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昭和の15年戦争史(39)

1943年(5)~(10)

 ガダルカナル島撤退後、日本は勝算のない激しい戦争を続ける事になるが、そのための物資の枯渇は明らかだった。政府は2月16日に軍事物資増産のために企業の大整備を命令する。また3月2日には兵役法改定して朝鮮にも徴兵制を布いて、それを8月1日から施行する。こうした挙国一致体勢を補完すべく、国民の戦闘精神を煽ることに躍起となった。1942年には国民決意の標語として、「欲しがりません勝つまでは」などという標語が選ばれていたが、翌年1943年には決戦標語などという代物が打ち出された。

(5)2月23日
決戦標語ができた日


「撃ちてし止まむ」

 1943年が明けて、ガダルカナル島よりの日本軍撤退は確定し、連合軍の猛反攻をうけてこれからは長期的に目算のない"血みどろの戦闘"がつづくであろうことが、大 本営のエリート参謀たちにも明らかになった。

 そこで陸軍省は、この容易ならない戦局を迎えるにさいして、2月23日、決戦標語「撃ちてし止まむ」をきめた。これを大きく掲げることによって不退転の決意を示し、国民に一億総攻撃の精神を奮い立たせる大運動を展開しよう、というのである。

 この標語は『古事記』の神武天皇の御製とされている歌謡よりとった。「……みつみつし 久米の子が 頭椎(くぶつつい)石椎(いしつつい)もち 撃ちてし止まむ……」とわたくしなんかも暗記させられた。荒ぶるものを平らげて、建国の大業をとげた神武東征の精神にならおう、国民よ、われら皇軍の真の力を信ぜよ、の意である。 このために宮本三郎画のポスター5万枚を作成し、本土はもとより満洲、さらには占領地の中国、南方の各地にまでくばる。負け犬の遠吠えのごとしか。

 戦争中に「欲しがりません勝つまでは」とともに、これほどくり返しとなえられた標語が他にないことは、お年よりならみな知っている。

 余分事ながら「撃ちてし止まむ」の原典を「真説・古代史」補充編の中で取り上げていた。興味のある方はご覧下さい。
『「神武東侵」:八十建だまし討ち以外に戦勝記録なし』

 政府の状況判断も自分たちに都合の良い希望的観測で成り立っていた。

(6)3月1日
軍務局長の拙劣な判断


「米軍は実戦訓練にとぼしい」

 まことにバカバカしい、というよりも情けなくなるようなほんとうの話を記録として残しておきたい。ときは1943年3月1日、場所は衆議院決算委員会において、である。質問に答えて陸軍省軍務局長佐藤賢了少将が、アメリカ軍の実態について「詳細なる解剖を加え」(朝日新聞)て、以下のように答えた。

1、
 米陸海軍はまことに実戦訓練にとぼしい。
2、
 大兵団の運用がはなはだ拙劣である。
3、
 米陸軍の戦術は前近代的なナポレオン戦術であって、多くの欠陥をもつ。
4、
 政治と軍事との連携が不十分である。

 いかがなものか。1943年春といえば、ガダルカナル島攻防戦に敗れ、米軍の大反攻を前に、日本軍はその対策に窮して青くなっていたときなのである。そのときになお陸軍の責任者の閣下がこの浅はかな認識とは。とても正常な判断をもつ人間のいうことではない。

 と批判するはやさしい。いまの日本人もややもすると同様の、自分勝手な妄想にとらわれてはいまいか。空中に楼閣をきずくを常としてはいないか。

 日本政府が根拠なしの情報で侮っていたアメリカ軍は周到な情報収集とそれに基づく綿密な作戦で、アメリカ軍が最も畏れていた(日本軍にとっては最も頼りにしていた)山本五十六大将を亡き者にしている。

(7)4月18日
山本五十六機撃墜される


「"孔雀"は撃墜された」

 米太平洋艦隊司令長官C・W・ニミッツ大将は、
「気がかりはただ一つ、日本海軍のなかに、山本よりさらに有能な指揮官がいるかどうか、ということだ」
といった。情報参謀レイトン中佐の
「日本が山本を失うことは、アメリカがニミッツ大将を失うと同様です」
という答えを聞くと、ニミッツはやっといった。 「よし、山本を仕とめることにしよう」

 すでに暗号解読により、山本五十六連合艦隊司令長官の飛行予定の全容をつかんでいる。山本は六機の護衛戦闘機しかつれていない。絶好のチャンスとも、恐るべき罠とも思われる。それで慎重の上にも慎重に検討して、山本機撃墜を決断したのである。

