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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(9)

明治以降の日本と戦争(4)

最初の戦争[日清戦争](4)


( ブログの更新が五日間も出来ませんでした。ブログの管理ベージが23日に突然アクセス出来なくなってしまったのです。ブログ開設をさせて戴いているFC2さんに問い合わせて担当のスタッフさんと何度もやり取りをして、その御丁寧な対応のお陰で、昨日やっと元のようにアクセス出来るようになりました。)

 …ということで、ブログを再開します。前回は日本と朝鮮の貿易に関する「問題4」の紹介でした。その問題に対する板倉さんの解説を転載します。

〔初期の日本と朝鮮の貿易〕

 じつは、そのころの日本にも朝鮮にも、特別貿易したいものはなかったのです。日本が開国後欧米諸国、とくに英国から大量に輸入した木綿は、朝鮮でも自給自足体制にありました。もともと日本の木綿は朝鮮から輸入されたものだったのです。また、生糸は同じ東洋の国ですし………それなのに朝鮮の開国後、日本と朝鮮との貿易量は急速に増えました。どうしてでしょうか。

 じつは、日本の商船は、ヨーロッパから日本に輸入された衣料品―とくに木綿製品を再輸出したのです。そのころの朝鮮では木綿は自給自足していました。だから、英国製の木綿を買うことは必要ではありませんでした。本当は国内の産業を守るために関税を掛けたいところでした。ところが、日本との間の条約で、「関税はとらない」(注)ということに決められてしまったので、英国製の優秀な木綿製品がどしどし輸入されるようになってしまった、というわけでした。そこで、そういう問題がのちに「不平等条約」として問題になったのです。

(注:前回の「日朝修好条規」の第十一款で取り上げました。)


【補足】  自分の国で自給自足できているものでも、外国の製品のほうがずっと良質だったりずっと安かったりすると、大量に輪入されるようになります。 そこで、ふつうは〈保護貿易〉といって、輸入を禁止したり関税を高くするなどして、国内の産業を守るのが普通です。現在のアメリカの自動車産業や日本のコメの場合がそうです。しかし、そういうことが出来るのは〈関税自主権〉がある場合だけで、他の国の植民地同然になると、そういうことが出来なくなるわけです。


 さて、それでは、朝鮮が開国して間もないころ、日本が朝鮮から主に輸入したのは、どんなものだったのでしょうか。一一それは、コメと金の地金でした。

 幕末から明治初年には、不平等条約のうえ日本人の貿易に関する無知もあって、日本の金銀は欧米諸国にどんどん流出してしまいました。そこで、日本は朝鮮での日本の紙幣の流通を認めさせるなどして、朝鮮から金地金を日本に送ったといいます。

 また、米はのちのちまでも大切な輸入品になりました。日本で米が足りなくなると、朝鮮米がその不足分を穴埋めしてくれたのです。 1889(明治22)年には、朝鮮も不作で飢饉が起きそうだというので、朝鮮のある地方で米の輸出を禁止したことがあります。そのとき、日本は「条約違反だ」と主張して、朝鮮政府から賠償金を獲得しています。そんなことが重なって、朝鮮政府の自主権を認めない日本に対する反感が朝鮮の人々の間で高まることになったのです。

〔問題5〕
 日清戦争のあと、
①日本が最初に戦争したのはどこの国とで、
②それは日清戦争から何年ぐらい後のことだ、
と思いますか。また、
③当時のひと人はその戦争のことを何と呼んでいた、
と思いますか。

予想①
 ア.朝鮮(韓国)
 イ.清国(中国)
 ウ.ロシア(ソ連)
 エ.アメリカ(米国)
予想②
 ア.日清戦争から10年くらいあと。
 イ.日清戦争から20年くらいあと。
 ウ.その他。
予想③【      戦争】

 どうしてそう思いますか。知っていることを出しあってから、次の話を読みましょう。

第二の戦争[日露戦争](1)


 「問題5」についての解説は通りです。

〔〈日露戦争〉と〈征露丸〉の話〕

 日清戦争のあと、日本の政府が最初に宣戦を布告した国はロシア、いまのソ連で、それは, 1904(明治37)年のことです。ですから、日清戦争から数えてちょうど10年後ということになります。その戦争のことは、ふつう「日露戦争」といいます。当時「露西亜」と書いて「ロシア」と読ませるのがふつうで、「露」と書けば「ロシア」のことをさしていたからです。

 この戦争のことを、「三十七八年の戦役」ということもあります。この戦争は、明治37~38年にあったからです。日清戦争は「明治27~28年の戦役」ですが、今度は「明治37~38年の戦役」です。これを西暦に直すと, 1894~95年と1904~1905年ということになります。これは、ちょっと注意すると覚えやすい年です。どちらの戦争も、1900年の前後の「4、シ」つまり、「死の年」に起きているからです。

