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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15年戦争史(23)

『1★9★3★7』を読む(4)

 現在ますます深く広くこの国に覆い被さっている怪しい妖気に多くの若者達も囚われ始めている。その一例として、今日の澤藤統一郎さんのブログ記事を紹介しておこう。
『「現状変えればなんでも革新」? それはないでしょう』

 さて、『残日録』の1937年の事項(11)は鎮魂歌「海行かば」だった。辺見さんは第2章の「第7節~第10節」でこの問題に関連する詳しい論考を行なっている。その中に怪しい妖気に囚われている若者の話も出て来る。今回の辺見さんの論説もかなり長いが、全文紹介したい。


7 「海ゆかば」と死へのいざない

 国民精神総動員運動を「声」で大いにもりあげたのはNHKであった。総動員運動のいっかんとして1937年10月13日、NHKは「国民唱歌」の放送を開始するが、その第一回が「海ゆかば」だった。この歌はその後、太平洋戦争中にラジオが日本軍部隊の「玉砕」を報じるときにながされるようになるのだが、まるでさいしょからそれを予感していたかのような凄絶(せいぜつ)な「悲歌」のひびきがある。これを美しいニッポンの歌だというむきがある。つまびらかではないが、安倍晋三氏もそうなのではなかろうか。しかし、わたしにはいつも、なんという底方(そこい)も知らない暗さだろう、というおもいがある。ニッポンとはなにか、という情念がかかわる疑念と、〈なぜ「海ゆかば」だったのか…〉という、問いにもならない疑問と、とまどいとためらいが、よれてからまりあったまま、わたしのからだにはずっとある。わたしの父も、日中戦争中の南京で、これを合唱したという。きっと胸のおくからわきおこる感動で目をうるませ、直立不動でうたったにちがいない。声が聞こえてくるようだ。

  海ゆかば 水漬(みづ)く屍(かばね)
  山ゆかば 草生(くさむ)す屍
  大君(おおきみ)の
  辺(へ)にこそ死なめ
  かへりみはせじ


 父もうたった。特攻隊員も出撃前にこれをうたった。詞は、「万葉集」の大伴家持の長歌からとられており、これに作曲家の信時潔(のぶとききよし)がNHK大阪放送局の依頼をうけて曲をつけた。信時潔は大阪の牧師の家に生まれ、幼いときから教会音楽になじんでいたためか、「海ゆかば」にはある種の宗教曲のような荘重さというか悲愴感があり、また、五七五七五七七の音数からであろうか、「君が代」にそのままかさなる曲想でもある。楽譜には、♩=78-80と「力強く」の指定があるのだが、わたしはこの歌を聞いて「力づよい」と感じたことはいちどもない。しかし、なにかただごとではない空気の重いうねりと震えがこの歌にはある。それがなにか知りたくもあり知りたくもなし、といった、まきこまれて地の底にひきずられていくような気分にさせられる。それをうまく説明することはできないのだが、たぶん「死」とそのありかたがかかわる、「ニッポン精神」とでもよぶべき心的な古層が、音の底で妖しくうねりくぐもっているようにおもえてならない。わたしはこれを声にだしてうたったことはない。合唱したこともない。なにか思想的な判断があって意思的にうたうのをじぶんに禁じたわけではないのだ。その機会がなかっただけである。

 しかし、正直に言えば(このしゅのことはじぶんに問うてどこまでも正直にかたらなければならない)、いくら否定しても嫌悪しても、「海ゆかば」にどうしようもなく感応してしまう遠い記憶がわたしの体内にはあるようだ。からだが小声でうたってしまっているというのか。どうしてなのか。「海ゆかば」のなにに、わたしの体内のなにが共振してしまうのか。若いころにはそんなことをかんがえたことはない。だが、いまはおりふしかんがえこむ。かんがえの奥底にはこんな第六感のようなものがうかんだり沈んだりしている。もしもこのクニの過去とげんざいに目にはみえにくい根生(ねお)いの「生理」のようなものがあり、それをかりに「天皇制ファシズムの生理」と概括的によぶとしたら、そのかくされたテーマソングというか、メロディと歌詞は「君が代」と「海ゆかば」ではないのか。ニッポンジンのからだに無意識に生理的に通底する、不安で怖ろしい、異議申し立てのすべてを非論理的に無効にしてしまう、いや、論理という論理、合理性のいっさいをみとめない、静かでとてつもなくセレモニアスな、「死の賛歌」……。濡れた荒縄でぐいぐい胸をしばりつけてくるような圧迫。なんとはなしにそうおもう。1937年の9月には、「勝ってくるぞと勇ましく……」ではじまる「露営の歌」が発売され、半年でレコード60万枚を売る大ヒットとなり、出征兵士を送る歌としても駅頭や職場、学校で頻繁にうたわれるようになる。「海ゆかば」はそのようなヒット曲ではないけれども、それらとは次元をことにして、NHKの電波にのり、不思議な磁力で、ただちにニッポンに根づいた。それは天皇――戦争――死――無私……の幻想を体内にそびきだし、大君のための死を美化して、そこにひとをみちびいてゆく、あらかじめの「弔歌」でもあったのだ。

8 生きている「海ゆかば」

 海をいけば、水に漬かる屍となり、山をいけば、草の生す屍となって、大君のおそばでこそ死のう。後ろを振り返ることはしない……。長歌からここだけをぬきだせば、命を賭して大君にお仕えしたてまつるということになるのかもしれないが、その前後の
「……大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大久米主(おおくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし官(つかさ) 海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言(こと)立(だ)て 丈夫(もののふ)の 清きその名を 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏(うぢ)は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる……」
云々かんぬんも併せかんがえると、大伴家持そのひとにまつわる毀誉褒貶とともに、なにゆえこのような理屈になるのか、なんだかよくわからなくなる。しかし、わたしのようにグジュグジュとしけっぽく愚痴るのではなく、論旨明快にからりと「海ゆかば」を蹴飛ばすひともいまはいる。それを最近、ネットでみつけた。原稿を書くからには久しぶりに試聴してみようと、アマゾンでCDをさがしていたら、「海ゆかば」は若者のあいだでもなかなかの人気らしい。なかに「海ゆかばのすべて」というCDがあり、「軍歌」のカテゴリーでベストセラー一位だという。「海ゆかば」が軍歌かどうかは異論があるらしいが、そういえば、「君が代」も軍歌と分類できぬこともないではないか。「海ゆかばのすべて」には「海ゆかば」の独唱や合唱だけでなく、「パイプオルガン版」「弦楽四重奏版」「出陣学徒壮行会実況録音版」「竹脇昌作の語りつき版」「保育唱歌版ウミユカバ」「ピアノ変奏曲版」など全25曲があり、文字どおりの「海ゆかばのすべて」であった。圧倒される。とくに「出陣学徒壮行会実況録音版」は、はるかな死者たちの合唱のようであり、聴いていて胸がざわついた。このCD、アマゾンのおすすめ度は★四個半だから、「カスタマーレビュー」というやつも総じて評価が高い。「最高!」「誰に咎(とが)められるわけでもないのに聴くのが憚られる奇妙な感覚。そして聴いてるうちに魂が揺さ振られておもわず涙が溢れてしまう」といったものが多い。「海ゆかば」は戦後70年余のいまでも堂々と生きているのだ。ほとんどが感動、絶賛のなかに、一件だけ、冗談じやないよ、という調子のおもしろいレビューがあった。これは、みんなが「君が代」で起立しているなか、ひとりだけすわったまま中指をたてている感じであり、注目した。

9 否定と残響

 後学のために、投稿者にことわりなくこのレビューを引用してみる。タイトルは
「日本の純真な若者を大量殺戮に追いやった狂宴の序曲」
である。てきせつな表題ではないだろうか。わたしとしては、「海ゆかば」のNHK初放送が37年10月、その2ヵ月後に南京大虐殺という時系列を反射的におもいえがいてしまったが、レビュアーのいう「大量殺戮」は、おそらく、南京のできごとだけにげんていしているのではないだろう。レビューの本文は

