2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15年戦争史(50)

降伏文書調印式(2)

 降伏文書調印の日本代表重光が天皇への内奏に際してしたためた案文を掲載する。
                        臣 葵
 大命を奉じ将に東京湾上米艦に到り、天皇及日本政府を代表して降伏文書に署名調印せんとす。之に依ってポツダム三国宣言の受諾は正式に確定する次第にして、今後日本及日本国民上下の忍苦は長期に亘りて極めて深刻なるものあるべし。聯合軍は既に上陸を開始し空海は急速に其の管理に帰しつつあり。
 ポツダム宣言なるものは其の内容は概括的にして其の運用は敵側の意図如何によって伸縮の余地多し。若し占領軍に於て我方の誠意に疑問を有つに至らは、事態は直に悪化し其の結果は計り知り得ざるものあり。
 一旦受諾したる義務を忠実に履行することは、国際信義の上より当然の事なるのみならず、此の当然の義務を最も明瞭に誠意を以て果すや否やは今後我国の死活の懸る岐るる所となれり。
 而して我の受諾したるポツダム宣言なるものの内容を検するに、今後の日本を建設する上に於て何等支障となるものを含まざるのみならず、過去に於て犯したる戦争の過誤を将来に於て繰返さざるべき重要なる指針を包蔵す〔る〕ものなり。
 蓋し帝国今日の悲境は畢竟帝国の統治が明治以来一元的に行われざりし点に其の源を発せることを認めざるを得ず。
 天皇の御思召しは万民の心を以て基礎とせられ、陛下が国民の心を以て心とせられることは我々の日常拝承せる処にして、一君万民は日本肇国以来の姿なるが、何時の間にか一君と万民との間に一つの軍部階級を生じ、陛下の御意は民意とならず、民意は又枉げられ、国家全体の充分関知せざる間に日本は遂に今日の悲運に遭遇せり。
 若し日本が将来一君万民の実を挙げ、陛下の御心を国民の心とし、国民の意のある所を以て陛下の御思召しとなすに於ては肇国の姿は還元せられ、ポツダム宣言の要求する民主々義は実現せらるべし。言論、宗教、思想の自由と云い、基本的人権の尊重と云い、総て我国本然の精神に合する次第で、明治維新に依って已に其の実現の巨歩を進め、今日は更に其の完成に邁進すべき時に到遂せる次第なり。
 然れども、今日は明治当初とは世界の情勢を異にし、我敗戦の規模は未曾有の事に属す。而已(のみ)ならず、戦勝を以て我に臨むものは単に民主々義国たる米英等に止まらず、共産主義国たる蘇聯をも含む。現に蘇聯が民主々義の名の下に欧亜の諸国を実力を行使して共産蘇聯化しつつある政策は、已に余りに世人の耳目に顕著なり。此点に於て今帝国は内外に亘りて長く危局に面する次第なり。
 帝国は宜しく活眼以て世界戦後の新情勢を洞察して、国を挙げて更始一新、勇断、邁進、明治当初に倍する革新的努力を以て、デモクラシ社会に進出するに非〔ざ〕れば、恐らく外に対して国際的に進路を開拓するに由なく、内国民をして萎縮退嬰せしめ、遂に国家として将来の希望を喪失するに至るべし。
 仍(より)て今日に於てポツダム宣言の忠実確乎たる実施によって国際信用の回復を期し、他方国民精神の高揚を計り、新時代の要求に副う新日本の建設に対し新たなる決意を要すと思考せらる。

 この案文に沿った内奏が行われた。降伏文書調印式に臨む手記は次のように続く。


 陛下は記者のメモによる内奏を御聴取りになり、力強く、外務大臣の言葉は完全に朕の意に叶うものである。其の精神で使命を果して貰い度い。と仰せられた。之れで記者も愈々万事、心用意は整った訳である。
 鈴木前内閣総辞職の際、迫水〔久常〕書記翰〔官〕長の取り計いと見え、記者を貴族院議員に推薦任命されたが、記者は今日専心終戦の任に当って他を顧みることが出来ぬのみならず、已に上奏をもなした如く終戦に依って日本の更始一新を要する機に臨み、日本の政治機関中最も改革を要するものの一つたる貴族院に列するの矛盾を感んじ、直に辞任するに至った。