 1943年4月18日、予定された時刻に、予定された地点で山本機を待ち伏せて攻撃、米軍は撃墜に成功した。作戦を直接指揮したハルゼイ大将は、
「攻撃隊員に祝意を表す。獲物袋の鴨のなかに、孔雀が一羽まじっていて撃墜された」
と大喜びの電報をニミッツに打った。

 以降、悲惨な戦闘が続けられる。

(8)5月12日
アッツ島に米軍上陸


「玉砕」

 戦時下の日本人がはじめて"玉砕"というつらい言葉を聞いたのは、1943年5月30日の大本営発表においてである。
「アッツ島守備部隊は、5月12日いらい極めて困難なる状況下に寡兵よく優勢なる敵にたいし血戦継続中のところ、5月29日夜……全力を挙げて壮烈なる攻撃を敢行せり。爾後通信全く途絶、全員玉砕せるものと認む」

 中学一年生の私はこのとき"瓦全(注:何もしないでいたずらに身の安全を保つこと)より玉砕"という死の教訓を、先生からしっかり植えこまれた記憶がある。カワラとなって生きのびるよりも、玉となって砕けん、それが日本人らしい生き方であり死に方なんであると。

 この悲惨な戦闘がはじまったのが5月12日、日本軍二千五百人の守るアッツ島に、大艦隊の支援のもと、米軍一万一千が上陸してきた。この日、大本営は守備隊に撤退命令を発したが、もちろん届かなかった。

 昭和天皇は、玉砕の報に怒りをあらわにした。
「このような事態になるとは、前から見通しがついていたはずである。しかるに5月12日に敵が上陸してから一週間かかって対応措置が講ぜられたとは……」

 こうした天皇の談話に接する度に、私はいい気なもんだぜ、という思いを禁じられない。「このような事態になるとは、前から見通しがついていた」のなら、その段階で終戦への道を考えるべきだったのではないか。『探索 6』に「大元帥憂悩」(参謀本部編)という記事があるが、それによると天皇には戦況が全て上奏されているし、それらについて感想や意見をを述べている。また、次の記事が示すように、戦争遂行に関わる重要事項は全て御前会議で決定されている。その段階で反対することだって可能だったはずだ。

(9)5月31日
「大東亜政略指導大綱」の決定


「帝国領土とする方針は公表しない」

 この項はカットしようと思ったが、歴史的教訓としてやはり残すことにした。

 対米英戦争は、アジアの植民地解放という崇高な目的をもった戦いであった、ゆえに大東亜戦争と呼称すべし、と抗議の手紙をよこす人が、いまもときどきいる。わたくしが太平洋戦争といつも書いているのが気に入らないらしい。わたくしは、この対米英戦争を自存自衛のための戦争と位置づけている。「開戦の詔書」はそう明記している。

 そして、われら国民の願いとは無関係に、当時のリーダーたちがとんでもないことを意図していた事実があることも指摘しておきたい。

 1943年5月31日、御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」の第六項である。
「マレー・スマトラ・ジヤワ・ボルネオ・セレベス(ニューギニア)は、大日本帝国の領土とし、重要資源の供給源として、その開発と民心の把握につとめる。……これら地域を帝国領土とする方針は、当分、公表しない」

 アジア解放の大理想の裏側で、公表できないような、夜郎自大な、手前勝手な、これらの国々の植民地化を考えていた。この事実だけは、二十一世紀への伝言として日本人が記憶しておかねばならないことなのである。

 このシリーズを始めて以来、戦争と戦争を起こし推進する1%への憎悪はますます大きくなってきたが、それでも次のようなエピソードに接すると、良くやったと喝采を送りたくなる。

(10)7月11日
キスカ撤退作戦の成功


「帰ろう。帰ればまた来れる」

 五月末のアッツ島玉砕以来、同じアリューシャン列島のキスカ島の日本軍守備隊は、アメリカ艦隊によって完全に包囲された。このまま放置すればアッツ島同様に守備兵五千百八十七名をみすみす全滅させなければならない。何とか救出できないか。

 この撤退作戦の重責を任されたのが木村昌福(まさとみ)少将。木村は、困難な任務の成否を分かつカギは、北方特有の濃霧にあるとみた。霧を隠れみのとして、米艦隊の包囲を突破し、日本軍の撤収を完了させることを決意した。

 1943年7月11日、大本営命令によって、それがキスカ湾突入ときめられた日である。ところがこの日、霧が晴れてしまう。突入できない。木村は15日まで待ち、ついに作戦実行を中止した。
 「帰ろう。帰ればまた来ることができるから」

 泊地まで帰った木村を待っていたのは臆病者という非難であった。しかし木村は動ぜず、魚釣りや碁に熱中してチャンスを待った。

 この、確信できぬ作戦は行わない、汚名などくぞ食らえとする木村の信念が、海戦史に輝く撤退戦(7月29日)を成功させた。

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