〈(……)大伴家持が「天皇のためであればいつでも命を捨てます」と繰り返し謳っただけである。/時は聖武天皇が東大寺の大仏建立を達成し絶頂に達しているとき、作者のこびる姿勢がみえみえである。(……)政治的にはかなり野心家で権謀術数好き、生涯数々の陰謀・反乱事件に関与している。死後も藤原種継(たねつぐ)暗殺事件に関与していたと疑われて、墓の埋葬を許されぬまま官の籍を除名される。子の永主(ながぬし)も隠岐国(おきのくに)に流された。死後21年経過して、大同元年(806年)に従三位に復された。/じつに後悔すべき生涯であった。/当代一の文学者のこと、天皇にリップサービスするのはお手の物だっただろう。万葉集には家持の歌が長歌・短歌などあわせて473首が収められており、全体の一割を超えていて、万葉集の編纂者と推測されている。ちなみに彼の生涯においては「命を投げ出す」事は一度もなく68歳まで生きている。/理性ある家臣であればおおきみがまずいことをしたらおいさめ申しあげなければならない。名君として全うされるよう天皇以上に勉学にはげみ、武芸にいそしみ、民百姓が豊かに暮らせる方途を考え、助言を差し上げる準備をおさおさ怠ってはならない、となる筈である。/死だけを浮かび上がらせて、あなたのためなら火のなか、水の中もいとわず、いつでも死にます、なんて言えるのは「三文小説」の安せりふか、やくざ映画を見すぎた、三下やくざぐらいのものである。/こんな歌を歴史のくずかごから取りだして、「お国のため」「天皇のため」「聖戦のため」「大東亜共栄圏のため」「八紘一宇のため」と言って青少年に「死を覚悟することがあたかもすばらしいこと」のように思わせた、当時の軍部・為政者・社会上層部の人々の罪は深いのである。また報道関係者の人々も同罪ではないでしょうか>

 同感である。どんなひとがこれを投稿したのだろうか。大伴家持なんか大した人物じゃない。原歌も大君の礼賛ばかりで深みはない。大君のために死ぬことを美化して若者に道をあやまらせた責任は重い。まことにもっともである。投稿者は二、三十代ではあるまい。四十代以上か。歳を問うても詮ない。ただはっきり言えることがある。このレビュアーはたぶん、さいわいにして、体内に「海ゆかば」の残響をもってはいないのだろう。

 「海行かば」を絶賛する若者たちや「海ゆかばのすべて」という時代錯誤のCDを編纂する者たちの存在を知って、私は胸苦しくなり、反吐を吐きそうな気分になった。「『時間』はなぜ消されたのか」で、辺見さんが『執拗に反復しながら永続する「幽霊」』と言っていた「幽霊」が、ここまで我が物顔に蔓延っているだ。

 しかし「日本の純真な若者を大量殺戮に追いやった狂宴の序曲」というレビューを読んで、一縷の希望が見えてほっとした気分になった。

 辺見さんの論説の続きを読もう。

10 「屍」とはなにか

 その伝でいまいちど率直に言うならば、わたしは体内深くに「海ゆかば」の、遠くかすかな残響を、いたしかたなく感じている男である。わたしは戦争世代ではないものの、戦争の反響音や残像のかけらのようなものを、どうしようもなく身におびている。しかしだ、後に詳述するつもりだけれども、「国旗及び国歌に関する法律」などというものが存在するのには心底あきれかえり、いまだもって不思議でならないのである。わたは「日の丸」「君が代」を見聞きしても、起立したり斉唱したりできない。たとえ数万人のひとびとがいっせいにそうしたとしても、そうしなげれば逮捕されるにしても、わたしは起立も斉唱も独唱もしない。ぜったいにしない。できないのだ。なぜなら、ヒノマル・キミガヨは、どうかんがえても、わたしのなかで、そしてニッポンというクニにとって、もっとも忌むべき(であった)表象だからである。いま、起立しうたいたい者はうたうがいい。ただ、わたしは立たず、だんじてうたわない。かつてみた南京攻略関連のドキュメンタリーフィルム(1938年、東宝文化映画部作品『南京 戦線後方記録映画』)では、たくさんの「日の丸」がはためき、暴虐のげんばから、将兵が皇居にむかい腰を90度に折って深々と「遥拝(ようはい)」し、感激のおももちで「君が代」をうたい、「天皇陛下万歳!」「大元帥陛下万歳!」とさけぶのである。どうしておなじ動作をわたしができるだろう。しかし、おなじ動作をだんじてできないからといって、「君が代」や「海ゆかば」に、生理的けんおしか感じないのかとギリギリとじぶんに詰問すれば、かならずしもそうではない気がする。あれらのメロディに感応するように、体内でびみょうに蠕動(ぜんどう)するものがないとはいえないのである。わたしはそのかすかでびみょうな感覚を、ニッポンどくとくの、ほの暗く湿潤なファシズムとのかんれんでかんがえている。「葦原の瑞穂の国は神ながら言挙げせぬ国しかれども言挙げぞ我がする」とうたった万葉の時代からの、容易に言挙げをせぬ秘儀的なファシズムをイメージする。それはいまもまったく消滅はしていないとおもうのである。

