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明治150年、何がめでたい(4)

天皇って、何だ?

 『対談 2』の最後で保阪さんが「天皇問題」に言及していたが、『対談 3』はそれを受け継ぐ形で、明治時代から現在に至るまでの「天皇」問題の推移をテーマとして取り上げている。まず司会者は次のように問いかけている

明治憲法下の天皇の位置付けは?
 『対談 2』で半藤さんは「西南戦争までの間は、天下を長州が取るか、薩摩が取るかという権力闘争でした。」と語っていたが、今回の対談ではまず半藤さんが発言をしているが、西南戦争後の薩長の国づくりに関わる違いを語った上で明治憲法下の天皇について述べている。

半藤
 西南戦争が終わってから新しい国づくりを始めたときに、プロシア(ドイツ)かぶれの山県有朋や周りを囲んでいた優秀な官僚が軍事国家体制をつくります。明治憲法が発布される1889(明治22)年より10年も先にです。歴史に「もし」はありませんが、大久保利通が暗殺されていなければ、こうはならなかったと思います。英仏米などを歴訪し、軍事を政治の統制下に置く、今で言うシビリアンコントロールを学んでいましたから。憲法が制定される前から、日本は軍事国家として歩き出していたんですね。


 山県は長州出身、大久保は薩摩出身である。つまり、軍事主導体制で帝国主義的な道を推し進めていったのは長州藩閥だったということになる。『対談 3』には注として山県と大久保の履歴が記載されているのでそれを転載しておこう。

山県有朋
 1838~1922年。幕末~大正期の軍人、政治家。長州出身で、松下村塾に学ぶ。維新後は西欧の軍制を学び徴兵制の導入に尽力。天皇制の下での軍人の心構えを説いた「軍人勅諭」を起草させた。首相辞任後も元老として大きな影響力を持った。

大久保利通
 1830~78年。薩摩出身。西郷隆盛とともに討幕運動の指導者となり、新政府では全国の藩が所有していた土地と人民を朝廷に返還する版籍奉還などを主導し中央集権体制を構築した。77年には西南戦争を鎮圧したが、批判的な士族に暗殺された。

 半藤さんの発言は次のように続く。

 だから、憲法の中心に天皇を置くのと同じように、軍事のトップに大元帥としての天皇を置いたわけです。明治憲法で天皇と軍事を扱う項目は大ざっぱにいうと二つだけです。「天皇は陸海軍を統帥する」「陸海軍の編成と予算を決定する」。大元帥陛下をトップに立て、一方に憲法の定めるところの内政と外交を主に見る天皇陛下がいる。天皇と大元帥の二つが一つの人格の中にあった、と考えると非常に分かりやすい。

 大日本帝国憲法は1889(明治22)年2月11日に発布さてた。この憲法は7章76条から成るが、第一章が天皇条項で17条もある。つまり全条項の4.5割が天皇条項なのだ。 その中から「天皇と大元帥の二つ」規定している条文を抜粋しておこう。
第一章 天皇

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス…
第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第一二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第一三条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第一四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス…

 このような絶対主義天皇制国家を打ち立てた背景には、もちろん支配階級の自由民権運動の高まりへの大いなる危機感があった。自由民権運動の中の重要な運動の一つとして「憲法草案の起草」が各地で行われていたが、中でも、千葉卓三郎起草の「五日市憲法案」と植木枝盛起草の「東洋大日本国国憲按」が名高い。この二つの国憲案については『大日本帝国の痼疾(82)』
の中の「自由民権運動(36)―抵抗権」で取り上げている(興味があれば参照して下さい)。今回は『史料集』に「東洋大日本国国憲按」の一部が掲載されているので、それを転載しよう。
東洋大日本国国憲按

第一条 日本国ハ日本国憲法ニ循テ之ヲ立テ之ヲ持ス
第五条 日本ノ国家ハ日本各人ノ自由権利ヲ殺減スル規則ヲ作リテ之ヲ行フヲ得ス
第四十二条 日本ノ人民ハ法律上ニ於テ平等トナス
第四十三条 日本ノ人民ハ法律ノ外ニ於テ自由権利ヲ犯サレサルヘシ
第四十九条 日本人民ハ思想ノ自由ヲ有ス
第五十条  日本人民ハ如何ナル宗教ヲ信スルモ自由ナリ
第七十条  政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハサルコトヲ得
第七十一条 政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得、政府威力ヲ以テ擅恣暴逆ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器ヲ以テ之ニ抗スルコトヲ得
第七十二条 政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ妨クルトキハ、国民ハ之ヲ覆滅シテ新政府ヲ建設スルコトヲ得
第七八条 皇帝ハ兵馬ノ大権ヲ握ル、宣戦講和ノ機ヲ統フ……
第百十四条 日本連邦ニ関スル立法ノ権は日本連邦人民全体に属す
(牧野伸顕文書)

 日本を連邦制として皇帝に行政権を認めるものの、立法権は人民がにぎるという主権在民説を第百十四条で明確にし、第七十一条で抵抗権を明記している。このように明治憲法とはまったく異なる憲法構想が存在していたのだった。

さて『対談 3』の続きを読もう。司会者は天皇問題を次のように進めている。

来年四月末に天皇陛下が退位し、明治以降、四つ目の元号である平成も終わりを迎えます。
 これに対しては保阪さんから発言で始まっている。
平成は政治と災害

保阪
 平成のキーワードは「天皇」と「政治」と「災害」だと思っています。55年体制が崩壊し、衆院に小選挙区比例代表並立制が導入され、阪神大震災が1995(平成7)年に起きました。今の陛下は二つの側面を持っています。戦没者の追悼と慰霊という公的行為は昭和の清算。もうひとつは象徴天皇という形を何のサンプルもない中でつくったことです。

半藤
 昭和天皇は幼少期から軍人教育を受け、11歳で陸海軍少尉になった。軍人なんですよ、根は。44歳の時に戦争に負けて象徴天皇になったといっても、どういう天皇であるべきかは残念ながらなかなか理解できなかったと思います。
国民の痛み理解

 それを受けた現在の天皇陛下は、私より三歳下ですが、十一歳の時に戦争に負けて自分の戦争体験はなくても、国民がいかに悲惨な目に遭ったかをよく知っているんです。象徴天皇とは何かを、おやじさんから教えを受けたわけではないんです。皇后さまとともに真剣に考えてつくりあげていったと思うんですね。
 かなり歴史を勉強されている方ですから、軍事国家の大元帥、ならびに天皇というのは、どうにでも使われちゃうから危険だということを分かっていると思います。自分は国民統合のために一番良いと思う象徴天皇の形をつくった。これを何とか残し、次の時代も続けることが、皇統を守るためにも一番良い、元気なうちに皇太子さまに譲って、それを見届けたいというのが、今度の退位の動機でしょう。

保阪
 自民党の改憲草案は、天皇を元首と位置づけています。天皇自身の意思を考えず、政治家の都合のいいように扱っていいのか。山県や伊藤博文がやった明治憲法と同じじゃないかと指摘できます。意思なんか持つな、存在するだけで良い、というなら、それはそれで論理は成り立つけど、天皇陛下は「それは嫌だ」と2016年8月のビデオメッセージで明かしたわけだから、根本にあるものは黙視できる問題ではありません。
 半藤さんも保阪さんも現天皇に対して大変好意的な理解を示している。

 私は皇族には基本的人権がないという点で気の毒に思っている。天皇問題は憲法にその核心があるが、その観点からは
『憲法について』

で取り上げている。
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