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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15戦争史(9)

1933年(6)~(11)

 国家権力の教育破壊の魔の手は大学にまで及び、学問の自由を崩壊した。

(6)4月22日
滝川事件が起こった日


「邪魔者以外の何ものでもない」

 黒澤明監督の終戦直後の映画「わが青春に悔なし」に、心の底から感動した記憶がある。"国賊"として迫害されるなかで、あくまでも戦いぬく幸枝役の原節子がまぶしいくらい美しかった。これは1933年4月22日に起こった京都大学の滝川幸辰(ゆきとき)教授事件に題材をとっていた。

 この事件は、その著書や講演が危険な内容をもち大学教授として適格でないとして、国家意思の統一を目指す文部省(文部大臣鳩山一郎)が、小西重直京大総長に滝川の辞職を要求したことに発する。たいして法学部教授会は大学の自治、学問の自由をおかすと反対、文部省に真っ向から対立し大騒動になった。結果的には、官憲の弾圧があり、夏休みに入るとともに、滝川をはじめ末川博、佐々木惣一たち6人の免官という形で一応の終止符がうたれた。

 戦後の滝川の手記がある。
「暗黒時代における他学部の態度は、法学部の邪魔者以外の何ものでもなかった」
と。すでに国家権力の前に他学部すなわち大学全体は無力そのものであったのである。

 学問の自由はかくて崩壊する。

(7)5月10日
ナチス・ドイツの「焚書」


「将来の告発者として居あわせたい」

 ヒトラー独裁下のドイツ・ベルリンで、中世さながらに焚書の愚挙が再現されたのは、1933年5月10日のこと。非ドイツ的・マルクス的・ユダヤ的なものとみなされた書物が、炎のなかに投げこまれた。アインシュタイン、フロイト、トーマス・マン、ツヴァイクなどの著書2万冊が灰と化す。

 同じように火あぶりの刑に処せられたものに、作家ケストナーの著書もふくまれていた。かれはまた『エミールと探偵たち』『空飛ぶ教室』など児童文学も数多く書いているが、容赦なく火にくべられた。
「将来の告発者としてこの場に居あわせたい」
と決意したかれは、多くの作家が亡命するなかで、ベルリンにとどまっていた。そしてこの日、わざわざ自分の本が燃やされる現場に見に出かけた。
「私たちの本がめらめらと燃える炎の中に投げこまれるのを見、うそつきゲッベルス(ナチス・ドイツの宣伝相)の長広舌を聞いた」
 その『日記』に書かれたこの個所を読むたびに、この作家の精神の強さにはげしい感動をおぼえる。

 次の項は軍が絶対の権力を振るっている時にも堂々とそれに抗っている人がいたという感動の事例である。

(8)6月17日
ゴー・ストップ事件


「軍人だろうと街では市民である」

 この年の6月17日の昼ごろ、事件は起こった。事の起こりはまことに他愛もないあきれた話である。

 大阪天神橋6丁目の交差点で「とまれ」の赤信号を無視して横断しようとした兵隊を、交通整理の巡査が制止した。そして巡査は、「巡査の指図は受けぬ」と反抗する兵隊を交番に連行し、ここで格闘となった。

 この信号無視の小さな騒ぎが、軍部と警察がたがいに意地とメンツにかけて一歩も引かずやり合う大事件にまで発展する。そして結果的に、日の出の勢いで台頭する軍部に歯止めをかけられるか否か、戦前自由主義の最後のレジスタンスといえる事件、ともなった。

 このとき、奔馬(ほんば)の如き陸軍の前に大手をひろげて立ちふさがる豪胆さを示したのが、警察部の部長粟屋仙吉。
「軍人だろうと私人として街へでたときは一市民であり、巡査の命令に従うべきだ」
といいきった。事件は5ヵ月後に宮内省から荒木貞夫陸相への働きかけで解決するが、粟屋部長は最後まであっぱれな頑張りを示す。のち部長は広島市長として原爆死した。

 次はマスゴミの中で光るジャーナリストのレジスタンスである。

(9)8月11日
気骨ある新聞人桐生悠々


「関東防空大演習を嗤(わら)う」

 勇気ある新聞人として桐生悠々(きりゅう ゆうゆう)の名は、戦後になって有名となった。信濃毎日新聞社の主筆として、防空演習がいかに愚劣かを主題とした「関東防空大演習を嗤う」という社説を書き、軍部と衝突、一歩も退かなかった気骨ある態度が、ひろく知られたゆえである。

