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昭和の15年戦争史(57)

戦後史概観(3)

 GHQの占領政策に基づいて戦後の改革が遂行されたが、その改革には限界があり、現在に至るまでさまざまな未解決問題が残されている。前回を引き継いで藤原さんは「民主改革の限界」と「日米安保体制の問題点」を論述している。

3 民主改革の限界

 連合国の日本占領は、形式的には対日戦に参加した連合諸国とくに極東委員会を構成した10ヵ国、対日理事会を構成した4大国の日本占領であった。しかし実質的にはドイツのような分割占領ではなくアメリカ一国の単独占領であったから、占領政策はアメリカの極東政策に決定的に影響された。そのことは戦後改革にも大きく作用し、日本の民主化・非軍国主義化にも一定の限界をもたらすものとなったのである。

 改革のなかでももっとも影響を受けたのは財閥解体であった。アメリカの対日政策がアメリカ資本主義の強力な立場を背景にして、その政策原理に基づいて決定されたことは、とくに日本の経済政策に影響を与えた。しかも第二次大戦後の米ソの冷戦の激化を理由として、アメリカの対日政策自体が大きく転換して行く中で、もっともその影響を受けたのは経済政策であった。

 ポツダム宣言は、日本に維持を許す産業から「再軍備を可能ならしむべき産業」を除外していた。厳密に言えばこれはきわめて厳しい工業の制限である。また当然のこととして日本からの賠償のとりたても行うこととしていた。占領政策の初期の財閥解体や賠償工場の指定は一応この線にそうものであった。しかしこの政策はいずれもきわめて不徹底にしか行われず、時日の経過とともにそれすらも後退を続けた。
 49年5月、賠償のとりたて中止をアメリカ政府が発表し、日本を「極東の工場」として再建する方針を明確にしたことによって、日本のブルジョアジーをアメリカの同盟者として再建強化する方向は確定したのである。

 改革に一定の枠をはめ、これをブルジョアジーの許容できる限度内に押しとどめようとする努力は、日本の支配層によっても占領のはじめから続けられていた。敗戦は日本のファシズム権力に決定的な打撃を与えたが、権力内部の力関係においては無傷で残り、相対的に地位を向上させたのはブルジョアジーであった。そしてこれも無傷で温存された官僚勢力を自己の代理人とし、占領体制下でのブルジョア独裁への地歩を着々と固めていったのである。ブルジョアジーは自己に有利な改革は積極的に推進し、不利な改革は徹底的にサボタージュした。たとえば農地改革は、食糧危機を回避して労働力の再生産を確保するとともに、植民地の喪失、貿易の途絶という状況のなかで国内市場を開拓し新たな蓄積構造を作りあげるためであった。戦前においては地主的土地所有は日本の資本主義の再生産構造のために必要とされたものであったが、状況の変化によって弊履の如く捨て去られたのである。

 これに反して財閥解体は、新たな独占段階においては桎梏となってきた財閥本社を中心とするコンツェルンを解体して、大企業のトラストによる経済の独占的支配をはかるためにのみ利用された。そして財閥家族の持株の公開は、大衆の資金を資本に繰り入れ、大企業の相互の株式の持合いによる完全な企業支配への道を開くものとなった。その上で、占領政策の転換にともなう、独占資本の再編=再建の道がスタートしたのである。

 民衆運動が歴史の主役として登場したことは前述のように改革の大きな成果であったが、その内容を検討すると、いくつかの問題点を残していた。
 第一に敗戦以後の運動の発展が、内的な必然性をもった歴史の上に築かれたものでなく、多分に占領軍によって奨励され援助されて発展したことである。このため運動内部にはアメリカ軍を解放軍と見、アメリカ帝国主義の本質を見失っていたために、占領政策の転換に対応できず、運動の一時的後退を余儀なくされた。
 第二に戦前の運動の遺産を優劣ともにひきついだため、戦前の特質であった戦線の分裂をそのまま戦後に持ちこし、重要な局面でしばしば敗北の原因を作った。
 第三に戦後の労働組合の結成にあたり、戦前からの経緯とくに産業報国会の枠をとりはらうことができず、原則として企業別組合の形態をとったことである。これは労働者に階級意識よりも企業への帰属意識を優先させる結果となった。しかもこの傾向は、戦後経済の高度成長のなかでいよいよ助長されていったのである。

4 日米安保体制の問題点

 1951年9月8日、サンフランシスコにおいて調印された対日平和条約と日米安全保障条約は、一応日本の占領に終止符を打つものではあったが、その後現在に至るまでの日本を規定する大きな問題をその中に含んでいた。

