2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15年戦争史(25)

1938年(4)~(10)

「国民精神総動員法」・「国家総動員法」のもと、政府は国民の士気高揚を図るための作為をいろいろと打ち出しているが、その一つに「軍神」作りがあった。『残日録』の次の記事は「軍神」第一を号創った記事である。

(4)5月17日
西住戦車小隊長の戦死


「お母さんは一人ぽっちになる」

 戦時下の日本陸海軍は、やたらに「軍神」をつくって、国民の戦争遂行熱をあおった。その第一号がこの人である。西住小次郎中尉、25歳、久留米戦車第一連隊の小隊長である。まことに清楚な青年で、西住小隊は、小隊長を核にうらやましがられるほどの団結ぶりを示した。
「どんな戦場でも、隊長車が先頭を行けば、命令を信号などで伝える手間が省ける。いかなる場合も部下は隊長車についてくる」
と、ふだんから西住はいっていたという。戦闘歴31回。その言葉どおり常に西住は小隊の先頭をいった。戦車戦闘の場合、これは異例の戦いぶりといえた。

 1938年5月17日、徐州戦で、西住は前面のクリークの水深を計ろうと、戦車から外へ出たときに、中国軍の機関銃に撃たれ戦死する。
「おれのお母さんは一人ぽっちになるなあ」
最後の言葉である。

 陸軍は12月17日に西住を「軍神」とたたえることにした。そしてのちには戦意高揚のため映画もつくられた。

 国民の士気高揚を図るために作家や評論家など文士も動員された。その一団は「ペン部隊」と呼ばれた。

(5)8月26日
文士、中国戦線へ


「ペン部隊」

 戦場が奥へ奥へと広がり、日中戦争がドロ沼化しようとしている1938年夏、内閣情報部は作家や評論家を動員し、戦場へ送りこんで、そこからレポートを送らせ、国民の士気を高めようと考えた。陸海軍が相談し、22人の文士による陸軍の〔ペン部隊〕の編制を発表した。8月26日のことである。
 菊池寛、久米正雄、吉川英治、白井喬二、古屋信子、佐藤春夫、川口松太郎、岸田国士、林芙美子、小島政二郎、尾崎士郎、瀧井孝作、丹羽文雄、深田久弥、佐藤惣之助、片岡鉄兵、中谷孝雄、北村小松、杉山平助、富沢有為男(ういお)、浅野晃、浜本浩。

 参考のために全員の名を書いたが、動員の陰に文芸家協会会長の菊池寛の存在がある。
「短兵急であるから、一人一人交渉するわけに行かない……半分は行ってくれるだろうと思い速達を出した。すると二、三人を除き、皆行くというのであった」
と、菊池は書いている。勝利のつづく中国戦線へ、文士諸公はかなりハッスルしていた。反戦思想などはない、それが現実である。

 余計なことながら、佐藤春夫が勇んで参加したゆえ、永井荷風は「以後出入りを許さず」とこの俊秀の弟子を破門した裏話もある。

 「文士諸公に……反戦思想などはない」一方、次のような反骨の川柳作家がいた。

(6)9月14日
ある川柳作家の死


「手と足をもいだ丸太にしてかへし」

 川柳といえば、昔から今日まで、たった十七文字ながら庶民にとって、政治批判・社会風刺のための、するどい刃になっている。

 戦時下の日本において、この一七文字を反戦の武器として、生命がけでつくりつづけた人がいる。「川柳は街頭の芸術であり、批判の芸術である」との信念で。

「銃剣で奪った美田の移民村」
「土工一人一人枕木となってのびるレール」
 王道楽土の満洲国の実態をこう歌い、そして日本内地の貧困を直視する。

「首をつるさえ地主の持山である」
「ざん壕で読む妹売る手紙」

 また提灯行列や旗行列で祝われる日中戦争の実相を。

「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
「屍のいないニュース映画で勇ましい」

 この人、鶴彬(つるあきら)は特高警察に逮捕され、1938年9月14日、収監されたまま病院で死んだ。享年29。
「主人なき誉の家にくもの巣が」
が最後の作品。

 私は鶴彬という文学者を知らなかったので、ネット検索をして調べてみた。ヒットした記事は沢山あったが、そのうち鶴彬の川柳がほとんど全部読めるブログがあった。紹介しておこう。
『反戦川柳作家・鶴彬』

 さて、ニッポンは1936年11月25日に日独防共協定を調印するが、翌年11月日にイタリアが参加して日独伊防共協定となる。これが第二次世界大戦勃発後、日独伊三国同盟へと発展し、日本は破滅の道をひた走って行った。

 『残日録』からの次の記事は、1938年のヒトラーの暴政記事である。

(7)9月29日
チェンバレンの屈服


「ミュンヘンの過ちをくり返すな」

 ヒトラーが、ドイツ語系住民の居住するズデーテン地方をドイツに併合すると、チェコにたいして強要的通達を送りつけた。そこはチェコの重要工業地帯である。戦争をちらつかせた要求に、チェコは同盟国の英仏に救いを求める――この危機を回避するため開かれたのがミュンヘン会議である。
 1938年9月29日、会議は、英首相チェンバレンが、戦争気構えのヒトラーをなだめるために、チェコを犠牲にすることで終わった。ズデーテン地方は、英仏承認のもと、ドイツに割譲された。