 九月二日午前三時起床、竹光秘書同伴、総理官邸に向った。
 出発前筆を揮って、
  ながらへて甲斐ある命今日はしも しこの御楯と我ならましを
  願くは御国の末の栄え行き 吾名さげすむ人の多きを
と書き残して置いた。
 集まるものは梅津全権の外、随員として外務省からは岡崎〔勝男〕終戦事務局長官、加瀬〔俊一〕情報部長〔内閣情報局第三部長〕、太田〔三郎〕終戦事務局部長の三名、陸軍より参謀本部第一部長宮崎〔周一〕中将の外、陸軍省永井〔八津次〕少将及杉田〔一次〕大佐、海軍から横山〔一郎〕、高〔富〕岡〔定俊〕両少将〔柴勝男大佐帯同〕であった。
 朝食後午前五時首相官邸出発、見渡す限りの焼野原を見て横浜に向う。   薄暗き朝まだき出で横浜の 沖に向へる人言葉なし
 六時過神奈川県庁着。
 鈴木九万公使等の連絡官に迎えらる。
 横浜桟橋に出て、鈴木公使等と分れて米軍側日本語を解する将校の案内にて、六時四十五分米駆逐艦ランスダウン号に移乗して港外に向う。東京湾上に向って走ること小一時間、濤声舷を打ち、旭光漸く海波を照す。海上無数の大小敵艦を見る。
  二百十日横浜沖に漕いで出で
 プリンス・オブ・ウェールスの姉妹艦キング・ジョージ五世も白く塗った巨駆〔躯〕を横えて居る。九時十分前米海軍旗艦「ミズリー」号に到着す。更にランチに移乗してミズリーの艦側に近付くことが出来、それから記者を先頭に舷梯を攀じた。艦に上る時に衛兵の敬礼を受けた。
 更に上甲板の式場へと梯子を攀じて上った。式場外は立錐の余地なき迄に参観の軍人や新聞記者、写真班等を以て埋められ、大砲の上に馬乗りに跨かって列をなして居る。
 上甲板の式場には、正面に敵側各国代表が已に堵列して居った。左側は写真班、右側砲塔側には参観の将官等重なる軍人が列んで居る。其の中には比島で俘虜となったウェーンライト将軍やシンガポールで降伏したパーシバル英将軍も並んで居た。
 中央に大テーブルあり、マイクは向う側に立つ。我等は之に向って止まり、列んだ。艦上声なく、暫時我々を見つめた。室外なれば着帽の儘で敬礼等の儀礼はー切なし。
  敵艦の上に佇む一と時は 心は澄みて我は祈りぬ
 九時マッカーサー総司令官簡単なる夏服にて現われ、直ちに拡声器を通じて二三分間の演説をなす
。   戦争は終結し、日本は降伏条件を忠実迅速に実行せざるべからず。
  世界に真の平和克復せられ、自由と宏量と正義の遵奉せられんことを期待す。
との趣旨を述べた。
  全権委任状の提出、天皇の詔書写を手交し、先方の用意してある降伏文書本文に記者が調印を了したのは、九時四分であった。
 マッカーサーは聯合軍最高司令官として、日本の降伏を受け入れる形を以て、文書に署名した。マッカーサーの署名に対し、副署の意味で各国代表が又順次に署名した。米、支〔中国〕、英、蘇、濠州〔オーストラリア〕、加奈陀〔カナダ〕、仏蘭西〔フランス〕、和蘭〔オランダ〕、ニュージーランド等なり。
 全部の署名が終って、マッカーサー元帥は、回復せられたる平和の永続を祈って、式は終了した。
 加奈陀代表の署名の場所が違って居たので、世話役のサザランド参謀長に訂正して貰って大分時間がかかった。
 ペルリ提督日本遠征の際に檣旗として掲げた星条旗を博物館から持って来て、ミズリー号式場に飾ったのは、占領政策の政治的意義を示す用意に出でたものと認められた。
 退艦も乗艦の時と同様な儀礼にて、ランチに移り、駆逐艦に移乗し、湾内を巡視して埠頭に帰り、接伴員に慇懃に分れを告げて、神奈川〔県〕庁に帰着した。米国側の取扱は総て公正であった。
 帰路東京湾中より富士見事に見ゆ。
 首相官邸に帰り着いたのは已に十二時過ぎで、直に総理宮に報告を了し、昼食を了りて、一行を解散した。
 其の日午後一時半参内。総理宮侍立の上、両全権の名に於て、記者より予而用意した加瀬部長の起草にかかる降伏文書署名の報告文を奏上した。陛下も御安心の御様子であって、慰労の御言葉があった。
 陛下は記者に対して、軍艦の上り降りは困っただろうが、故障はなかったかと御尋ねになった。記者は先方も特に注意して助けて呉れて無事にすますことを得た旨御答えし、先方の態度は極めてビジネスライクで、特に友誼的にはあらざりしも又特に非友誼的にもあらず、適切に万事取り運ばれた旨の印象を申上げた。
 此日、一つの爆弾身辺に破裂するものなきのみならず、誰やらは「敗戦による勝利」であると連(しき)りに論じた。是れから日本は立派なものとなってやって行けるのである。
 九月二日降伏文書調印の大任を終わり、終戦一段落と思って、ホテルで夜疲れてこれから寝ようと思って居ると、外務省関係の数氏(松本〔俊一〕、曾根〔曾禰益〕、岡崎〔勝男〕、渋沢〔信一〕、安藤〔安東義良〕等)が次ぎ次ぎにやって来て、非常情報を齎らした。占領軍司令部に於ては日本に軍政を布き、行政各部門を統治する為め軍布告を発したとの事で、横浜鈴木公使は其の布告文写を入手した、と云うのである。之は容易ならぬ情報である。之では日本政府もなくなり、日本は完全に主権を掠奪されて、占領地行政の下に置かれることになると云うので、政府初め各方面に異常な衝動を与え、宮中及召集された計りの議会をも震駭せしめた。
 記者は明早朝横浜に至り、マッカーサー司令官と直接交渉するの決意を固めたが、外務省や内閣其の他の心配せる方面からの電話や来訪客は夜遅く迄絶えなかった。記者は自室の鍵をかけて蚊帳床の中に入った。

 上記引用文の最後に出て来るアメリカ占領軍の「軍布告」の何が「各方面に異常な衝動を与え…議会をも震駭せしめた」のだろうか。日本が占領軍の属国あるいは植民地となることに対してだろう。これが私に新たな問題提起をしてくれた。

 戦後処理として、敗戦国が国家主権を獲得して新たな自立国家となること以て戦争終了と考えれば、降伏文書調印を以て「昭和の15年戦争」は終わったしてきた私の考えは早計だったことになる。もしも、戦後処理として日本が占領軍の属国あるいは植民地だったのなら、実質的にはまだ戦後ではなかった。
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