2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
明治150年、何がめでたい(5)

薩長藩閥が牽引していった日本の戦争

 『対談 4(最終回)』の表題は「教訓」で、司会者はまず次のように問題提起をしている。

 北朝鮮による弾道ミサイル発射や、核実験など軍事挑発が続いています。安倍政権は安全保障環境の厳しさを強調しています。

 対談は半藤さんの発言から始まっている。

石油禁輸は危険

半藤
 北朝鮮に元に戻れというのは無理でしょう。昭和史を勉強すればするほど分かるが、ある程度のところで凍結して話し合うべきだ。一番やってはいけないのは石油を止めること。旧日本軍のように「だったら戦争だ」となる。そういう教訓があるんだから、話し合いの席に導き出すような形に早くするべきで、いわんや安倍さんが言うように圧力一辺倒なんてとんでもない話だと思います。
保阪  半藤さんの議論に基本的に賛成なんですが、あえてもうひとつ別な視点を付け加えると、弾圧する側とされる側は、かなり相似形の組織をつくる。今の北朝鮮は、かつて日本の軍国主義が植民地にしていたわけで、金日成の統治は日本のまねをしているという感じはしていました。「絶対王政」が二代三代と続き腐敗していく中で、最終的に人民反乱が起きるのは歴史の教訓なんだけども、今のところ起こりそうもないですね。

司会者
 国際社会の歴史から教訓は得られますか。

半藤
 日本が1931年に満州事変を起こすのですが、その直前の29年に世界恐慌が起きて、それまで世界の平和をリードしていた米国が、アメリカファースト(米国第一)になって内向きになった。欧州各国も続き、日本はチャンスだと満州事変を起こした。同じことを今やっているんですよ、世界は。

対話ルート必要

保阪
 2002年、小泉純一郎元首相が訪朝しました。「行って話をしてくる」という姿勢を示したのは、一つの見識だったと思う。話し合いのルートをつくっていかないと。それさえ拒否するとなると、戦争しかないという方向を許容するのか。そういうことになるんだと思うんです。

 ちょっと横道へ
 北朝鮮問題に関しては、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の妹、金与正(キムヨジョン)党宣伝扇動部第一副部長ら北朝鮮の代表団が平昌(ピョンチャン)冬季五輪の開会式に合わせて、2月9日に韓国入りした時を皮切りに、望ましい方向に動き始めた。その後、この動きは更に進み、3月12日の東京新聞(朝刊)が次のような記事を掲載している。
【ワシントン=後藤孝好】
トランプ米大統領は10日、東部ペンシルベニア州ピッツバーグ近郊で演説し、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長との首脳会談について「私はすぐに立ち去るかもしれないし、席に着いて北朝鮮を含めた世界の全ての国にとって最高のディール(取引)を成し遂げるかもしれない」と述べ、非核化実現に期待感を示した。
 トランプ氏は北朝鮮が自ら対話を求めてきた経緯を紹介した後、「オバマ前大統領やブッシュ元大統領、クリントン元大統領にはできなかったことだ。もっと早く対処されるべきだった」と最大限の圧力の成果を強調。
「北朝鮮はミサイルを発射しないと言った。多くのミサイルが上空を飛び越えた日本はとても喜んでいる」とも語った。
 その上で「北朝鮮は米国との和平を望んでいるだろう。その時期が来たと思う」と指摘。平和条約の締結などトップ同士の直接交渉による核・ミサイル問題の解決に意欲を見せた。
 正恩氏からの首脳会談の要請を受け入れて以降、トランプ氏が公の場で話すのは初めて。

 このことを報道している日刊ゲンダイの記事は、アベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相の北朝鮮への圧力一辺倒という愚かな対応策と絡めてそれを辛辣に批判している。紹介しておこう。
『米朝会談ツマはじき 盟友に見限られた安倍首相は完全孤立』