 国へ帰った英首相は戦争を回避した英雄になり、ノーベル平和賞に値いするとの声も高くなった。しかし、世界の人々がホッと安堵するのをよそに、正しく歴史の動きをみる人は、この一時的妥協がなんら平和をもたらさないことを、はっきり見抜いた。ヒトラーがポーランドに進攻し、第二次世界大戦が勃発するのはミュンヘンの妥協からちょうど一年後のことであった。

 それから今日までなんども教訓「ミュンヘンの過ちをくり返すな」がとなえられ、ことさらに世界各地の紛争を激化させてきたことか。歴史の複雑さがここにある。

 日本に戻ろう。学問・言論の弾圧も激しくなってきた。

(8)10月5日
河合栄治郎の著書発禁


「言論の自由が死んだ」

 戦前の日本において、いわゆる「言論の自由が死んだ」のは、国家総動員法が公布施行された1938のこととわたくしは考えている。
 前年12月には左翼といわれる人びとの大量検挙があった(人民戦線事件)。この年の2月には東大の大内兵衛、有沢広巳、脇村義太郎、法大の美濃部亮吉、阿部勇たち大学教授・評論家32名がいっぺんに検挙された(教授グループ事件)。同時に内務省からは「検挙されたものの原稿は内容の如何を問わず、掲載を禁ずる」という通牒が雑誌社に送り届けられる。

 そして10月5日、東大教授河合栄治郎の著書が「安寧秩序をみだすもの」として発売禁止処分にされた。河合は自由主義者としてずっとマルクス主義を批判しつづけてきた人。もはや自由主義さえ許されない時代となったのである。
「自分の学説が間違っているとは考えない。職を辞する考えもない。総長や文相が勧告したからといって、それくらいで大学教授は辞職すべきではない」
と河合はいったが、その後起訴されて結局は休職となった。

 それはともかく、これ以後、雑誌から言論の自由がなくなったのは確かなこと。

 日中戦争は戦勝に熱狂する洗脳された国民の後押しを受けて次のように進められていった。

(9)10月253日
漢口を占領


「進む日の丸鉄兜」

 小学校の下級生であった私の記憶でも、当時の日本人は大いに熱狂しきっていたと思えてならない。軍歌と万歳と旗の波と提灯行列の中に、日中戦争は進展していった。あえて言えば、国民のなかに満ち満ちた戦争を望む声によって、空気によって、戦争は一途に拡大していったのである。

 南京占領から徐州作戦へ。終わると南京陥落のあと中国国民政府の首都となった漢口攻略戦である。「露営の歌」という軍歌があった。
「土も草木も火と燃える/果てなき曠野踏み分けて/進む日の丸鉄兜(てつかぶと)」
と歌の文句そのままに、わが"皇軍"は中国大陸の奥へ奥へと進撃していく。漢口占領は1938年10月25日。しかし占領したからといって、戦争解決の方途はどこにもなかった。
「国民狂喜し、祝賀行列は宮城前より三宅坂にわたり昼夜充満す。万歳の声も、戦争指導当局の耳にいたずらに哀調を留め、旗行列何処へ行くのかを危ぶましむ」
 参謀本部の高級参謀の当時の手記の絶望的な一節である。悲しいのは、このどろ沼化した前途には希望がこれぽっちもない現実を、日本のトップはだれもが見て見ぬふりをしていたことである。

 1月16日に「国民政府を相手にせず」という無責任な声明を出した近衛首相が又々余計な声明を発している。『残日録』から転載する1938年最後の記事である。

(10)11月3日
近衛声明がもたらしたもの

「東亜新秩序」

 1938年11月3日、首相近衛文麿がまたまた重大な声明を行った。
「征戦の目的は東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設にあり」
 政治・経済・文化の各方面にわたって、日本・満洲・支那(中国)の互助連帯の関係をしっかりと樹立する、そこに日中戦争を戦っている意味がある、すなわち戦争の目的は「東亜新秩序の建設」というわけである。

 陸軍はむしろ「東洋道義文化の再建」と声明してほしいと希望していた。それをあえて新秩序といったのであるが、とくに手前勝手な文言ではないと近衛は思っていた。が、この声明が海外の日本観に悪影響を与えた。

 とくにアメリカが日米通商航海条約の破棄を考えるのも、これがきっかけになったといわれている。新秩序という言葉にもられているのは、ヒトラーがヨーロッパ新秩序をとなえているのに呼応し、日本が東亜の盟主たらんとしている思想である、と世界列強は受け取ったのである。有田八郎外相は大いに嘆いた。
「これでもう引き返せない一線を越えた」

 それにつけても、近衛という人は……。

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