 軍部が第一回関東地方防空大演習を行ったのが1933年8月9日からで、桐生の社説発表は8月11日のこと。これはもう桐生の批判がもっともなことで、東京の空に敵機を迎え撃つなんてことは、日本の大敗北を意味する。紙と木だけの東京の惨状は言語に絶することになる。
「従ってかかる架空的な演習を行っても、実際には、さほど役立たないだろう」
と桐生が書いたのは正しいのである。事実、1945年のB29による日本本土空襲がそれを証明する。

 ところが、陸軍は当然カッとなった。桐生に弾圧の手をさしのばした。新聞社に累を及ぼすことを恐れて桐生は退社する、「生贅(いけにえ)の報いられずして梅かほる」の一句を残して。これも自由主義最後のレジスタンス。

 北朝鮮の脅威を煽って、バカバカしい避難訓練を行なったアベコベ政府に辛辣な記事を書いた新聞はあっただろうか。

(10)8月
「東京音頭」の大流行

「ヤットナー、ソレ、ヨイヨイヨイ」

 東京がそれまでの15区から35区へと拡大されて、「市民500万」「世界第2位の大都市」と誇りだしたのは1932年10月の市区改正のとき。わたくしの生まれた東京府南葛飾郡大畑村が向島区吾嬬町になったのもこのとき。

 そして1933年夏から秋へ、世界的大都市誕生を祝するかのように突如として起こったのが「ヤットナー、ソレ、ヨイヨイヨイ」の一大狂騒曲。つまり「東京音頭」で、その人気は昭和1936年に及んでもやまなかった。

 なぜに、そんなものすごい国民的熱狂であったのか。当時の日本人が先行きに不安を感じ出したときであるため、と観察できる。国際連盟脱退やら京大の滝川事件、関東地方防空大演習で関東平野が真っ暗……世にいう非常時。ほんとうなら「ヨイヨイヨイ」とやっているときではなかった。いや、それゆえに……。

 社会的不安や国際的孤立感やら緊張をほぐすためには、お祭りが一番なのである。歌って踊ってすべてを忘れる。それはいつの世でも変わらない。幕末の「ええじやないか」を思い出せば了解できる。国家は、いつだって祝祭によって人心を一つにまとめて挙国一致体制をつくっていく。

 ここでまた私は、オリンピックを東京に招致するための演説で福島の放射能汚染は「アンダーコントロール」とウソをついたアベコベを思い出した。ウソをついてまでオリンピックを招致しようとする魂胆は明らかだ。今日本中がオリンピックまで1000日などと浮かれているが、私は一貫して2020年オリンピックには反対の意見を持ち続けている。
 この問題については水島宏明(上智大学教授)さんの論考を紹介しておこう。
『安倍首相が五輪招致でついた「ウソ」 “汚染水は港湾内で完全にブロック” なんてありえない』

1933年の記事は「文化への統制・弾圧の動き」から始まったが、最終記事も「文化への統制・弾圧」である。

(11)11月22日 「源氏物語」の上演禁止


「非常時」

 1932年11月に編成された1933年度予算は22億3800万円という巨額になった。新聞は「日本はじまって以来の非常時大予算」と伝えた。これが「非常時」という言葉のはじまりらしい。

 目ざとい陸軍はここから「非常時」と吼えだした。1933年になると、軍警当局は非常時宣言の音量をあげる。とにかく何から何まで「非常時だからガマンせよ」であった。

 ついに11月22日、古典「源氏物語」の上演に警視庁が待ったをかける。坪内逍遥、藤村作(つくる)の両博士が顧問で、光源氏に坂東蓑助、ほか演技陣も豪華キャストで11月26日から新歌舞伎座で上演の予定であった。
「脚本は、光源氏を中心として、当時の人たちの姦通など、徹頭徹尾恋愛物語に終始し、風紀上大いに害がある。非常時日本にふさわしくない」

 藤村博士が抗議して、
「どこがいけないか指摘してくれ。直すなり削るなりするゆえに」
といえどダメの一点張り。いつの時代でも、非常時には文化などどうでもいい、というお話である。

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