 『対談 4』に戻ろう。
司会者
 戦争を始めても終わらせることは難しい。

保阪
 開戦前の大本営政府連絡会議で戦争終結に関する腹案というのが了承されてます。主観的願望を客観的事実にすり替えている内容で、これが戦争前の日本のすべての判断の根幹にありました。エリート軍人は無責任で、まったく国民のことを考えていない。多くの軍人に会い、官僚の体面の中で始められた戦争だということを徹底的に知った時、彼らは日本の伝統や倫理、物の考え方の基本的なところを侮辱したんだ、その責任は歴史が続く限り存在するんだということを次の世代に伝えたいですね。
半藤
 この年になって「世界史のなかの昭和史」という厚い本を出します。海軍中央にいたのは全部、親独派です。親米派はおん出されている。親独派はほとんどが薩長出身者です。ほんとなんですよ。陸軍も親独派はだいたい薩長です。戦争をやめさせた鈴木貫太郎(終戦当時の首相)は関宿(せきやど)藩、三国同盟に反対した元首相の米内光政(よないみつまさ)は盛岡藩、元海軍大将の井上成美(しげよし)も仙台藩で、薩長に賊軍とされた地域の出身者です。日米開戦に反対した山本五十六(いそろく)も賊軍の長岡藩。賊軍の人たちは戦争の悲惨さを知っているわけですよ。だから命をかけて戦争を終わらせた。太平洋戦争は官軍が始めて賊軍が止めた。これは明治150年の裏側にある一つの事実なんですよ。
=おわり
(この連載は瀬口晴義、荘加卓嗣が担当しました)

 お二人の最後の発言内容はどちらも大事な指摘だと感じ入っている。

 なお、保阪さんの発言の中の「戦争終結に関する腹案」に興味を持ったので調べてみた。「大本営政府連絡会議」でネット検索をすると沢山の記事がヒットした。そのうちの一つ
『大本営政府連絡会議、「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」決定』
という記事の内容を紹介しよう。  腹案の主観的願望の道筋は
「ドイツがイギリスを降伏させる → アメリカ国民が戦意を失う → 枢軸国の勝利」
であるとまとめ、その方針を「腹案」から引用している。
方針
一、
速やかに極東における米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立すると共に、更に積極的措置に依り蒋政権の屈服を促進し、独伊と提携して先ず英の屈服を図り、米の継戦意志を喪失せしむるに勉む。
二、
極力戦争対手の拡大を防止し第三国の利導に勉む

 この腹案について、ブログ作者の「taro」さんは次のように語っている。
『戦争は、始めるよりも終わらせる方がずっとむずかしい。 それは、けんかの経験などから子供にでもわかることだろう。 国力10倍の大きな国を相手に戦争を始めようというとき、 国には戦争終結プランがなければならぬと思うのだが、あのときの日本はどうだったのだろうか。 実はこの「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」がその唯一のもの。 しかも、この文書は開戦決定のわずか半月前に作成された。 この事実を知ったとき、taroは背筋には冷たいものが走った。 ちなみに、この「対米英蘭戦争終末促進に関する腹案」で頼みとしたドイツがモスクワ攻略を断念したのは12月8日、 つまり、時差はあるが日米開戦当日の出来事だ。 開戦と同時に唯一の戦争終結プランが崩壊。ああ。』
 最後にtaroさんは、保阪さんの著書「東條英機と天皇の時代(上)」からの次の文を引用している。これはそのまま転載しておこう。

 11月15日、連絡会議は「対米英蘭戦争終末促進ニ関スル腹案」を決定した。 ここに並ぶ字句には、不確かな世界に逃げこんだ指導者の曖昧な姿勢が露骨にあらわれていた。 二つの方針と七つの要領があり、方針には、極東の米英蘭の根拠を覆滅して自存自衛を確立するとともに、 蒋介石政権の屈服を促進し、ドイツ、イタリアと提携してイギリスの屈服をはかる、 そのうえでアメリカの継戦意思を喪失せしむるとあった。 この方針を補完するために、七つの要領が書き加えられていた。 そこにはイギリスの軍事力を過小評価し、ドイツに全幅の信頼を置き、アメリカ国民の抗戦意欲を軽視し、 中国の抗日運動は政戦略の手段をもって屈服を促すという、根拠のない字句の羅列があった。 願望と期待だけが現実の政策の根拠となっていたのである。

 なお、『日本の歴史年表』というサイトの
『対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案編集する』
という記事では、「腹案」の全文を読むことが出来るので紹介しておこう。
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