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昭和の15年戦争史(56)

戦後史概観(2)

 カテゴリ『昭和の15年戦争史』の総まとめとして、『岩波講座 日本歴史22 現代1』の序説三「現代史の課題」を読むことにする。
<管理人注>
私が用いている『岩波講座 日本歴史』は1977年4月22日発行の第一刷版である。「現代1」の序説の執筆者は藤原彰(当時、一橋大学社会学部教授)さんで、2003年に亡くなられている。


現代史の課題

1 日本降伏の特色

 第二次大戦における日本の敗戦の形態は、同じ敗戦国であったイタリアやドイツとも、第一次大戦の敗戦国であったドイツ、オーストリアとも、まったく異なった特徴をもっていた。その第一は、降伏にいたる経緯のなかで国内の対立や分裂がおこらず、支配層の交代なしに戦争が終結したことである。

 イタリアでは1943年7月、反ファシスト連合がムッソリーニ政権をクー・デターによって打倒し、バドリオ政権を樹立して9月連合国に無条件降伏し、さらに10月にはドイツに宣戦した。さらに北イタリアでは、ドイツ占領軍とファシスト国民政府にたいし、共産党からキリスト教民主党にいたる労働者、農民、プチブル、一部の大ブルジョアまでの統一戦線が形成され、激しいレジスタンス運動を展開し、自らの功で解放を勝ちとったのである。
 ドイツにおいても、反ナチスの地下運動は続けられ、支配層内部でもヒトラーに不満をもった軍部が1944年7月のヒトラー暗殺未遂事件をひきおこした。ヒトラーとナチス指導部は、連合国のナチズム根絶の強い決意と、国内の反ナチス勢力のたかまりから、絶望的な抗戦を続け、文字通り最後までたたかって完全に潰滅したのであった。イタリアでもドイツでも、戦争を推進した支配勢力は、敗戦の時点で完全に排除されるか消滅していたのである。また第一次大戦の場合も、ドイツとオーストリアは革命によって戦争を終らせたのであったから、連合国中のロシアの場合とともに、支配層は当然交代していた。

 これらに此べて日本は、国内における反戦・反体制の運動が表面化することは最後までなかった。戦局の不利とともに極限まで徹底した国民支配体制は、一切の自主的運動の存在を許さなかった。国民の中に支配者にたいする不満と反感は増大していたが、国民の個々人までを権力が掌握し、分断して支配する体制のもとでは、不満や反感を組織化する方法がなく、自発的な運動がおこる余地がなかったのである。

 国民の動員と統制のための完璧な画一組織の下で、表面的には最後の瞬間まで支配体制の動揺はおこらなかった。またその体制を維持したままに敗戦をむかえることが、支配層の最大の関心であり、そのためにのみ降伏の時期が延ばされさえしたのである。

 自主的な運動や組織の消滅は、支配層内部にさえおよんでいた。もちろん支配層内部の矛盾や対立は存在していたが、すべてを戦争遂行に集中する戦争指導体制の下で、この矛盾や対立は顕在化する余地さえなかったのである。したがって降伏の方法をめぐる指導部の対立さえ、まったく密室のなかの争いに終始し、一種の宮廷陰謀によって結着がつけられただけであった。このため日本の敗戦は、戦争を開始し推進した支配層の手によって行われたのである。

 第二の特徴として、イタリアやドイツの完全無条件降伏とは違って、日本の場全はポツダム宣言という降伏の条件を提示されてこれを受諾したという降伏の形態をとったことである。もちろんポツダム宣言は日本軍隊の無条件降伏を要求している。しかし無条件なのは軍隊の降伏であって、形式的には国家としての日本は、ポツダム宣言という条件を受け入れて降伏したのであった。連合国軍による日本全土の占領、一切の軍事力の解体、天皇を含む日本の権力の連合国占領軍への従属などというポツダム宣言の諸条項からみて、日本の降伏は実質的には無条件降伏であるとする説も成り立ち得るが、それらはすべて宣言に明記された条件中に含まれており、宣言を受諾することによってもたらされた結果にすぎない。ドイツやイタリアとは違って、日本は条件付きの降伏をしたという事実には変りはないのである。ポツダム宣言は、これを受け入れた日本を拘束すると同様に、この条件を提示し、宣言に署名した連合国の4大国(米・英・中・ソ)をも拘束するものであった。宣言に示した諸条項の厳正な実施が連合国に課されていたのである。すなわち宣言中にも、日本国政府に実施を要求する条項のみならず、産業の維持、原料の入手、貿易への参加、占領軍の撤収などの連合国側の義務ともいうべき条項も含まれていた。このことは日本の敗戦の形態を大きく規定したことはいうまでもない。

