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明治150年、何がめでたい(8)

明治以降の日本と戦争(3)

最初の戦争[日清戦争](3)


宣戦布告の詔書

 〈天祐〔てんゆう=天のたすけ〕を保全し万世一系の皇祚〔こうそ=天子の位〕を践(ふ)める大日本帝国皇帝〉は、忠実勇武(ちゅうじつゆうぶ)なる汝有衆〔なんじゆうしゅう=人民〕に示す。
 朕、ここに清国に対して戦(たたかい)を宣(せん)す。朕が百僚有司〔ひゃくりょうゆうし=多くの官吏〕はよろしく朕が意を体し、陸上に海面に清国に対して交戦の事に従い、もって国家の目的を達するに努力すべし。いやしくも国際法にもとらざる限り、おのおの権能に応じて一切の手段を尽くすに於いて必ず遺漏(いろう)なからんことを期せよ。
 おもうに朕が即位以来ここに二十有余年、文明の化を平和の治(ち)に求め、外国に構うるの極めて不可なるを信じ、有司〔=官吏〕をして常に友邦の誼(よしみ)を篤(あつ)くするに努力せしめ、幸いに列国の交際は年をおうて親密を加う。何ぞはからん、清国の朝鮮事件における我に対して着々隣交(りんこう)にもとり信義に失するの挙(きょ)にいでんとは。
 朝鮮は、帝国がそのはじめに啓誘〔けいゆう=啓発して導く〕して列国の伍伴〔ごはん=仲間〕につかしめたる独立の一国たり。而(しか)して、清国はつとに自ら朝鮮をもって属邦と称し、陰(いん)に陽(よう)にその内政に干渉(かんしょう)し、その内乱あるにおいて口を属邦の拯難〔しょうなん=難儀を救うこと〕にかり、兵を朝鮮に出したり。朕は、明治十五年の条約〔=済物浦さいもっぽ条約〕により兵を出して変に備えしめ、さらに朝鮮をして禍乱(からん)を永遠にまぬがれ治安を将来に保(たも)たしめ、もって東洋全局の平和を維持せんと欲し、先(ま)ず清に告(つ)ぐるに、協同ことに従わんことをもってしたるに、清国は飜(ひるがえ)って種々の辞柄〔じへい=いいぐさ〕を設けこれを拒(こば)みたり。帝国は是(これ)において朝鮮に勧むるに、その秕政〔ひせい=成熟しない政治〕を釐革〔りかく=改革〕し、内は治安の基(もとい)を堅くし、外は独立国の権義〔けんぎ=権利・義務〕を全くせんことをもってしたるに、朝鮮はすでにこれを肯諾〔こうだく=承諾〕したるも、清国は終始陰(いん)に居(い)て百方その目的を妨害し、剰(あまつ)さえ〔=おまけに〕辞(ことば)を左右に托(たく)し時機を緩(かん)にし、もってその水陸の兵備を整え、一旦(たん)成るを告ぐるや直ちにその力をもってその欲望を達せんとし、さらに大兵を韓土(かんど)に派(は)し、わが艦を韓海(かんかい)に要撃(ようげき)し、ほとんど亡状〔ぼうじょう=無法〕を極めたり。すなわち清国の計図〔けいと=計略〕たる、明らかに朝鮮国治安の責をして帰するところあらざらしめ、帝国が率先してこれを諸独立国の列に伍せしめたる朝鮮の地位はこれを表示するの条約とともにこれを蒙晦(もうかい)に付し、もって帝国の権利利益を損傷し、もって東洋の平和をして永く担保なからしむるに存するや、疑うべからず。つらつらその為すところについて深くその謀計(ぼうけい)の存するところを揣(はか)るに、じつにその始めより平和を犠牲(ぎせい)としてその非望を遂(と)げんとするものと謂(い)わざるべからず。
 事すでにここに至る。朕、平和と相終始してもって帝国の光栄を中外(ちゅうがい)に宣揚(せんよう)するに専(もっぱ)らなりといえども、また公(おおやけ)に戦を宣(せん)せざるを得ざるなり。汝有衆(なんじゆうしゅう)の忠実勇武に倚頼〔いらい=依頼〕し、速かに平和を永遠に克復(こくふく)し、もって帝国の光栄を全くせんことを期す。
 御名御璽(ぎょめいぎょじ)
  明治27年8月1日

 この詔書から、板倉さんは日本が主張した日清戦争開戦の理由は次の通りであったと解説している。

 どうですか。なんとか読めたでしょうか。
「日本は朝鮮を開国させて、朝鮮を独立国としてもりたてているのに、清国は朝鮮を従属国として、その独立を認めずに干渉するのは怪しからん」
といい、さらに、
「清国は、日本が朝鮮に獲得した権益を侵している」
と非難しているわけです。

 なお、最初に「大日本帝国皇帝」とあって、「天皇」となっていないことに気づいた人もあるでしょう。じつは明治以後1936(昭和11)年まで、多少とも対外的文書では、日本の天皇は「皇帝」の名を称していたのです。

