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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15年戦争史(38)

1943年(1)~(4)

 前回、太平洋戦争の主導権が米軍の手に渡る切っ掛けとなった「ミッドウェイ海戦の敗北」に至るまでの経緯を知るために『昭和史探索・6』からその部分を転載したが、その最後の一節を再録する。
『1942年6月のミッドウェイ海戦が戦争の運命を決めた戦いと呼ばれるのはその意味でまことに正しい。この日本の敗北を機に戦闘の主導権は米軍の手に渡った。短期決戦による講和の道は厚く閉ざされ、これから後は日本が(とくに海軍が)恐れていた物量対物量の消耗戦に否応なく引き込まれていくことになる。このあまりにもむごい戦闘の典型が、8月上旬から戦われたガダルカナル島攻防戦であった。』

 この一節に続く節では1943年に入ってからの太平洋戦争の概略が記述されている。『残日録』の1943年に入る前にそれを読んでおこう。


 この戦い(ガダルカナル島攻防戦)では日米両軍ともありったけの戦力を投入し、がっぷり四つで戦った。結果として、日本軍はたくわえてきた戦力(とくに航空機と駆逐艦)を使い果たして一本の飛行場争奪戦に敗れた。そして1943年2月、ガ島撤退。4月、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死。いよいよ戦況は不利となり、12月、学徒出陣。そしてこの年2月、陸軍省は決戦標語「撃ちてし止まむ」を採用、国民の戦意を煽ったが、南の島々では死して後(のち)止むの玉砕につぐ玉砕と、ただ敗戦を重ねていく一途となる。

 この間にも、アメリカ軍の"東京への道"はその強大な工業力・資源力に支えられ急速に押し広げられていく。ソロモン諸島づたいにフィリピンという陸軍の作戦構相 に対して、海軍は新編成された最強の機動部隊を駆使して、中部太平洋の島づたいに攻めのぼるという遠大な計画をうちたてた。その第一歩が11月のタラワ、マキン攻略戦である。強大な空母航空部隊が制空権を奪い、つづいて戦艦・巡洋艦群の艦砲射撃、そして海兵隊の上陸という島嶼作戦の公式はここにはじまるのである。

この日米戦争も含めて、1943年の第二次世界大戦の主な出来事は次の通りである。
2月
 ・ガダルカナル島撤退
 ・スターリングラードの戦闘終結
4月
 ・山本五十六戦死
5月
 ・日本軍守備隊、アッツ島で玉砕
6月
 ・学徒動員体制
7月
 ・ムッソリーニ逮捕
9月 
 ・伊、無条件降伏
 ・蒋介石、国民政府主席に
11月
 ・カイロ会談(米・英・中)
 ・テヘラン会談(米・英・ソ)

 さて、『残日録』の1943年の記事を読んでいこう。

 これまでに日本の戦時国家によるバカバカしいほどの禁止令や規制通達が取り上げられてきたが、1943年の第1記事は次のような禁止令である。

(1)1月13日
敵性国家の音楽禁止


「星は陸軍の象徴である」

  坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というまことに日本人的なことわざがある。それを地でいったのが、太平洋戦争下の日本人であった。とにかく米英に関係あるものは全部"敵視"したのである。

 1943年1月13日の、内務省情報局の通達はすさまじいの一語につきる。すなわち――。
 米英そのほか敵性国家に関係ある楽曲1000曲をえらびこの演奏、紹介、レコード販売の全てを禁止する。

 ショパンの曲は?
かれはポーランド人で、いまそんな国はない。
 ドビュッシーはフランスの作曲家、いまフランスはドイツに降参しているからOK。
などというアホな議論がさんざん戦わされたあとの1000曲であった、という。ジャズやブルースは、もちろんもってのほか。
 ついでに歌謡曲「煌(きら)めく星座」(男純情の愛の星の色……)にもクレームがついた。
「星は帝国陸軍の象徴である。その星を軽々しく歌うことはまかりならん」

