2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(7)

明治以降の日本と戦争(2)

最初の戦争[日清戦争](2)


 前回の記事で「日清戦争」が「征清戦争」とも呼ばれていたということを私は初めて知った。「清国を征伐する戦争」という意味と解説されていたが「日清戦争の本質を示している真っ当な呼び方であると、私は思った。 このことは後に再度取り上げることになるかもしれない。

 では次の問題に進んでみよう。
 〔問題2〕
 日清戦争のとき、主要な戦場となったのは,どの国の領土だったと思いますか。二つ○をしてもよい。
 ア.日本の領土
 イ.清の領土
 ウ.日本でも清でもない(     の領土)

 どうしてそう思いますか。みんなの考えを出しあってから、次の話を読みましょう。

 〔問題2〕についての解説

〔日清戦争の戦場〕

 日清戦争のとき,日本の国土はまったく戦場となりませんでした。清の領土のうち、朝鮮に接する遼東半島は戦場になりました。しかしもっとも主要な戦場となったのは、日本でも清でもない朝鮮でした。日清戦争のとき日本軍の戦死(即死)者数は364人でしたが,そのうちの216人は朝鮮で戦死しているのです。つまり、日清戦争のときの主な戦場というと、朝鮮(と清国)ということになります。

 この戦争のとき、朝鮮は「朝鮮王国」という独立国でした。いったい、その朝鮮はその戦争のとき、どちらの側についてどちらの国と戦争したのでしょうか。

 じつは、日本も清国も、「朝鮮を助ける」と称して勝手に朝鮮に入り込んで相互に戦ったので、朝鮮は「その一方に味方して他方と戦った」ということにはなっていないのです。

日清戦争の戦場

〔問題3〕
 それなら、その後、日本は、朝鮮(韓国)と戦争したことがあるでしょうか。正式に宣戦布告をして戦争したものだけについて予想して下さい。

予想
 ア、 朝鮮・韓国と戦争したことがある。
 イ、 朝鮮・韓国と戦争したことなない。
 〔問題3〕についての解説

〔日本と朝鮮(韓国)との関係〕

 昔…江戸時代になる少し前,日本の豊臣秀吉は「朝鮮征伐」といって,朝鮮を侵略したことがあります。しかし明治以後の日本は朝鮮(韓国)に宣戦布告をして戦ったことはありません。

 もっとも,明治以後,日本軍は何度も朝鮮に攻め入って,朝鮮軍と戦闘しています。けれども,それを<事件>とか〈事変〉と呼んで,正式な<戦争〉とは呼ばなかっただけとも言えるのです。

 明治以後の日本の戦争の歴史を理解するには,日本と朝鮮(韓国)の関係の歴史を知っておくことが必要です。そこで,簡単に見ておくことにしましょう。

〔征韓論と朝鮮開国〕

 1873(明治6)年には,明治維新を実現した新政府の人たちの間で,「朝鮮(韓国)を征伐しろ」という「征韓論」が盛んになったことがあります。じつは,当時は「朝鮮王国」というのが正式な国名でした。しかし,日本人は昔から,このお隣の半島の国のことを「韓(から)の国」とも呼んできたので,〈朝鮮〉も〈韓〉も同じ意味に使われてきたのです。

 1873年の「征韓論」のときは,さいわい戦争は沙汰やみになりましたが,それから間もなく,日本は朝鮮に開国をせまることになります。

 じつは,朝鮮は江戸時代の日本と同じく,長い間,他の国々と国交をもたずに〈鎖国〉していたのです。日本は,米国のペリー艦隊に軍事的な圧力を加えられて,しぶしぶ〈日米和親条約〉を結んで開国したのでしたが,朝鮮の開国に当たって米国のペリー艦隊の役割を演じたのは日本の艦隊だったのです。日本は欧米諸国に習って朝鮮に軍艦を送り,<日朝修好条規〉を結ばせて開国させたのです。 1876年のことです。

 日本の場合,〈日米和親条約〉は日本にとって不利な「不平等」な条約だったので,その後の日本は大きな政治変革の時代を迎え,明治維新が起きました。ところが,朝鮮の場合も,その条約は朝鮮側にとって不利な不平等条約だったので,その後大きな反対運動が起き,さまざまな政変が起きました。 1882年には反日本暴動が起きて,日本の公使館が襲撃され,公使が逃げ帰るという事件も起きました。そのとき,日本はまた朝鮮に圧力を加えて,〈必要に応じて日本軍を朝鮮に派遣する権利〉を得たのです。

 日清戦争のとき,日本はしきりに,「朝鮮は独立国だ」と主張しました。しかし,それは朝鮮の独立を尊重するためではなく,清国が朝鮮に大きな影響を及ぼすことに反対するためでした。それまでの朝鮮は長い間,清帝国の属国のようになっており,日本軍の干渉に困った朝鮮は,清国の軍隊に助けを求めたので,日本軍と清国軍が衝突したことがあったからです。清国の軍隊も日本の軍隊と同じように朝鮮に勝手に侵入して争うことになり,ついには日清戦争に発展したというわけです。

 板倉さんは[はしがき]で『「戦争は何故起きたか」……という問題には直接ふれないことにして,戦争の事実だけを取り上げて……』授業書を進めていこうと宣べていました。

 ところで、巻末に<ふろく>として「宣戦布告の詔勅」を掲載していて、その<ふろく>の冒頭の解説で、上の[はしがき]の記述の続きと考えられることを次のように述べています。

 戦争が起きる理由は,いろいろに考えることができます。しかし,ここではそういう憶測はやめることにして,「日本が外国に戦争を仕掛けたとき,どういうことをその理由として挙げていたか」という事だけを調べることにします。背後の事情はともかくとして,〈日本が宣戦を布告した表向きの理由〉を調べようというのです。それには,その戦争をはじめるときに政府が天皇の名で出した「宣戦布告文」を調べるのが一番でしょう。そこでくふろ<〉として,日清戦争・日露戦争・大東亜戦争のときに日本の政府が天皇の名で出した〈勅語〉を紹介することにしたわけです。

 もちろん,宣戦布告文というのは,一方の側の「正義の主張」ですから,そこにいくら正義らしいことが書いてあっても,それが正しいと考えてはなりません。相手側にもそれなりの理由があるわけですしどちらも表には出さない・あるいは両者ともが気づいていなかった本当の理由というのもあるのかも知れません。そういうことはともかくとして,「日本側が当時どういう正義を主張していたか」ということだけを見ようというのです。

 このように述べて、次のような問題を提出しています。
〔問題〕

 それなら,日清戦争のとき,日本はその宣戦布告文の中で,その戦争の最大の理由はどんなことにあると主張していたと思いますか。

予想
 ア. 清国の軍隊が日本軍に攻撃を仕掛けたこと。
 イ. 朝鮮における日本の利益を擁護するため。
 ウ. 朝鮮の独立を助けるため。
 エ. その他の理由。

 どうしてそう思いますか。みんなの考えを出しあってから,そういう点にとくに注意して,次の文章を読んで下さい。
 「次の文章」というのが日清戦争の時の宣戦布告の勅語です。これまでのように『史料集』から転載しようと思っていたのですが、板倉さんが
「これらの勅語はとても読みにくいので」と,本文のカタカナをひらがなに変え、難解漢字にはふりがなのほかに意味・解説などを付したものを掲載しているので、それを読むことにします。(次回に続く)
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