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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
昭和の15年戦争史(1)

今はまさに戦前である

 これまで、あの無謀な戦争を引き起こした時代を「美しい日本」と恋い焦がれるアベコベ軽薄姑息うそつきカルト首相が強引に引き起こしてきた戦争への道を強く危惧する記事を書き継いできたが、その戦争への道作りを許してきた世相の根底には「美しい日本」の実態を知らない人が意外と多いことが指摘できる。勿論、その人の中に、通り一遍の知識しか持たない私も含まれる。そこで、昭和の15戦争については断片的にいろいろな所で取り上げてきているが、改めて「美しい日本」の歴史を検証し直してみようと思っていた。そんな折、日刊ゲンダイの「注目の人 直撃インタビュー」で丹羽宇一郎さんが『今の日本こそ「戦争の真実」学ぶべき』という提言をしている記事に出会った。記事全体に強く共感し、多くの人に読んでもらいたいと思った。その中から冒頭の文と戦争を知らない人たちへの危惧を述べた一文を転載しておく。

『この国のトップは緊迫する北朝鮮情勢に「対話より圧力」と拳を振り上げ、設立されたばかりの新党の女性党首は「リアルな安保」を入党条件に掲げる。社会全体に開戦前夜のようなムードが漂う中、中国大使を務めた経験を持つ国際ビジネスマンである日中友好協会会長の丹羽宇一郎氏は近著「戦争の大問題」で、こう訴えかけている。今こそ日本人は「戦争の真実」を知らなければいけない。』

『本当の戦争を知る人々は、その体験を自分の子供たちにも話せない。食料を奪ったり、友達の肉を食べたり。いざという時にそこまで残酷な動物となった経験を語れるわけがない。戦争は人を狂わせます。だから体験者は皆「戦争だけはやらないでくれ」と口をそろえるのに、戦争をイメージできない世代には「やろう」と粋がる人が多い。こんな怖いことはない。』

 さて、今回から私が主として用いる教科書は半藤一利さんの著書『昭和史残日録』である。簡潔でしかも学芸や芸術などの事績も含まれている総体的な歴史書であるが、主として戦争に関連した事項をたどっていくことにする。また、手元に半藤さんの編著本『昭和史探索1~6』と辺見庸さんの『1★9★3★7(イクミナ)』があり、これらをはじめ他にもいろいろな資料を利用することになると思う。

 ではさっそく『昭和史残日録』を読み始めよう。最初の戦争関連記事は1927年3月24日(昭和2年、以下年表記は西暦だけとする)の記事である。

1927年 もう一つの「南京事件」

「洋鬼子、ざまを見ろ」

 昭和二年三月二十四日、中国の国民革命軍(1905年、孫文によって結成された)による北伐は、各地で軍閥を敗走させ、ついに青天白日旗を掲げて南京入城の日を迎えた。戦闘はやみ、市内に静寂が戻ったのも束の間、「洋鬼子、ざまを見ろ」「ここは俺たちの土地だ」などと叫びつつ、一部の兵士の外国領事館への襲撃が開始された。「洋鬼子」とは外国人を罵る言葉である。

 日本領事館へは200名の兵士が突入してきた。死者こそ1名であったが、中国兵による暴行は凄惨をきわめた。とくに婦女子に加えられた暴虐は、正視するに忍びなかった。結果は、それが克明に報道されることによって、中国にたいする日本人の憎悪感を増大させ、以後の日中関係は悪化する一方となる。

 また、救援に赴こうとした海軍陸戦隊長の荒木亀男大尉は、途中で外交上の手違いから武装解除され、空手空拳で惨劇を眺めやるほかなくなった。その責任をとり後日自殺したが、遺書に「帝国海軍の名誉を傷つけられたことを愧(は)じる」の悲壮な一行がある。この報は、いっそう反中国熱をあおることとなった。昭和開幕早々のまことに不幸な、そして不運な事件であった。

 私はこの事件初めて知った。ネットに『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行)の解説があったので補充すると、上の記事では領事館を襲ったのは国民革命軍とされているが、辞典では「国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある」とされている。また、イギリス・アメリカの領事館も襲われているが、これに対して「長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城内に威嚇砲撃を加えた」とかかれている。

 日本ではこの事件後(6月27日~7月7日)「東方会議」が設置された。「東方会議」は田中首相兼外相主宰の下に本省幹部、在支公使、在上海、在漢口、在奉天各総領事並びに陸海軍、大蔵、関東庁、朝鮮総督府各代表者など出席して開かれた。そしてこの会議の最終日に田中首相の訓示という形で「対支政策綱領」が発表された。何の事はない、この綱領が「中国の植民地化」すなわち「昭和の15年戦争」への道を開いていく基(もとい)となったのだ。「対支政策綱領」の全文が『昭和史探索・1』にあるので、それを転載しよう。

