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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15戦争史(14)

1936年(1)~(4)

 1937年には日中戦争が勃発する。その前年ということで、1936年で取り上げる項目は、2・26事件関連の記事だけで6項目、全部で10項目ある。従って2回に分けて掲載することにする。また、前回の『紅軍の「大長征」終わる』関連記事の最後の文は「こうして36年12月世界をおどろかせた西安(シーアン)事件がおこった。」だった。この西安事件が1936年の最後の項目である。

 さて、『残日録』からの記事は2・26事件から始まるが、それを掲載する前に野中四郎(陸軍歩兵大尉)がしたためた蹶起趣意書を読んでおこう。『探索3』から転載する。(私にとっての難字には読みや意味を補足した。手元にあるどの辞書を調べても不明な言葉には「?」を付した。ご存じの方教えて下さいませんか。)


蹶起趣意書

 謹ンデ惟ルニ我ガ神州タル所以ハ、万世一系タル天皇陛下御統帥ノ下ニ、挙国一体生成化育ヲ遂ゲ、終ニ八紘一宇ヲ完了スルノ国体ニ存ス。此ノ国体ノ尊厳秀絶ハ天祖肇国、神武建国ヨリ明治維新ヲ経テ益々体制ヲ整へ、今ヤ方(まさ)ニ万邦ニ向ツテ開顕進展ヲ遂グベキノ秋(とき)ナリ。
 然ルニ傾来(けいらい =近頃)遂ニ不逞凶悪ノ徒簇出(ぞくしゅつ)シテ、私心私欲ヲ恣(ほしいまま)ニシ、至尊絶対ノ尊厳ヲ藐視(びょうし =軽視)シ、僭上(せんじょう =分を越えた奢り)之働キ、万民ノ生成化育ヲ阻碍シテ、塗炭ノ苦痛ニ呻吟セシメ、随ツテ外海外患日ヲ逐ウテ激化ス。
 所謂元老、重臣、軍閥、官僚、政党等ハ此ノ国体破壊ノ元凶ナリ。倫敦海軍条約並ニ教育総監更迭ニ於ケル統帥権干犯、至尊兵馬大権ノ僭窃(せんせつ =身分を越えて位をぬすむこと)ヲ図リタル三月事件、或ハ学匪、共匪、大逆教団等、利害相結ンデ陰謀至ラザルナキ等ハ、最モ著シキ事例ニシテ、其ノ滔天(とうてん =たいそう勢いの盛んなこと)ノ罪悪ハ流血憤怒真ニ譬ヘ難キ所ナリ。中岡、佐郷屋(さごや)、血盟団ノ先躯捨身、5・15事件ノ噴騰、相沢中佐ノ閃発トナル、寔(まこと)ニ故ナキニ非ズ。
 而モ幾度カ頸血ヲ[賤にサンズイがついた文字 そそ]ギ来ツテ今尚些モ懺悔反省ナク、然モ依然トシテ私権自恣ニ居テ、苛且楡安(?)ヲ事トセリ。露、支、英、米トノ間、一触即発シテ、祖宗遺垂ノ此ノ神洲ヲー擲破滅二堕ラシムル、火ヲ賭ルヨリ明カナリ。
 内外真二重大危急、今ニシテ国体破壊ノ不義不臣ヲ誅戮シテ稜威ヲ遮り御維新ヲ阻止シ来レル奸賊ヲ芟除(さんじょ =のぞく)スルニ非ズンバ、皇謨(こうぼ =天皇の国家統治)ヲー空セン。恰モ第一師団出動ノ大命煥発セラレ、年来御維新翼賛ヲ誓ヒ、殉国捨身ノ奉公ヲ期シ来リシ帝都衛戊ノ我等同志ハ、将ニ万里征途ニ上ラントシテ、而モ顧ミテ内ノ亡状憂心転タ(?)禁ズル能ハズ。君側ノ奸臣軍賊ヲ斬除シテ、彼ノ中枢ヲ粉砕スルハ我等ノ任トシ能ク為スベシ。臣子タリ股肱タルノ絶対道ヲ今ニシテ尽サズンバ、破滅沈淪(ちんりん =深く沈む)翻スルニ由ナシ。
 茲二同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、奸賊ヲ誄滅シテ大義ヲ正シ、国体ノ擁護開顕ニ肝脳ヲ竭(つ)クシ、以テ神州赤子ノ微衷ヲ献ゼントス。
 皇祖皇宗ノ神霊冀クバ照覧冥助ヲ垂レ給ハンコトヲ。

 昭和十一年二月二十六日         陸軍歩兵大尉 野中 四郎

 読んでいると強い虫酸が走ってくる。これまでの軍人によるテロと同様、自分たちは正義を貫いているという妄想を支えているのは神州・万世一系・八紘一宇・皇祖皇宗……といった類の妄想である。天皇制下の支配階級による教育・文化の全面的な統制下で育った人たちのほとんどがその妄想を掛け替えのないものとして囚われていった時代ではあった。

