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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15戦争史(6)

1932年(1)~(3)
(1932年は取り上げる事件が8項目もあるので2回に分けて掲載します。)

 満州事変後、政府を無視した陸軍の暴走はますます激しくなっていた。

(1)1月18日
第1次上海事変の内幕


「われわれの陰謀は功を奏し」

「準備もほぼととのった1月18日夕方、江湾路にある日蓮宗妙法寺の僧侶が托鉢寒行で廻っているのを、買収した中国人の手で狙撃させた。2名が重傷を負い、1名は後に死亡したが、中国側巡警の到着がおくれたために、犯人は捕まらなかった。待ちかまえていた日本青年同志会員30余人が、ナイフと棍棒をもって、犯人が隠れていると主張して、三友実業社を襲って放火し帰路警察隊と衝突して死傷者を出した。これが上海事件の発端である」

 当時上海駐在武官補佐官であった田中隆吉が書くところの、第一次上海事変の内幕である。1932年のこと。満洲に上がった戦火から世界の視線をそらすために、この戦闘は仕組まれた陸軍の陰謀であった。

「1月28日、日中両軍は戦闘を開始して本格的な戦争になって来た。3月3日停戦協定成立となったが、われわれの陰謀は功を奏して、列国の眼が上海に注がれている間に、満洲国は3月1日に独立してしまった」
 と誇って書いている。

 いまは何ということかと嘆ずるほかはないが……。

(2)2月22日
肉弾三勇士の「美談」


「廟行鎮の敵の陣」

 戦前の国語の教科書に忠勇なる三勇士の「美談」としてのっていたので、記憶している人は多いであろう。映画に舞台に、上海事変の肉弾三勇士として銅像もつくられていた。長田幹彦作曲、中山晋平作曲による戦時歌謡もあった。
 廟行鎮の敵の陣  我が友隊すでに攻む  ………

 すなわち、混成第24旅団が廟行鎮の中国軍への総攻撃を開始したとき、久留米工兵第18大隊は、前面の鉄条網を破壊し、歩兵の進路を確保する任についていた。そのとき江下武二、北川丞(すすむ)、作江伊之助各一等兵が破壊筒もろとも爆死、身を捨てて任務を果たした。ということで、3人とも2階級特進し、彼らの母には陸軍から金一封が贈られた。昭和7年2月22日、上海事変でのことである。

 ところがいまは、作られた美談ということになった。作江が早く敵弾に当たり攻撃は成功せず、未帰還となったのを、果敢に突入しての敵陣爆破と認定したものであったという。およそ歴史に「美談」はないのである。

 満州事変のフェイクニュースに熱狂する国民はこのような作られた美談にもたやすく騙され喝采し、擬似愛国心に引き込まれていく。

(3)2月29日
リットン調査団の来日

(この項は『残日録』にはないので『探索2』と『史料集』を利用する。

 まず、『探索2』より。

 上海に北満に、戦火はひろがる一方である。1月25日、国際連盟理事会が開会されたとき、日本代表団はまたしても10年1日がごとき空手形の演説をくり返すだけである。
 「わが国は満州において領土的意図を有するものではありませぬ。また、既存の諸条約は申すにおよばず、門戸解放、機会均等の主義を尊重することは、もちろんのことであります」

 国連理事国の代表団はひとりとして、さすがにもう日本のいうことを信じるものはなかった。その国連理事会が決定した満州の現状を調査するための委員会が日本に到着したのは、1932年2月29日のことである。イギリスのビクター・リットン卿を団長とするいわゆるリットン調査団(ほかに米・独・仏・伊の委員で構成)である。

 だれの手も借りず、満州問題を自力で処理せんとする気運が高まっている日本国内は、一行の到着を複雑微妙な気分で迎えた。軍部ははげしい敵意を抱いた。その一部は、一行にコレラ菌をつけた果物を差し出し、ひそかに一行を病気にして殺そうという恐るべき謀略を実行に移そうとしたものがあったという。はたして本当かどうか。

