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397 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(49)
歴史を学ぶときの基本姿勢(1)
2005年10月26日(水)


 「激動の朝鮮半島」を続ける前に触れておきたいことが出できた。2回にわ たってそれを挿入する。

 網野善彦さんと川村湊さんの対談「列島と半島の社会史」(「歴史とし ての天皇制」所収)を拾い読みしていて、特に気になったことが二点あった。

川村
 坂口安吾は他にも、高麗神社のこととか、『夜長姫と月男』の中で飛騨 工の話などを扱っていて、かなり特異な精神世界を描き出しています。小 説家のいっていることだからといって排除するのではなしに、もっといろ いろ検討されてしかるべきだと思っているんです。松本清張や司馬遼太郎 といった人たちの発言、古田武彦の所説などはぼくにはとても興味深いと ころがあります。

網野
 その通りだと思いますね。実際小説家のほうが視野が広くて、問題 を鋭く捉えている場合が往々にしてありますよ。


 小説家たちの想像力が引き寄せる真実性を否定はしない。例えば以前にも 触れた「火怨」(高橋克彦著)などはもう立派な歴史書だと、私は思ってい る。しかし、古田さんの所説は単なる想像力の産物ではなく、史書の論理的 で緻密な解読の結果である。「松本清張や司馬遼太郎といった人たちの発言」 と一緒くたにして、「とても興味深い」という感想程度で済まされるべきでは ないと思う。古田さんの所説の卓越性が分からないとは、川村さん、本当に 古田さんの諸著書を読んだのかねえ、と疑わざるを得ない。

 大方の学者たちは「興味深い」とさえ言わない。古田さんの研究をまったく 無視して、相変わらず、古田さんが批判しつくした定説という範疇で砂上の 楼閣を築くことに汲々としている。



川村
 ○×で済むんだったら歴史家は悩む必要はないですね。
韓国の歴史の教科書でも、「任那」という言葉は一切出てこないんです。 こういう説があることを、まったく無視して書くわけです。高校生のレヴ エルでもそうで、大学へ行って少し専門的に勉強して初めてこんな説があ ったのかとびっくりする学生がいるらしいですね。真偽はともかく「一 説」「一書」の存在は明らかにしておいた方がいいと思うんです。そうい う状態だと、日本の問題だけではなくて、向こうの問題もあると思います。

網野
 もちろん近代史については日本の責任が重大であることは間違いな いけれど、やはり双方を隔てているナショナリズムの問題を、双方がどう 超えていくかが問題だと思いますね。実際、朝鮮半島と日本列島の人間社 会は双方の交流の中で、それぞれに「民族」を形成してきたのですから、 その過程を中国大陸との関係を含めて冷静に追究してみる必要があるので、 双方で、「民族」とは何かということを、歴史的学問的に明らかにしてい けば、ナショナリズムを超えた新しい地平を拓く見通しが出てくるのでは ないでしょうか。


 『朝鮮半島と日本列島の人間社会は双方の交流の中で、それぞれに「民族」 を形成してきたのですから、その過程を中国大陸との関係を含めて冷静に追 究してみる必要がある』という指摘を、わが意を得たりという思いで読んだ。 いま取り上げているテーマ「激動する朝鮮半島」はまさに「朝鮮半島と日本列 島の人間社会」双方の交流を「中国大陸との関係を含めて冷静に追究して」い るのだ。

 またナショナリズムに呪縛されたままで歴史を取り扱うことがもたらす弊害が 危惧されているが、この種のナショナリズムがからまる問題は諸所に湧出する。 その一例を古田さんの著書から引用する。

 たとえば、最近新聞紙上等をにぎわした〝朝鮮半島における前方後円墳問題″ も、そうだ。それが確かに「前方後円墳」なのか、それとも「円墳」の連結形 等なのか、もちろん、今後の論争もしくは発掘をまたなければならないけれど も、いずれにせよ、重要なこと、それはこの地帯(韓国南部の固城や咸安地方) が「倭地」と見なさるべき領域だ、ということである。

 なぜなら、これに先立つ弥生期、洛東江沿いに広く、また奥深く「中広矛・ 広矛」「中広戈・広戈」の類が分布している。これらは博多湾岸とその周辺に 鋳型の出土する、その当の実物だ。したがってこの地帯が倭人の活躍舞台であっ たこと、それを如実にしめしているのである。

 その同一領域中にあるのが、右の「前方後円墳」(もしくは円墳)だ。だか ら、いずれにせよ、これを倭地内のもの、として論ずることこそ、歴史家の本 道だ。

 しかも、この倭地とは、卑弥呼の倭国の後裔としての倭国だ。だから卑弥呼 の倭国が九州の筑紫(筑前)を都邑の地とする倭国であれば、四世紀以降の倭 国もまた、同じ九州の筑紫(筑後中心か)を中枢とする倭国だ。
 事実、『三国史記』においても、卑弥呼(乎) の倭国は出現している (阿達羅尼師今二十年 ― 第一巻)。そしてその倭国が主権者交替したり、 「東遷」したりしたことは、一切書かれていない。
 しかも、六世紀初頭以前の新羅本紀の倭人記事は詳密だ。だのに、宿敵倭 国の大変動を漫然と見のがし、記述しなかったのであろうか。

 このように考えてみても、四~六世紀の倭国が卑弥呼以来の倭国であること は動かない。
 ということは、何を意味するか。好太王碑の倭国は、筑紫の王者、すなわち九州王朝の倭 国である-この一事だ。


 以上のような明晰な史料状況にもとづく主張に対して大方の学者たち(あるい は歴史を学び者たち)はどういう反応をするか。

 日本では「戦前の皇国史観以来の、近畿中心主義。その骨格は戦後史学もその まま継承」しているため、その枠内だけでしか議論できない。例えば「前方後 円墳は天皇家独自の形態だ。」

 一方朝鮮側では朝鮮の学者たちが主張する「朝鮮半島内の倭地(任那や任那日 本府)架空説」に捉われて、古田説は端から否定される。

 古田さんは言う。
『この二者の間にただよう形でしか、問題提起をなしえないとしたら、両国古代 史学界の悲しむべき衰弱と停滞ではあるまいか。』

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