 しかし、この問題は現在も無縁ではない。私は東京都に於ける学校での「君が代・日の丸」の強制を契機にこのブログを始めたのだが、この問題は今や全国的な問題になっている。昨日(11月8日)、この問題を「澤藤統一郎の憲法日記」が取り上げていた。是非多くの人に読んで頂きたいと思った。紹介しておこう。
『学校儀式における「日の丸・君が代」の呪縛』

 『残日録』に戻ろう。

(1)2月26日
2・26事件と昭和天皇


「自ら鎮圧に当たらん」

 前夜からの大雪で、東京は一面の銀世界であった。その雪を踏んで完全武装の部隊が、重臣たちの官私邸に向かって行った。1936年2月26日午前5時、空前の大反乱がはしまった。率いるのは陸軍大尉野中四郎、安藤輝三以下の青年将校22名。従うは歩兵第一、第三連隊および近衛歩兵第三連隊の下士官兵1400名余。

 内大臣斎藤実、教育総監渡辺錠太郎は即死。蔵相高橋是清は重傷のち死亡。侍従長鈴本貫太郎は重傷。首相岡田啓介は義弟松尾伝蔵大佐の身代わりの死で奇跡的に命びろいをした。

 この大事件にさいしてときの岡田内閣は無力、陸軍首脳はなす所を知らず、右往左往した。彼らを決起部隊として、ひたすらなだめようとした。ひとり毅然として決起部隊を「反乱軍」とよび、討伐を命じたのは昭和天皇である。
「朕が最も信頼せる老臣をことごとく斃(たお)すは、真綿にて朕が首を締むるにひとしき行為なり」
「かかる凶暴の将校らは、その精神において何の恕(ゆる)すべきものありや。自ら近衛師団を率い、これが鎮圧に当たらん」
――堂々たる大元帥の言葉。

(2)2月26日
高橋是清殺される


「軍の政治介入は国家の災い」

 実は、ケインズよりも先に、ケインズの雇用理論そのままに、この人は積極財政を推進した。それはウォール街の大暴落以後の、日本の景気回復に、大いに役立った。が、そのいっぽうで軍事費はふくらみ、陸軍の政治進出を可能にする思いがけない結果をうんだ。そこでこの人は、軍部の突出に歯止めをかけようと、真剣に立ち向かった。
「常識を欠いた軍が政治にくちばしを入れるのは言語道断であり、国家の災い以外のなにものでもない」
と、この人は明言してはばからなかった。陸軍はこのまともな批判を許さなかった。

 1936年2月26日、いわゆる2・26事件で、この人が襲撃され殺されたのは、その報復といってもいい。ときの蔵相、高橋是清である。通称ダルマさん。日本がうんだ傑出した財政の実務派である。その人柄、生き方をほめない人はいない。清貧そのもの、淡泊さは人間離れしている。信ずることをズバリといった。天下何も恐れるものなし、というのが信条。惜しい人を失った。享年81歳。

(3)2月29日
2・26事件ようやく鎮定


「今からでも遅くない」  2月29日、午前8時50分、九段の戒厳司令部の放送室よりチーフ・アナウンサー中村茂によって、有名な「兵に告ぐ」が放送された。
「兵に告ぐ、勅命が発せられたのである。……お前たちはみな原隊に復帰せよと仰せられたのである。この上あくまでも抵抗したならば、それは勅命に反抗することになり、逆賊とならなければならない……今からでも決して遅くないから、抵抗をやめて軍旗の下に復帰するようにせよ」
 情勢は激変し決起部隊は反乱軍として鎮圧される。急転直下である。

 「兵に告ぐ」がまず電波にのったことに、興奮したのは新聞社である。しかし、記者クラブにかみつかれた陸軍省新聞班の松村秀逸少佐は顔を真っ赤にして「号外を出したって反乱軍の手に入るわけがないッ。いまは寸秒を争っているのだ。新聞などにかまってはおれん」と怒鳴った。
 満洲事変のときにも、速報性ということで新聞は電波と対決したけれども、とてもかなわぬと兜をぬいだのはこのときであったであろう。

 ともあれ、2・26事件はこの「兵に告ぐ」で終る。

(4)4月19日
重々しい国名の使用


「大日本帝国に統一す」

 この年の4月19日、新聞を読んだ人は、ちょっと奇妙な感じを抱いた。外務省が妙なことを発表したのである。

 詔書、公文書などのなかでこれまで日本国、大日本国、日本帝国、大日本帝国などとまちまちに呼称されてきたが、本日より「外交文書には大日本帝国で統一し、実施している」と国民に知らせた。また、皇帝と天皇とが混用されてきたが、「大日本帝国天皇」に統一した、とも発表した。

 国際連盟を脱退していらい世界の孤児となったが、今後は威厳と権威にみちた重々しい国名で、列強との交渉にあたる、という決意を内外に示したのである。

 もともと陸軍にあっては昭和7、8年ごろより皇国・皇軍意識が強調されていた。大日本帝国も陸軍が愛用するものであった。要は、それが国民レベルにまでもちこまれることになったのである。

 単なる言葉の問題ではなく、ウラに国民意識の転換が意図されている。それで日本人はますます夜郎自大になっていった。

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