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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(6)

明治以降の日本と戦争(1)

 半藤一利さんと保阪正康さん対談『「薩長史観」を超えて』を参考にカテゴリ「明治150年、何がめでたい」を始めたのですが、前回で『対談』を読み終えました。これで一区切り、このカテゴリを終わりにしようと思っていたのですが、もうしばらく続けることにしました。そのわけは…

 久し振りに本棚を眺めていたら『ミニ授業書 日本の戦争と歴史 明治以降の日本と戦争(板倉聖宣・重弘忠晴著 仮説社 1991年3刷版)というB6判の小さな本が目に止まりました。すっかり忘れていました。懐かしい。多分、中学生か高校生だった子供の読み物として購入したのだと思います。著者の板倉さんについては、10年ほども前の記事
『唯物論哲学 対 観念論哲学(2):番外編・私の師匠』
で紹介しました。その板倉さんが仮説実験授業という理科の楽しい授業書を開発していて、それを社会科にまで取り入れています。その一例「おかねと 社会 ─政府と民衆の歴史」を
『今日の話題:「オセト」のたよりもたえはてた』
で取り上げてその授業書の最終問題を紹介しました。私が久し振りに出会った「日本の戦争と歴史」はそうした社会科授業書の一つです。

 ところで、私がこの本を購入したのは1991年と17年も前のことです。今は絶版になっているのではと調べましたら、1993年に「 社会の科学入門シリーズ 日本の戦争の歴史―明治以降の日本と戦争 」という書名で再出版されていましたが、内容説明が「〈明治以後の日本の戦争の歴史的事実〉だけを取り上げたものです。」となっていて、ページ数も約1.6倍もあるのでミニ授業書の増補版あるいは改訂版というところでしょうか。もしかしたら授業書形式ではないかもしれません。(なお、これを調べている過程で、板倉さんが先月の七日に亡くなられていることを知りました。板倉さん、いろいろと学ばせて戴きました。これからもいろいろとお世話になります。ご冥福をお祈り致します。)

 ということで、「明治150年、何がめでたい」の総集編という意味で、手元にある『ミニ授業書 日本の戦争と歴史』(以下、『ミニ授業書』と略記する)を、生徒になったつもりで楽しみながら、読んでいくことにしました。一緒に楽しんで戴ければ幸いです。なお[はしがき]で板倉さんは「戦争は何故起きたか」という問題には直接触れないことにすると書いていますが、私の判断で、その問題について補足して行こうと思っています。

 では、まずは[はしがき]を読んでおきましょう。

〔はしがき〕

 この授業書は,<明治以後の日本の戦争の歴史的事実〉を話題にしたものです。
 戦争の歴史というと,「戦争は何故起きたか」ということが問題になりますが,そういう問題はすぐに党派的な話題になりがちで,すべての人々に十分納得してもらうことは困難です。そこで,この授業書では,そういう問題には直接ふれないことにして,戦争の事実だけを取り上げてあります。そのほうが戦争を冷静に考えることができて,自分なりに戦争の本質を考えるのにもいいと考えたからです。一度付き合ってみて下さい。

 はじめ私は。この授業書を作るには,<私自身がすでに知っている知識を文献的に確認をとってまとめれば十分だろう>と考えていました。ところが,多くの人々が気になりそうなことを〔問題〕に仕立てて,その答えを明確にするために調べてみたら,それまで私自身も知らなかった事実が次々と出てきました。そこで,この授業書は,「日本の戦争の歴史についてはかなり知っているつもり」という人々にとっても新しい基本的な事実がかなり含まれているとおもいます。
 それだけに,この授業書ははじめのねらいよりも少し欲張りすぎているような気もしないでもありません。そして,〈日本の戦争についてまるで知らない〉という人々には不親切なところもあるのではないか,と恐れています。目標としては,ごくごくふつうの大人,それと高校生・中学生が話し合いながら読みすすめられるようにしたいと考えています。
 この授業書では,<日本の明治以後の戦争の基本的な性格を浮き上がらせることのできるような基本的な事実〉だけにしぼって話をすすめるように努めたつもりです。しかし,先を急ぐあまり,その原則を踏み越えてしまったところもあるのではないか,と恐れています。

 この授業書は,仮説会館で開いている「授業書・総合読本開発講座」の成果として,まとめられたものです。そこで,この授業書を作るに当たっては,多くの人々の考えを取り入れることができました。最終的には,その講座参加者のうちこの問題にとくに関心と知識のある重弘忠晴さんにとくに協力して頂いてこのミニ授業書をまとめることになったのですが。その他大勢の方々,とくに「この前の戦争のことがどうもよく分からなくて」と話題を提供して下さった佐々木敏夫さんに感謝いたします。
            板倉 聖宣 (1989.10.3.)

最初の戦争(1)

 では、授業を始めましょう。
 なお、授業書が「今・いま」と言っているのは「ミニ授業書」が書かれた1989年を指しているので、全ての「いま」を2018年と読み替えて転載していきます。
 〔問題1〕
 明治維新(1868年)以後、
①日本が最初に戦争したのは、どこの国とで、
②それは今から何年ぐらい前のことだと思いますか。
 また,その戦争のことを
③当時のひとは何と呼んでいたと思いますか。

予想①
 ア.朝鮮(韓国)
 イ.清国(中国)
 ウ.ロシア(ソ連)
 エ.アメリカ(米国)

予想②
 ア.いまから130年くらい前のこと。
 イ.いまから110年くらい前のこと。
 ウ.いまから80年くらい前のこと。

予想③ 【     】戦争

 どうしてそう思いますか。
 知っていることを出しあってから,次の話を読みましょう。

 〔問題1〕についての解説

〔〈日清戦争〉または〈征清(せいしん)戦争〉の話〕

 明治維新以後、日本の政府が最初に宣戦を布告した国は清、いまの中国で、それは、 1894 (明治27)年のことです。ですから、いま(2018年)から数えると124年まえ、つまり「ほぼ130年前のこと」ということになります。

 その戦争のことをふつう「日清戦争」といいます。戦争が始まって間もなく、浅草座では「日清戦争」という劇を演じましたし、『日清戦争実記』という本も出始めました。しかし、当時の人々は、必ずしもそう呼んではいなかったようです。
 たとえば、当時ドイツに留学していた若い物理学者・長岡半太郎は, 1895年1月に日本に向けた手紙の中で、その戦争のことを「征清事件」と書いています。それだけではありません。当時の日本の議会の記録にも、この戦争のことを「征清事変」と呼んだことが残っています。また、戦争が終わった直後の1895年9月には、「征清戦史」という表題の本も出版されています。
 当時は、政府もこの戦争の呼び名を正式に決めていなかったのでしょう。その後も、「日清戦争」という呼び名のほかに、「明治二十七八年の戦役」という呼び名が広く用いられています。

 「征清戦争」とか「征清事変」というのは、「清国を征伐する戦争」という意味の言葉です。「桃太郎が<鬼を征伐しに〉鬼が島に行った」というのと同じで、「悪者をこらしめるために戦争した」というわけなのです。すべての人が「征清」という言葉を使ったわけではないようですが、当時の人々はその戦争をそんな気分で見ていたのでしょう。

 次回に続く。
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