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昭和の15年戦争史(54)

戦後処理(4)

 マッカーサーは「対日講和会議の開催が手続にかんする各国の意見の対立から遅れていること」を指摘して、これを「極めて重要な未解決の問題」の一つとして挙げていたが、朝鮮戦争の勃発によって講和を期待する動きが強まり、サソフランシスコ平和条約が東西対立激化の中で講和条約が1951年9月8日にサンフランシスコで調印された。その条約は「サンフランシスコ講和条約」と呼ばれている。

 サンフランシスコ講和条約は日本と48ヵ国との間で調印され、前文と7章27条よりなる。日本の全権は吉田茂首相で、11月28日に批准している。マッカーサーが「…手続にかんする各国の意見の対立から遅れている」と危惧していたが、次のように調印しなかったり、ボイコットされた国があったことがその危惧を裏付けている。
 ソ連・ポーランド・チェコスロバキアは参加したが調印せず。
 中華人民共和国と中華民国は会議に招かれず、
 インド・ビルマ・ユーゴスラビアは会議に招かれたが、参加しなかった。

 このサンフランシスコ講和条約の第1章~第3章を『史料集』から転載しておこう(一部の条項が省かれている。また必要に応じて小文字で<注>を付した。

  第一章 平和

第一条
(a)
 日本国と各連合国間との戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b)
 連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。

  第二章 領域

第二条
(a)
 日本国は、朝鮮の独立を承認して、斉州島、巨文(こぶん)島及び欝陵(うつりょう)島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原<権利の原因、権利発生を法律上正当とする根拠>及び請求権を放棄する。
(b)
 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c)
 日本国は、千島列島並びに日本国が1905(明治38)年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。<千島・樺太の放棄を規定しているが、帰属を決めていない。ヤルタ協定に基づいてソ連が領有権を主張している。>

第三条
 日本国は、北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦岩(そうふいわ)の南の南方諸島(小笠原群島、西ノ島及び火山列島を含む)、並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案<アメリカは結局このような提案をしなかった>が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする<日本は残存主権を持つものと諒解された>

  第三章 安全

第五条
(a)
 日本国は、国際連合憲章第2条に掲げる義務、特に次の義務を受諾する。
(b)
 連合国は、日本国との関係において国際連合憲章第2条の原則<加盟国の主権平等等の原則。国際紛争を平和的手段によって解決するなど7点>を指針とすべきことを確認する。 (c)
 連合国としては、日本国が主権国として国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有すること及び日本国が集団的安全保障取極を自発的に締結することができることを承認する。

第六条
(a)
 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基づく、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とんまたは駐留を妨げるものではない。<この条項を根拠に日米安全保障条約が締結された。この条約発効により占領軍は駐留軍になった>

 この条約の問題点を挙げてみよう。
 条約の第二条(a)で朝鮮の独立は明記されているが、日本が主権を放棄した台湾・千島・樺太などの帰属が明らかにされていない。また第三条で、沖縄・小笠原は理由も不明確なままアメリカの施政権下に置かれることとなり、沖縄・小笠原などの帰属問題がその後も長く尾を引くことになった。第六条(a)では独立後占領軍は撤退することになったが、但書で安保条約への道が開かれている。ポッダム宣言の規定からいけば軍備の制限、平和の保障などがあるべきだが、これらの条項は平和条約にはなかったが、第一条により戦争が終結し、形式的には日本の主権が回復され独立国家となった。

 サンフランシスコ講和条約と同時に日米安全保障条約(前文と5条よりなる。 翌年4月28日に発効)が調印された。何故か。勿論アメリカの都合による。
 アメリカは冷戦の展開と朝鮮戦争を通じて、日本の戦略的地位の重要性を感じ、米軍の駐留と日本の再軍備を不可欠と考えるようになったが、それを講和条約に組み込むことは困難なので、別個の日米安保条約を成立させたのだった。この条約の第1条から第3条を転載する。

 日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約)

第一条
 平和条約及びこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍及び海軍を日本国内及びその付近に配備する権利を、日本国は許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、並びに、一又は二以上の外部の国による教唆又は干渉によって引き起された日本国における大規模の内乱及び騒じょうを鎮圧するため、日本国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することができる。

第二条
 第一条に掲げる権利が行使される間は、日本国は、アメリカ合衆国の事前の同意なくして、基地、基地における若しくは基地に関する権利、権力若しくは権能、駐兵若しくは演習の権利又は陸軍、空軍若しくは海軍の通過の権利を第三国に許与しない。

第三条
 アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその付近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する。

 まず、第1条でアメリカは駐留権はもつが、日本の安全保障に対する義務は負わず、内乱・騒擾にアメリカ軍の力をかりることができるとされた。これは国内問題にアメリカ軍が介入することであり、大変な問題である。
 第二条ではアメリカの同意なしに軍事に関わる条約を他国と結ぶことができないとした。全くの属国扱いである。
 第三条で駐留軍の最大限度をはじめとする「配備を規律する条件」は行政協定で決めるとして条約には既定がなかった。行政協定は1952年2月28日に調印された。この協定により、アメリカは日本国内に基地を要求する権利を持ち、日本は駐留軍費用分担の義務を負うことになった。これはアメリカ軍に広範な基地設営の特権を供与するものであり、今日に至るまでのさまざまな基地問題をひきおこす大元となった協定であった。

 さて、平和条約が成立、翌1952年4月発効すると、GHQの指令やポッダム政令であった団体等規制令などの治安法規は失効するため、政府は新たな治安立法として「破壊活動防止法」の制定(7月21日公布)をはかった。4月28日条約発効直後におこった5月1日の皇居前メーデー事件も、破防法成立に拍車をかけたと考えられる。その第1条は次の通りである。

第一条
 この法律は、団体の活動として暴力主義的破壊活動を行った団体に対する必要な規制措置を定めるとともに、暴力主義的破壊活動に関する刑罰規定を補整し、もって、公共の安全の確保に寄与することを目的とする

 この法律は「暴力主義的破壊活動」を行う団体を取り締まり、「破壊活動」調査のための公安調査庁の設置も含んでいた。しかし、これが戦前の治安維持法のように拡大解釈され、憲法の保障する言論・出版・思想の自由や結社の自由さえ制限する危険が強いとして労働組合のストや知識人・学生などの広範な反対運動かおこされた。

アベコベ軽薄姑息うそつきオカルト首相は「戦後レジームからの脱却」などどほざいているが、「戦後レジーム」とはどういう意味なのか全く知らないようだ。強行採決をした「共謀罪」法は「破壊活動防止法」の完成法律じゃないか。これじゃ「「戦後レジームの完成」じゃないか。
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