 第三の特徴として前二項とも関連して連合国の日本占領が、日本政府の統治機構をそのまま利用する間接統治となったことを挙げなければならない。ドイツのような占領軍による直接の軍政が施行されず、日本の行政機構はすべてそのまま継続して機能を続けたことが、戦後の日本を大きく規定したということができる。当初アメリカは日本にたいする軍政の施行を準備し、軍政要員を訓練し、軍票も印刷して上陸してきた。しかし旧支配体制の温存を願う日本政府の第一の対応は、軍政を拒否し、間接統治がもっとも能率のよい占領方式であり、日本の行政機構が占領軍への協力の面でも民衆にたいする支配の面でも何よりも優れていることを占領軍に納得させることであった。

 以上のような日本の敗戦形態における特色は、日本の現代史を規定する大きな要因となっている。そしてこの特色が、「二 現代史の起点」で述べたようなファシズムと戦争にたいする批判の不十分さ、戦争責任のあいまいさとなって現在に及んでいるのである。現代史の課題は、まさにこの点の克服にあるというべきであろう。

2 民主改革の意義

 敗戦は天皇の神的権威を一挙に失墜させたが、それ以上に天皇制の維持温存をはかる勢力にたいする強烈な打撃となったのは、1945年10月4日占領軍司令官マッカーサーの第一の指令として出された天皇にたいする批判の自由、政治犯人の釈放、思想警察の廃止、内務大臣・特高警察官の罷免を要求する覚書きであった。これにはじまる占領軍による民主改革は、日本の政冶制度に決定的な変化をもたらすものとなった。改革はさらに経済や社会の制度におよび、その内容の深さと大きさにおいてかつてない大改革が行われたのである。

 この戦後の民主改革は、日本歴史の上において、短期間に行われた変革としては明治維新とならぶ重要な歴史的意義をもっている。改革の第一の意義は、専制権力としての天皇制が解体されたことである。ファシズム期に極限にまでたかめられていた天皇信仰は、先の指令につづき、歴史修身教育の禁止、国家と神道との分離、天皇の人間宣言、さらに敗戦によって生じた天皇神話の崩壊によって消滅した。天皇の政治的地位は、最高の統治権者から新憲法の象徴に後退し、国民主権の原則が宣言された。さらに天皇制を支える物質的な基礎であった地主的土地所有は、農地改拡によって基本的に解消した。天皇制を支える社会的な基盤となっていた家父長制的家族制度も法制上は廃止された。これによって天皇制は、神的権威としても、専制権力としても解体されたのであり、このことは日本歴史上特筆すべき変革であったということができる。

 第二にこの改革は、ファシズムの基盤であった軍国主義思想と軍部に大きな打撃を与えた。ポツダム宣言は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を軍国主義にあるとし、軍隊の解体と軍需産業の廃止、軍国主義勢力の除去を要求していた。当初のアメリカの占領政策も日本の非軍事化を目ざしていたから、改革の前半は軍国主義排除に力が注がれた。この結果、旧日本軍隊は解散し、新憲法は戦争の放棄と軍備の不保持を重要な原則とした。国民の中にも反戦平和思想が根をおろし、一方ファシズムに反対する基本的人権の擁護と民主主義の原理が定着していったことをあげなければならない。

 第三の特徴として、この改革の結果、労働者階級を中心とする人民諸階層の政治的地位が高まり、体制の変革を目指す政党が政治の表舞台に登場して重要な役割を演ずるようになったことを挙げなければならない。戦前においても日比谷焼打事件や大正政変のときのように民衆が政治の舞台に登場したことはあったが、それはあくまでも主役ではなく、ブルジョアジーの指導の下に動員された部隊としてであった。しかし戦後は民衆自身が主役として政治の表面にあらわれ、歴史を動かす文字通りの原動力としての役割を演ずるようになったのである。そして社会党や共産党のように、体制の変革と新しい社会の建設を目ざす政党が公然と活動し、政治社会の主役となったこともこの改革の結果であり、日本の歴史上はじめてのできごとであるといえよう。

 もちろん人民が権力を掌握し、社会党や共産党が社会主義をめざす政権を打ち立ててはいない。しかしそのような政権樹立が政治日程に上り、1947年にはきわめて不完全なものとはいえ社会党を首班とする保守革新の中道政権が樹立されたことは、戦前には考えられない大きな変化であった。

 このように改革の政治的側面を重視すれば、この改革が歴史上にもつ画期的意義が明らかである。しかし社会経済構成の変化は、政治のようにドラスティックにすすむものではなく、この点で経済的側面を重視する立場からの改革のもつ戦前との連続性を強調する見解も生れるのである。

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