 おかげで日本の音楽は、軍国歌謡ばかりに……。わが人生にクラシックがまったく無縁であるのはそのためであって、音痴のためには非ずなんである。

 第二次世界大戦のヨーロッパ前線では次のような進展があった。

(2)1月14日
カサブランカ会談の決定


「無条件降伏あるのみ」

 ロンメル将軍指揮のドイツ戦車軍団を、アフリカ戦線エルアラメインで撃破した連合軍の意気は大いにあがった。これで「勝利はわが手に」を確信した米大統領ルーズベルトと英首相チャーチルは、モロッコのカサブランカで、1943年1月14日に秘密裡に会談した。このとき、米大統領は、一つの政策を明示した。
「世界平和は、ドイツと日本の戦争能力の全面的殲滅(せんめつ)をもってのみ達成可能なのである。われわれはユリシス・グラント将軍という人物をもっている。私や英国首相の少年時代には、かれを"無条件降伏のグラント″と呼んだものだ。ドイツ、イタリア、日本の戦争能力の除去は、その無条件降伏と同義である。住民の殲滅を意味はしないが、三国のイデオロギーの殲滅を意味する」

 第二次大戦は、このルーズベルトの「無条件降伏政策」によりふり回された。話し合いによる条件つきの講和や休戦はない、あるのは無条件降伏のみ。そこから「負けたら男は奴隷、女は妾(めかけ)」という逆宣伝が日本にはやる。それをまた日本国民は信じた。それが戦争終結への道を大きくはばむことになるのである。

 ソ連に攻め入って苦戦していたドイツ軍のその後は次の通りである。

(3)2月2日
スターリングラード戦終わる


「貴官を元帥にする」

 退路を絶たれ、包囲されたまま激闘すること1ヵ月以上、約束された空中補給はほとんど届かなかった。

 ドイツ第六軍の軍司令官パウルス大将は、総統ヒトラーによって降伏することは禁じられ、最後の一兵まで闘うことを命じられていた。しかし、食糧も弾薬もつきかけている。スターリングラード攻防戦が1942年7月17日にはじまって、文字どおり血みどろの"家一軒ごとの"争奪戦をつづけてきたのである。優勢だったドイツ軍は、25万の兵力が9万になるまで戦って、いまや全滅の危機にひんしていた。

 パウルスはヒトラーに降伏許可を求める電報を打った。6日後ヒトラーから、「貴官を元帥に昇格させる」という昇進の知らせが送られてきた。ドイツ国防軍には、降伏した元帥はいなかった。が、彼はその電報を破り捨てた。

 1943年2月2日、戦闘は終わる。9万余のドイツ軍がソ連軍に銃を捨てて降伏した。部下を助けたいとするパウルスの決断である。ドイツの落日は、この敗北でいっそう決定づけられ早まった。

 ここにもヒトラーという独裁者の破綻している人格と知性が良く表れている。いま世界中に大きな顔をしている小さな独裁者がいるが、その連中の人格と知性もヒトラーといい勝負をしている。

 さて、太平洋戦争に戻ろう。

(4)2月9日
ガダルカナル島より"退却"


「他に転進せしめられたり」

 太平洋戦争の運命を決する戦闘となったガダルカナル島争奪戦は、日本軍に完全に不利となった。1942年の大みそか、御前会議での天皇の決断があって、ついにが島放棄が決定される。撤退は駆逐艦によって3回にわけて実施され、これを捲土重来(けんどちょうらい)を意味する「け号作戦」とよぶことにした。

 山本五十六連合艦隊司令長官は、駆逐艦の半数は失われるだろうが、敢行しなくてはならぬと覚悟した。

 1943年2月1、4、7日と3回にわたって実行された撤退作戦は幸運なことに大成功であった。1万652名の将兵が収容され帰ってきた。

「……わが部隊は昨年8月以降、引きつづき上陸せる優勢なる敵軍を同島の一角に圧迫し、激戦敢闘よく敵戦力を撃破しつつありしが、その目的を達成せるにより、2月上旬同島を撤し、他に転進せしめられたり」

 2月9日午後7時の大本営発表である。前にも記したように、日本軍は「転進」の名のもとに、退却の事実を公表した。以後「大本営発表」とは大ウソの代名詞となる。ということは、これ以後は日本陸海軍は一度としてかたなかったという意味である。

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