大日本帝国によるアイヌモシリ侵略を取り上げます。
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