 また、こんな話が残されている。調査団到着の数日前に、駐日イギリス大使が外務次官有田二郎を訪ねてこういった、という。
「一行が日本にやってくれば、暴力団が決起して、リットン卿をはじめ主なものを暗殺するとか、また、内田良平というような国粋主義的な連中が、満州国承認問題について国民大会を催すとか、そういう噂もある。だいぶ危険な空気がみなぎっているようだが、大丈夫であろうか」
 これによっても殺気立つ国内の雰囲気がよくわかる。ほとんどの日本人がそこまでは考えていないとしても、悪意の冷淡さをもって調査団を迎えたことは事実なのである。

 大阪朝日新聞は3月8日の社説「連盟調査委員を迎う」でこう虫のいいことを訴えた。
「吾人は調査委員が10日間の日本滞在によって、よく日本および日本人を理解し、やがて渡支の後において現実に即して比較考量され、これによって日本の支那における行動を公正に判断し、悪宣伝などに惑わされることなく、もって権威ある調査報告書を作成されんことを衷心から希望するものである」

 一部をのぞいてジャーナリズムは、この朝日の論説に代表されるような、なんとか調査団をとおして日本国民の平和意思を伝え、よい報告を期待しようではないか、という姿勢をとっていたのである。ただ石橋湛山だけは違っていた。3月5日付の論説で、かれは説いている。日本帝国は欧米列強に追随して帝国主義的な政策を信奉しているのではない。資源なき一小島国が、世界列強の帝国主義に伍していくいわば自存自衛のために、やむなくとっている手段なのである。それを決して是認するものではないが……と湛山は苦衷をにじませて懸命に日本の立場を訴えている。

 リットン調査団はその調査の報告書(緒言と10章よりなる)を10月2日に連盟に提出した。その報告書のあらましを『史料集』では次のように解説している。
第4章、柳条湖事件関係の結論。日本の自衛権発動と認めず、計画的行動とした。
第6章、満州國の結論。満州国の政治・行政・軍事の実権は日本人の手にあり、日本の傀儡政権だとしている。
第9章、解決の原則及条件の一節。この他、ソ連邦の利益への考慮、現存諸条約との一致、将来の紛争解決規定の全10項目をあげている。その一つで「団内部の治安は憲兵隊で外部侵略には軍隊撤退と不侵略条約の締結によれ」としている。

 上の三つの章の原文(『日本外交文章』からの抜粋)が掲載されているのでそれを転載しておく。

(第4章)
 9月18日午後10時より10時30分ノ問ニ鉄道線路上若(もしく)ハ其ノ付近ニ於テ爆発アリシハ疑(うたがい)ナキモ、鉄道ニ対スル損傷ハ若(も)シアリトスルモ、事実長春ヨリノ南行列車ノ定刻到着ヲ妨ゲザリシモノニシテ其レノ軍事行動ヲ正当トスルニ十分ナラズ。同夜ニ於ケル叙上日本軍ノ軍事行動ハ合法ナル自衛ノ措置ト認ムルコトヲ得ズ。

(第6章)
「政府」及公共事務二関シテハ、仮令(たとえ)各部局ノ名義上ノ長官ハ満州在住ノ支那人ナリト雖(いえど)モ、主タル政治的及行政的権カハ日本人ノ官吏及顧問ノ掌中ニ在リ。……吾人ハ「満州国政府」ハ地方ノ支那人二依リ日本側ノ手先ト目セラレ、支那側一般ノ支持ナキモノナリトノ結論ニ到達シタリ。

(第9章)
 満足ナル解決ノ条件
一 支那及日本双方ノ利益ト両立スルコト。…… 四 満州ノ自治二於ケル日本ノ利益ノ承認。…… 五 支那及日本間二於ケル新条約関係ノ設定。…七 満州ノ自治。…… 八 内部的秩序及外部的侵略ニ対スル安全保障。……
九 支那及日本間二於ケル経済的接近ノ促進。…… 十 支那ノ改造二関スル国際協力。……

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