 極東の平和を確保し日支共栄の実を挙ぐること、我が対支政策の根幹なりとす。しこうしてこれが実行の方法に至っては、日本の極東における特殊の地位に鑑み、支那本土と満蒙とに付き自ら趣を異にせざるを得ず。今この根本方針に基づく当面の政策綱領を示さんに、
一、
 支那国内における政情の安定と秩序の回復とは現下の急務なりといえども、その実現は支那国民自らこれに当ること、最善の方法なり。
 したがって支那の内乱政争に際し、一党一派に偏せず、もっぱら民心を尊重し、いやしくも各派間の離合集散に干渉するが如きは、厳に避けざるべからず。
二、
 支那における穏健分子の自覚に基づく正当なる国民的要望に対しては、満腔の同情をもってその合理的達成に協力し、努めて列国と共同その実現を期せんとす。
 同時に支那の平和的経済的発達は中外の均しく熱望するところにして、支那国民の努力と相まって列国の友好的協力を要す。
三、
 叙上の目的は、畢竟、鞏固なる中央政府の成立により初めて達成すべきも、現下の政情より察するに、かかる政府の確立容易ならざるべきをもって、当分各地方における穏健なる政権と適宜接洽(せつこう)し、漸次全国統一に進むの気運をまつの外なし。
四、
 したがって政局の推移に伴い南北政権の対立または各種地方政権の連立を見るが如きことあらんか、日本政府の各政権に対する態度は全然同様なるべきは論をまたず。かかる形勢の下に対外関係上共同の政府成立の気運起るにおいては、その所在地の如何を問わず、日本は列国と共にこれを歓迎し、統一政府としての発達を助成するの意図を明らかにすべし。
五、
 この間支那の政情不安に乗じ、往々にして不逞分子の跳梁に因り、治安を紊(みだ)し、不幸なる国際事件を惹起するの虞(おそれ)あるは争うべからざるところなり。帝国政府は、これら不逞分子の鎮圧および秩序の維持は、ともに支那政権の取締り並びに国民の自覚により実行せられんことを期待すといえども、支那における帝国の権利利益並びに在留邦人の生命財産にして不法に侵害せらるる虞あるにおいては、必要に応じて断乎として自衛の措置に出てこれを擁護するの外なし。
 殊に日支関係に付き捏造虚構の流説に基づきみだりに排日排貨の不法運動を起すものに対しては、その疑惑を排除するは勿論、権利擁護のため、進んで機宜の措置を執るを要す。
 (管理人注:この「五」が『もう一つの「南京事件」』を念頭にして書かれている。)
六、
 満蒙、殊に東三省地方に関しては、国防上並びに国民的生存の関係上重大なる利害関係を有するをもって、我が邦として特殊の考量を要するのみならず、同地方の平和維持、経済発展により内外人安住の地たらしむることは、接壌の隣邦として特に責務を感ぜざるを得ず。しかりしこうして、満蒙南北を通じて均しく門戸開放、機会均等の主義により内外人の経済的活動を促すこと、同地方の平和的開発を速やかならしむるゆえんにして、我が既得権益の擁護ないし懸案の解決に関してもまた右の方針に則りこれを処理すべし。
 (管理人注:「東三省地方」は中国東北地区の旧称で、黒竜江・吉林・奉天の三省があった。)
七、(本項は公表せざること)
 もしそれ東三省の政情安定に至っては、東三省人自身の努力に待つをもって最善の方策と思考す。
 三省有力者にして、満蒙における我が特殊地位を尊重し、真面目に同地方における政情安定の方途を講ずるにおいては、帝国政府は適宜これを支持すべし。
八、
 万一、動乱満蒙に波及し治安乱れて同地方における我が特殊の地位権益に対する侵害起るの虞あるにおいては、そのいずれの方面より来るを問わずこれを防護し、かつ内外人安住発展の地として保持せらるるよう、機を逸せず適当の措置に出づるの覚悟あるを要す。
 終りに、東方会議は支那南北の注意を喚起したるものの如くなるをもって、この機を利用し、各位帰任の上は、文武各官協力、もって対支諸問題ないし懸案の解決を促進することとし、本会議をしてますます有意義ならしむるに努められたく、はたまた叙上我が対支政策実施の具体的方法に関しては、各位に対し本大臣において別に協議を遂ぐるところあるべし。

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