 ところで、この戦争のときも、「征露戦争」という呼び名がありました。あなたは、「正露丸」という胃腸薬の名を知っていますか。〈クレオソートを含有した腸内殺菌防腐剤〉で、腹痛、下痢などによく効く薬です。じつは、その「正露丸」を発案したのは軍医の河西健次という人で、日露戦争の〈戦場での胃腸薬〉として全軍に大量に配付されたのです。

 それでは、その薬はどうして「正露丸」と名付けられたか、分かりますか。一一そうです。その薬を作りだした人々は、それに「征露丸」と名付けたのです。その薬は評判がよかったので,日露戦争後も「征露丸」の名で売られました。しかし、今では、〈「征露」ではまずい〉というので、「正露丸」と改名したというわけです。いまでも「ラッパのマークの〈正露丸〉」と宣伝されていますが、そのラッパのマークも、もともとは〈病気に対する進撃ラッパ〉ではなく、ロシアに対する進撃ラッパのつもりだったのです。

 ここで「問題6」に入る前に、付録の「宣戦布告の詔勅」の「問題2」を取り上げることにします。
ふろくの問題2〕
 それなら,日露戦争のとき。日本はその宣戦布告の中で、その戦争の最大の理由はどんなことにある主張していたと思いますか。

予想
 ア.ロシアの軍隊が日本軍に攻撃を仕掛けたこと
 イ.日本の安全を維持するため。
 ウ.朝鮮=韓国や中国=清国を守るため。
 エ.その他の理由。

 どうしてそう思いますか。みんなの考えを出しあってから,次の文章(宣戦布告の勅語)を読んでみましょう。

( 宣戦布告の勅語は難解な語句が沢山得てきますが、日清戦争の時の勅語でふりがな・意味を注記した語句については注記を省きます。特に出だしの一節は殆ど同じ文です。)

宣戦布告の勅語一一(日露戦争)

 天祐を保有し万世一系の皇祚を践める大日本帝国皇帝は、忠実勇武なる汝有衆に示す。
 朕、ここに露国に対して戦を宣す。朕が陸海軍はよろしく全力を極めて露国と交戦の事に従うべく、朕が百僚有司はよろしく各々その職務に率い,その権能に応じて国家の目的を達するに努力すべし。凡(およ)そ国際条規の範囲に於いて一切の手段を尽し、遺算[いさん=誤算]なからんことを期せよ。
 おもうに文明を平和に求め,列国と友誼〔ゆうぎ=友情〕を篤(あつ)くして,もって東洋の治安を永遠に維持し、各国の権利利益を損傷せずして永く帝国の安全を将来に保証すべき事態を確立するは,朕つとに以て国交の要義となし,旦暮〔たんぼ=朝夕〕あえて違(たが)わざらんことを期す。朕が有司もまた能く朕が意を体して事に従い,列国との関係年をおうて益々親厚におもむくを見る。いま不幸にして露国と釁端〔きんたん=不和のいとぐち〕を開くに至る。あに朕が志(こころざし)ならんや。
 帝国の重きを韓国の保全に置くや一日の故に非ず。これ両国累世(るいせい)の関係に因(よる)のみならず,韓国の存亡はじつに帝国安危の繋る(かか=つなぐ〕所たればなり。然るに露国は,その清国との盟約および列国に対する累次の宣言にかかわらず依然満洲に占拠し,益々その地歩を鞏固〔きょうこ=強固〕にして,終にこれを併呑〔へいどん=一つに合わせ従える〕せんとす。
 もし満洲にして露国の領有に帰せんか,韓国の保全は支持するに由なく,極東の平和また素より望むべからず。故に朕は,この機に際し,切に妥協によりて時局を解決し,もって平和を恒久に維持せんことを期し,有司をして露国に提議し,半歳(はんとし)の久しきにわたりて屡次〔るじ=しばしば〕折衝(せっしょう)を重ねしめたるも,露国は一日も曠日〔こうじつ=日をむなしくすること〕彌久〔びきゅう=久しきにわたり〕徒(いたずら)に時局の解決を遷延〔せんえん=のびのびにする〕せしめ,陽に平和を唱道〔=先にたっていう〕し,陰に海陸の軍備を増大し,もって我を屈従せしめんとす。およそ露国が始めより平和を好愛するの誠意なるもの毫〔ごう=すこし〕も認むるに由(よし)なし。露国はすでに帝国の提議を容れず,韓国の安全は方(まさ)に危急に瀕(ひん)し,帝国の国利は将(まさ)に侵迫(しんぱく)せられんとす。
 事すでにここに至る。帝国が平和の交渉に依り求めんとしたる将来の保障は,今日これを旗鼓〔きこ=旗と太鼓〕の間に求むるのほかなし。朕は汝有衆の忠実勇武なるに倚頼し,速やかに平和を永遠にし,もって帝国の光栄を保全せんことを期す。
御名御璽
  明治37年2月10日

(続きは次回で)
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