 ニッポンは敗戦によっても、戦中と戦前を払しょくしはしなかった。ヒノマル・キミガヨだけではない。戦前、戦中の律動と身ぶり動作、「思考法、旋律、発声法はいまも各処にのこっている。ニッポンジンはたぶん不注意なのではない。ただ忘れっぽいだけでもない。忘れたふりをして「むかし」をのこしておく、そのそぶりに長けているのだ。
 1943(昭和18)年10月21日朝、明治神宮外苑競技場で、文部省・学校報国団本部主催の出陣学徒壮行会(いわゆる「学徒出陣」)が東条英機首相らが出席して挙行され、雨中、関東地方の学生など7万人が参加した。このときも「君が代」がえんそうされ、「海ゆかば」がうたわれ、「天皇陛下万歳!」が三唱されたことはいうまでもない。そのときの音声と映像をYouTubeで視聴した読者もすくなくないだろう。どうだろう、なにか不思議なことにお気づきではなかっただろうか。着剣した小銃を肩に、悲愴なおももちで雨にぬれたトラックをザックザックと行進し、その後多数が玉砕した「学徒兵」ら。そのさいに吹奏されていた行進曲に聞きおぼえはないだろうか。そうなのだ、げんざい自衛隊や防衛大学校などの観閲式でながされている分列行進曲とおなじである。あれは大日本帝国陸軍の公式行進曲、別名「抜刀隊」だ。もともと軍歌であり、
「……敵の亡(ほろ)ぶる夫迄(それまで)は 進めや進め諸共(もろとも)に 玉ちる剱(つるぎ)抜き連れて 死ぬる覚悟で進むべし……」
といった歌詞(作詞外山正一、作曲シャルル・ルルー)である。1★9★3★7だげではなく、学徒出陣のさいにもちいられた行進曲と自衛隊・防衛大学校の観閲式の行進曲がおなじというのは、不思議どころかまことに異常ではないか。戦争の反省もなにもあったものではない。あまりといえば無神経ではないのか。ニッポンの戦前・戦中・戦後には、情念の基層部において同質の律動があり、戦後70年余にしてそれを変えようという気運はない。いぜんよりも、はるかに、はるかにない。

 「積屍」の話からだいぶ脱線してしまった。言いたかったのは「屍」のことである。南京大虐殺の屍体の堆積を、作家堀田善衛は小説『時間』のなかで、中国語をもちい「積屍」と表現した。このばあいの「屍」と「海ゆかば」でうたわれる「水漬く屍」「草生す屍」の屍は、屍は屍でも、ことなった屍ではないのか、というのがとりあえずの仮説である。「積屍」の屍には、わたしの推理では、国籍がない。それが意識されていない。人種、血族、民族が前提されていない。一方、「水漬く屍」「草生す屍」のほうの屍は、もっぱら「葦原の瑞穂の国」ないし「日の本の大和の国」の屍であることを意味するのではないだろうか。ぎゃくに言えば、中国で「皇軍」が殺したおびただしい中国人は、水漬くそれであれ、草生すそれであれ、ニッポン兵の目には(多くの例外もあるが)一般に、おなじ人間の屍体としては対象化されなかったのではないか。そのような骸(むくろ)とは意識されなかったのではないのか。だからこそあれほどの殺りくが可能だったのではないだろうか。それらを、だからこそ、弔うことがなかったのではないか。堀田は『時間』のなかで、「皇軍」の「ああした残虐をも可能にするエネルギーそのもの」について、主人公の中国人にひとしきり思索させている。だが、その過程で「大君」に思考の照準をさだめることはついぞなかった。作家の故意か故意ではないか、軽々に断じることはできない。けれども、「大君」――戦争――死の関係が、敗戦後70余年、いっかんして「かへりみはせじ」であり、故意にあいまいにされてきたことが、2016年現在の状況の基礎となっているようにもおもえる。