 まず講和条約は、全交戦国との講和ではなく、アメリカとその与国との間だけの片面講和であり、もっとも重要な交戦国であった中国をはじめ、ソ連・インド・ビルマなどを除外したものであった。現在に至るまで中国・ソ連とは講和条約が結ばれず、戦争は完全に終っていないという不自然な状態が続いているのである。また講和のための不可欠の要件である領土や賠償を未解決のままに残し、これも現在まで残された問題となっている。またこの講和条約は軍事条項に大きな問題を含んでいる。占領軍の撤退に但し書きを設けてアメリカ軍の駐留を継続する道を開き、日本が軍事的な同盟に加入することを認め、日本の再軍備にたいする制限を規定しないなどの、日米安保条約を前提とした不完全な講和条約であった。

 この講和条約と不可分のものとして結ばれた日米安保条約こそが、その後の日本の地位と進路を決定したものであった。この条約は前文とわずか5ヵ条の本文とから成っている点で、かつて「満州国」の日本への従属を規定した1932年9月の日満議定書を彷彿とさせるものであった。この条約は名目は安全保障であるが実質は日満議定書と同じ不平等な軍事同盟条約であったということができる。日本はアメリカ軍に無期限・無制限の駐留権を与え、日本は自国の軍備強化の努力を約束させられている。また駐留アメリカ軍は、日本への武力攻撃だけでなく、内乱や騒擾の鎮圧、極東における平和維持のために出動するという広範な任務をもち、極東の問題で日本が戦争に巻きこまれるという危険を持つものであった。さらに駐留アメリカ軍のための基地や演習地、日本政府が提供する役務などはすべて政府間の行政協定にゆだね、条約では一切の制限が記されていないという問題があった。しかも条約の失効はアメリカ政府の認定が必要であるという不平等な規定が存在していた。

 この両条約によって、講和発効後の完全な独立は期待できず、政治的・軍事的なアメリカにたいする従属関係が固定されたのである。このサンフランシスコ体制=日米安保体制は、1960年の安保条約の改定にもかかわらず、基本的には現在まで続いている。

 この体制は現在の日本国民に、今もなお解決を要する重要な課題を残している。

 第一は日本が主権国家として完全に自立していないという問題である。この体制のもとで、日本は政治的にも経済的にも密接にアメリカに結びつき、半ば従属した関係から脱け出すことはできない。とりわけ重大なのは、軍事的には完全にアメリカの戦略体系の中に日本の軍事力が組み込まれているという事実である。自衛隊の編成、装備、教育、訓練をはじめとして、その作戦計画に至るまでが、日米共同作戦を前提として計画実施されていることである。日本の防衛予算も、装備兵器も、さらに国民にとってはまったく未知の仮想敵国やそれとの作戦計画もアメリカ軍事当局の諒解なしには決定できないのである。1975年8月、日米首脳会談で防衛協力のための新機関の設置が合意されたが、この日米協力体制は、アメリカの極東戦略の一環に完全に日本が組み込まれることを意味している。しかもこのさいの指導権は完全にアメリカであると言ってもよい。

 第二の課題は、現在の日本国民がこの体制のゆえに知らないうちに戦争に巻きこまれる危険にさらされているということである。日米共同作戦体制は、在日米軍の行動に自動的に自衛隊が連動する体制である。在日米第五空軍は韓国までをその管轄範囲にしているが、同時に航空自衛隊と航空警戒管制を一体化している。このことは38度線の発火が、日本の迎撃戦闘機やミサイルを即刻戦闘に巻き込む体制である。自動化されたボタン押し戦争の今日、名目上の自衛隊の指揮官である内閣総理大臣や防衛庁長官の知らない間に、米軍人の押したボタンで自衛隊が戦闘行動に突入するという危険をはらんでさえいるのである。

 現在の日本国民は、日米安保体制によって平和と独立の脅威にさらされているという重大な課題を背負わされている。この解決こそが、現代史の持つもっとも重要な問題であると言えよう。

 私は上の論考に関連したことをいろいろなところで書いていますが、それを詳論している過去記事を紹介しておきます。

「3 民主改革の限界」について
 私は現在において民主主義国家と呼ばれている国家は、正確には全てブルジョア民主主義国家であると考えている。そのことを
『民主主義とは何か』
で取り上げています。

「4 日米安保体制の問題点」について
 ずばり!
『米国の属国・日本』
で詳論しました。
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