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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
歴史隠蔽偽造主義者たち(6)

「南京大虐殺」捏造論(2)

日本会議(2)で特集「日本会議とは何か」の第三論考を書いた能川元一さんの論考を取り上げたが、特集『「南京」と「慰安婦」』の第二記事はその能川さんと小野賢二という方の対談である。小野さんは次のように紹介されている。
おの けんじ・福島県いわき市出身。南京事件調査研究会会員。1988年から南京攻略戦に加わった第13師団山田支隊の元兵士への聞き取り調査と資料収集を実施。小野賢二他編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店)など。

 つまり、小野さんは「南京大虐殺」捏造論者たちの論拠を徹底的に否定できる研究者である。いつ頃どんな本で読んだのか思い出せないが、南京で日本軍が捕虜を虐殺してその死体を揚子江に流して処理したという記事を読んだことがある。この対談にもそのことが語られている。

 さて、お二人の対談の表題は『南京大虐殺とどう向き合うか~話題になったNNNドキュメンタリー~』で、その進行とまとめは「週間金曜日」編集部の片岡伸行さんが担当している。これまでの記事と重複する部分もあるが、全文掲載しようと思うが、長いので2回に分けて掲載する。まず枕の文から。
ユネスコ(国連教育科学文化機関)が南京大虐殺公文書11点を「世界記憶遺産」に登録(日本時間10月10日発表)した前後、日本テレビが深夜枠で放映したドキュメンタリー「南京事件/兵士たちの遺言」(10月4日、11日再放送)が話題に。番組に出演し、資料を提供した小野賢二さんと歴史修正主義を批判し続ける能川元-さんが南京大虐殺をめぐる情勢を語った。

 対談者の写真と紹介文にお二人の一言が付されているがそれも紹介しておこう。
『「右派は日本の被害には「虐殺否定」の論法を使わない―能川』
『侵略=加害の認識をどう広めていくかが課題―小野』

 では本文に入ろう。(全体の文末に「注」がまとめて掲載されているが、該当文の直後に付すことにした。)

――タイムリーな放映で話題になったNNNドキュメンタリーの中で重要な資料を提供した小野さんは2008年にも南京大虐殺を扱った同局のドキュメンタリーに出演されています。2008年と2015年、7年間の経過の中で南京大虐殺に関する日本国内の論議や意識の変化をどう感じておられますか。

小野
 20年ぐらい前には南京大虐殺を「なかった」と語った大臣は辞任せざるを得なかった状況だったと記憶します。この7年、大きな論戦はないですね。ただ、マスメディアは「南京大虐殺否定論」を一方的に垂れ流し、加えてインターネット内でも否定する言説が増えました。これが徐々に民衆に浸透し、そのような考えの持ち主が現在の権力を握ったというのが現状ではないでしょうか。
 南京攻略戦に加わった第13師団山田支隊の基幹部隊だった歩兵第65連隊の兵士のほとんどは、俺の地元である福島県出身者でした。収集した「陣中日記」や証言などで、山田支隊は2万人近い中国人捕虜を全員虐殺し、揚子江(長江)に流したことは間違いないと結論づけました(注1)。

(注I)山田支隊の虐殺は1937年12月16日と翌17日に、揚子江(長江)岸に建てられた魚雷営と、大湾子にそれぞれ捕虜を連行し、計1万7000~8000人を虐殺したことを、元兵士の証言と一次資料によって結論づけた。

これに対し、南京大虐殺否定論者からの表立った反論はないですね。

否定派の自滅

小野
 なぜなら、自衛発砲説(注2)に添ってもっとも多く語り続けた板倉由明氏(99年没)は、自らの見解を「決め手になる資料はない」として敗北宣言します。やはり、東中野修道氏も軍(師団としているが)の命令による虐殺を認めてしまい、さらに裁判所から「被告東中野の原資料の解釈は…(略)学問研究の成果というに値しない」と断定されてしまいました(注3)。

(注2)非戦闘員の解放さらに捕虜収容所の火事で半数が逃亡。捕虜を解放するために揚子江岸に連行したところ暴動を起こしたのでやむなぐ銃殺した、とする説。
(注3)南京事件を証言した夏淑琴氏に対し、東中野修道氏が『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)で「偽証言」などとしたため、夏氏が提訴。07年11月、東京地裁の三代川三千代裁判長は「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」などとし400万円の賠償を命じた。東中野氏は控訴・上告したが、09年2月に最高裁は棄却。敗訴が確定した。


 それぞれ自滅した格好なんですが、問題は秦郁彦氏ですね。この人は、11月12日に放映されたBSフジの番組(注4)で、山田支隊の虐殺を認めているような言い方をしながら虐殺数を少なくする。捕虜を虐殺した当事者が書いた陣中日記の記述に「戦闘中の行為」だの「優しい日本兵が書いたのでしょう」などと訳のわからないコメントを繰り返す藤岡信勝氏よりも巧妙ですね。

(注4)BS「フジプライムニュース『南京事件』とは何か 3論客の見方相互検証」のゲストとして秦郁彦、藤岡信勝、山田朗の3氏が出演。

能川
 私もその番組を観ましたが、秦氏は虐殺数について「軍民合わせて4万人。自分の著書に書いたこの数字をここ20年余り変えていません」などと話していますね。中公新書の『南京事件』の増補版(07年)では小野さんの調査に触れていますが、犠牲者数推定は替えていない。「過半が仮名にしてあるのは惜しまれる」などと書いていますが、それなら問い合わせをして自分で現物を確かめればいいのにそれもしない。

小野
 前述したとおり、山田支隊は12月16日だけではなく翌17日にも揚子江岸の別の場所で捕虜を射殺し、計1万7000~8000大虐殺しています。その死体の山を揚子江に流す作業を18、19日の2日間かけてやっている。また、俺が人手した2人の兵士の日記の中に「12月18日の捕虜大量虐殺」の記述があります。そこには「二万三千人」と「一万」という虐殺数が書かれている。この3日間を合わせると、計三万数千人になる。この地点の日本側の資料では山田支隊の捕虜虐殺しか明らかになっていませんが、東京裁判での魯甦(ろそ)証言があり、彼は草鞋峡(そうあいきょう)での大量虐殺を目撃し、その虐殺数を五万七千人人余としています(注5)。

(注5)南京の警察官だった魯甦は城壁近くの四所村、五所村に収容されていた軍民5万7418人が下関・草鞋峡で1937年12月18日に虐殺されたと証言した。

(次回に続く)
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