 日中戦争には奇怪なことが山ほどあった。だいいち、1★9★3★7(イクミナ)の年もそれ以降も、「皇軍」は日中戦争を日中戦争とは呼ぼうとしなかったのだ。1938年にはニッポン総兵力の7割もが動員される総力戦そのものとなっていたのに、宣戦布告をおこなわなかっただけでなく、まがうかたない戦争なのに、むりに過小評価するかのように、「北支事変」「上海事変」と公称し、その後に「支那事変」と呼んで、これにメディアも忠実にしたがった。「事変」とは、騒動、騒乱、紛争のことであり、全面的な交戦状態となった当時の事態の総称としては奇異の感をいだかざるをえない。戦争が公然とかたられたのは41年12月のいわゆる「大東亜戦争」開始のときからであり、これがげんざいもニッポンの近代戦争史観に奇妙なブレをあたえている。

 一方、前述の「ああした残虐行為をも可能にするエネルギー」についてだが、明治以来の中国蔑視思想にくわえ、ニッポンぜんこくを憤怒のうずにまきこむのに、こう言ってよければ、"おあつらえむき"の事件がおきたのも考慮にいれなければならない。1937年7月29日に、中国の通州(北京市通州区)で、ニッポンの傀儡組織である「冀東防共自治政府」の保安隊(中国人部隊)が叛乱をおこして日本軍の通州守備隊や日本人および朝鮮人居留民を襲い、二百数十人が惨殺されたいわゆる「通州事件」がそれである。背景には日本軍による保安隊宿舎への誤爆事件や占領者へのはげしい憎しみや反感があったのだが、ニッポン国内ではこれが大々的かつ煽情的に、ときには猟奇的に報じられた。むごたらしい行為の詳細がつたわるにつれ「暴支膺懲」(「暴虐な支那を懲らしめよ」)の世論が一気にまきおこって事態がどんどん過熱してゆく。「残忍な支那人」と「被害者ニッポン」の構図がみるまにたちあがる。

 東京日日新聞が7月31日付の号外で「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐極まる暴行」という見だしで報道すれば、東京朝日新聞も負けじと8月2日付号外で「掠奪!銃殺!通州兵変の戦慄 麻縄で邦人数珠繋ぎ 百鬼血に狂ふ銃殺傷」とセンセーショナルに報じ、その後も、「ああ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曾てこれほどの侮辱を与へられたることがあるだらうか。悪虐支那兵の獣の如き暴虐は到底最後迄聴くに堪へぬ」「宛(さなが)ら地獄繪巻!鬼畜の残虐言語に絶す」「恨みの7月29日を忘れるな」などと最大級の刺激的表現で事件を詳報した。強姦、斬首、青竜刀による身体各部切断などのグロテスクな情景がまたたくまにひろがる。こうしてニッポン中が怒りのるつぼと化した。なにしろ、社会主義者の山川均までもが逆上し、「支那軍の鬼畜性」と題する文を『改造』(同年9月特大号)に寄せて
「新聞は『鬼畜に均しい』という言葉を用いているが、鬼畜以上という方が当たっている。同じ鬼畜でも、いま時の文化的鬼畜なら、これほどまでの残忍性は現さないだろうから」
と強調するほどだったのだから、宣戦布告なき中国侵略の不当性、違法性など論じる空気も(もともとなかったが、ますます)消しとんでしまう。

 盧溝橋事件から通州事件までの時間的間隔は約20日。通州事件から南京大虐殺までの間隔は4ヶ月あまり。殺りくの規模はまるでちがうけれども、満州事変を起点とする三つの連鎖的事件は、「皇軍」の謀略、メディアのセンセーショナリズム、日中間の反目とニッポンがわの対中懲罰意識の増幅があいまって、日中戦争に類例のない地獄絵をこしらえさせる心理的な要因にもなった。

 「メディアのセンセーショナリズム」は今も変わらない。私が毎日読んでいるブログに『マスコミに載らない海外記事』があるが、そのブログの主催者さんはマスゴミを「大本営広報部洗脳機構」と呼んでいる。まさに、言い得て妙である。
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