 本論に戻ろう。

前回の〔征韓論と朝鮮開国〕に次の記述があった。
『日本は欧米諸国に習って朝鮮に軍艦を送り,<日朝修好条規〉を結ばせて開国させたのです。 1876年のことです。』

 まず、ここに出てきた<日朝修好条規〉を読んでおくことにします。『史料集』からの転載です(第十二款からなる条規ですが、この条規の重要部分を示す一部だけが掲載されています。また旧漢字を新漢字に改め、難読文字にふりがなを、さらに句読点を付記しています)。


日朝修好条規

第一款
朝鮮国ハ自主ノ邦(くに)ニシテ、日本国ト平等ノ権ヲ保有セリ。嗣後(じご)兩国和親ノ実ヲ表セント欲スルニハ彼此(ひし)互(たがい)ニ同等ノ礼義ヲ以テ相接待シ毫(ごう)モ侵越猜嫌(しんえつさいけん=注1参照)スル事アルヘカラス。……
(注1:侵略しねたみきらうこと)

第八款
嗣後日本国政府ヨリ朝鮮国指定ノ各口(かくこう=注2参照)ヘ時宜(じぎ)ニ隨(したが)ヒ日本商民ヲ管理スルノ官(=領事)ヲ設ケ置クヘシ。若シ両国ニ交渉スル事件アル時ハ該官(がいかん)ヨリ其所ノ地方長官ニ会商(かいしょう=会合して協議すること)シテ弁理(べんり=弁別して処理すること)セン
注2:各港=釜山ほか。第五款で「通商に便利なる港口二箇所」の開港が規定され、のちに元山・仁川となった

第十款
日本国人民、朝鮮国指定ノ各口ニ在留中、若シ罪科(ざいか)ヲ犯(おか)シ朝鮮国人民ニ交渉スル事件ハ、総(すべ)テ日本国官員(かんいん)ノ審断(しんだん)ニ歸スヘシ。若(も)シ朝鮮国人民罪科ヲ犯シ日本国人民ニ交渉スル事件ハ、均シク朝鮮国官員ノ査弁(さべん=調べ弁別する)ニ歸スヘシ。尤(もっとも)双方トモ各(おのおの)其国律(こくりつ=国法)ニ拠(よ)リ裁判シ、毫モ回護袒庇(かいごたんひ=注3参照)スル事ナク務(つと)メテ公平允当(じゅうとう)ノ裁判ヲ示スヘシ。
注3:かばい守ること。自国人民の不利にならぬようにするの意。

第十一款
両国既(すで)ニ通好ヲ経(へ)タレハ、別ニ通商章程ヲ設立シ兩国商民ノ便利ヲ与(あた)フヘシ。且(かつ)現今議立セル各款(あくかん)中更(さら)ニ細目ヲ補添(ほてん)シテ以テ遵照(じゅんしょう)ニ便ニスヘキ條件共、自今六ヶ月ヲ過スシテ両国別ニ委員ヲ命シ、朝鮮国京城又ハ江華府ニ会シテ商議定立(注4参照)セン。
(注4:この既定に基づき、8月24日に「条規付録」「貿易規則」が決められるが、「付録」に「付属するおうふく文書」で関税廃止を強要した。

 日本は朝鮮に軍艦を送り,<日朝修好条規〉を結ばせて、無理矢理朝鮮に開国をさせたのですが、本文の話題はその後の日本と朝鮮との関係に関する事項が主題です。その取っ掛りとして次の問題が出されています。

〔問題4〕
 1876年に日本が朝鮮を開国させてから5年間というもの,日本は朝鮮と独占的な貿易をしました。日本と朝鮮とは江戸時代にもほそぼそと貿易していたのですが,開国以後その貿易額も急速に増えています。

 それなら,そのとき,日本の商船は朝鮮にどんなものを輸出したと思いますか。また,朝鮮からどんなものを輸入したと思いますか。次の中からそれぞれ二つずつ選んでみて下さい。

予想
 ア.食料品一米・麦,海産物・その他。
 イ.衣料品一羊毛・木綿やその製品・染料など。
 ウ.鉱産物一金・銀・銅・硫黄・石炭など。
 エ.工芸品一陶器・扇子など。
 オ.機械類一理化学機械・生産機械・車など。

日本から朝鮮に輸出…(1)【 】 (2)【 】

朝鮮から日本に輸入…(1)【 】 (2)【 】

 〔ヒント〕一一一一1876~1881 (明治9~14)年と言えば,日本も明治維新以後まだ10年あまりしかたっていません。日本はどんなものを輸出したくて,またどんなも のを輸入したかったのでしょう。
 日本の場合,幕末からこのころまで,欧米諸国からもっとも大量に輸入したのは,「衣料品」の木綿製品と羊毛製品でした。木綿は江戸時代には自給自足していたのですが,欧米の機械木綿のほうがずっと良質で安かったからです。一方,日本からもっとも大量に輸出したのは,生糸と蚕卵紙(さんらんし=カイコの卵)でした。

 次回に続く
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