2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。

393 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(45)
最古の政治地図「オオクニ」(4)
2005年10月16日(日)



 「第390回(10月7日)」に掲示した地図を再度載せる。

大国

 この「オオクニ」の「政治地図」には、中央の海域部分が空白になっている。 つまり、「アマクニ」部分がない。この〝「天国」部分空白″の謎を古田さんは 次のように分析している。

 まず注意しよう。ここに示されているものは、「大八洲国」と同じく、「政治 地図」であって、「自然地図」ではない。ここに示された地域しか〝知らなかっ た″わけではない。〝勢力範囲におさめていた領域″だけを記しているのであ る。

 この大国は、自己の根拠地たる出雲以外に、朝鮮半島釜山近辺たる韓(加羅) の地と、博多湾岸とその山地周辺に当る三点(糸島郡付近。白木原付近。太宰 府・基山・久留米付近)を、その〝勢力下″におさめていたのだ。つまり、朝 鮮半島から日本列島に至る、あの幹線道路の始発点と終点をおさえているのだ。 だが、それらはいずれも「点」にすぎず、〝狭い領域″だ。博多湾岸近辺も、 この三点に分かれている。だから、これら〝小領域″に比べて、自己の本拠 (面)を「大国」と誇称したのではないだろうか。

 ところが、問題はつぎだ。右の始発点と終点の間に横たわる、〝対馬・壱岐を 中心とする天国(あまくに)部分″は、〝政治的に″この地図から欠落している のだ。
 逆に、この同一時点において、この同一状態を「天国」側から見てみよう。自 己の占有する海上の島々、それは東は隠岐島、南は姫島、西は五島列島と、かな りの海上領域を占有している。しかし、その周辺の〝大きな陸地部分″は、〝未 だ支配下にない″のだ。 ――これこそ「天孫降臨以前」の状況にはかならない。

 そして〝新しい勢力の拡大″を求めて〝博多湾岸とその山地周辺″(葦原中 国)を割譲することを、その地への支配権をすでにもっていた大国主神に迫 った。これが「天孫降臨」にさいしての「国譲り」交渉の地理的背景なのではあ るまいか。
 だから、二二ギが「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯」に〝天降った″とき、 そこは無人地帯、あるいは「無神地帯」だったわけではない。古きソホリの神を 信ずる人々、出雲の大国主神の支配下にいた人々の住む地域だったのである。し かも、その隣なる笠沙の地、それは「白日神」のいる所であり、その背後には 「聖(日後(ヽしり))神」のいる所があった。すな わち、太陽信仰の聖地であった。その土地は「天国」の部族と、なんらかの宗教 的な親縁関係をもっていたのではなかろうか。


 「記紀」がはからずも記録していたヤポネシア列島の一角における古代国家の 盛衰史を、「記紀」記述の範囲内での最古の国家までたどり終えて、古田さんは 次のように述懐している。
 わたしは近畿天皇家の『記・紀』神話を探究して、その中に九州王朝の神話を 見出した。そして今、さらに、その九州王朝に先在した、出雲の神々とその神話 に相逢うこととなったのである。
 これは決して近畿天皇家配下の一豪族の説話などではない。天照大神以前の 古えから、その政治地図の示す領域に、独立した主権を誇っていたのであるか ら。
 それ故、わたしはこの日本最古の王朝に対し、今、「出雲王朝」の名を呈しよ う。そしてわたしの『記・紀』探究の旅を終りたいと思う。

 私は「オオクニ」→「アマクニ」という古代国家の変遷を「ヤポネシア列島の一角 における古代国家の盛衰史」と書いた。文字による記録は残っていなくとも、 ヤポネシア列島の他の地域でもさまざまな古代国家が成立していたという当然 の認識を踏まえてのことである。
スポンサーサイト
 コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
 トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://adat.blog3.fc2.com/tb.php/232-c475cf6a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック