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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(63)

イスラエルの戦争犯罪

 ブッシュが行なったアフガニスタンへの戦争犯罪については『国家テロリズム(1)』『国家テロリズム(14)』で取り上げたし、ブッシュの二度目の戦争犯罪(イラク侵略)については『ポチ・コイズミの悪政(1)』『ポチ・コイズミの悪政(2)』などで取り上げた。(ただし『不服従』はイラク戦争以前に出版されているのでイラク戦争関連の記事はないので『いま、抗暴のときに』を用いた。)

 『不服従』第8章の④「一トン爆弾」は、ブッシュが全面的に支えていたというイスラエルによるパレスチナへの戦争犯罪を取り上げている。今回はこれを紹介しよう。

一トン爆弾

喉(のど)をからして叫べ、黙(もく)すな
声をあげよ、角笛(つのぶえ)のように。
私の民に、その背(そむ)き ヤコブの家に、その罪を告げよ。
           (イザヤ書第58章「神に従う道」から)

 一トン爆弾というしろものがこの世にいつごろ登場したのかは知らないが、太平洋戦争中の日本本土空襲ではすでに数多く投下されている。その爆風だけで大阪城の北東側天守閣のあの大きな石垣が乱杭歯(らんぐいば)みたいにずれてしまったのだから、とてつもない威力だ。

 1998年に豊中市で一トン爆弾の不発弾を処理したときのもようを調べていて驚いた。半径500メートル以内は立入禁止で、14,000人が避難し、阪急電車も運休したというのである。処理にあたった自衛隊が、それほどの破壊力を想定したということだ。ベトナムで着弾現場を見たことがあるが、クレーターに雨水がたまり、深く大きな池になっていた。米軍はベトナム戦争中に一トン爆弾でダムを破壊し洪水を起こそうとしたともいわれる。そのころから、あの爆弾にはさらに手が加えられ、いまでは電子誘導装置がつき、破壊力もいちだんと増した。

 イスラエル軍のF16戦闘機がその一トン爆弾をパレスチナ・ガザ地区の民家に投下、爆発させた。コンクリート造りの建物5棟が一瞬にして瓦礫になった。現地時間2002年7月22日深夜のことだ。これにより15人が殺され、250人が負傷した。死亡者のうち9人は子どもである。これはいわゆる誤爆ではない。イスラム原理主義組織ハマス幹部のシャハダ氏の爆殺が目的であったとイスラエル政府が公言している。だが、人を一人殺すのになぜ一トン爆弾なのか。爆破空間を広げて、ターゲットが逃亡できなくするためだったという。この作戦にあたり、軍幹部はアリエル・シャロン首相に対し、民間人多数に被害がおよぶことになると具体的に説明したのだが、シャロンはそれでも作戦実行を指示したとされる。これは明々白々たる虐殺行為である。

 イスラエル軍はこれまで、パレスチナ指導者殺害作戦に際しては、通例、破壊力のかぎられた小型誘導ミサイルをヘリから発射したり、特殊部隊に狙撃させたり、小型特殊爆弾をしかけたりしてきた。たとえば、ハマス軍事部門のアヤシュ司令官は96年1月、イスラエル秘密工作員のしかけた携帯電話爆弾で暗殺されている。これにしても残虐は残虐なのだが、あからさまな無差別殺戮(さつりく)については、82年の西ベイルートにおける大量虐殺が国際世論の非難を浴びてから、少なくとも表面は抑制するそぶりくらいは見せていなくもなかった。だが、このところのイスラエルによる殺戮行為はとても正気の沙汰ではない。干し草のなかの針一本をさがすのに、干し草全体を焼き払ってしまう米国方式(=日本軍も中国で同じことをした)を真似しているかのようである。いや、ここまでくると、イスラエルにはパレスチナ人とその居住空間、文化、社会を物理的になきものにしてしまおうという底意があるのではないかとさえ思えてくる。

 なぜだか、『ショアー』というドキュメンタリー映画を思い出した。ナチ収容所の生き残りユダヤ人ら38人の証言で構成した凄まじい大殺戮の記録であり、記憶の風景を映像化しえた奇跡的作品であった。これはまちがいなく20世紀ドキュメンタリー映像の最高傑作の一つであろう。ここには、被害者ユダヤ人たちの呻吟(しんぎん)と怨みのすべてがこめられていた。ショアー(SHOAH)とは、絶滅、破壊、破局を意味するヘブライ語である。しかしながら、これはいったいなんということであろうか。歴史の皮肉というさえ空恐ろしくなる。旧被害者ユダヤ人たちはいま、みずからがなされたショアーを、新被害者パレスチナ人に対し行いつつあるのだから。『ショアー』の監督クロード・ランズマンもまた、イスラエル政府のやり方をおおむね支持しているといわれている。なにをかいわんや、だ。ランズマンは映画でたしか「私は彼らに、決して滅びることのないとこしえの名を与えよう」(イザヤ書)を引用していたはずだ。「彼ら」とはユダヤ人だけなのか。冗談ではない。  人間は歴史に学ばないものなのだろうか。被害の歴史に学び、その途方もない痛みと嘆きの記憶から、金輪際、加害の側にはまわらないという決心ができなかったものか。想像するに、シャロン政権においてはどうやら被害の記憶が変形して、かつてみずからがなされたことを他者になさずにはいられない、逆転の妄執が支配しているかのようである。コンクリート塀をめぐらせてパレスチナ人を閉じこめる「防壁」作戦のイメージは、かつての絶滅収容所の冷たい壁やゲットーの記憶が変形して無意識に浮かびでてきたものではないか。人間はどこまで非人間的になることができるのか。前世紀から引きずっているこの根源のテーマが、ほかでもない歴史的にもっとも非人間的仕打ちを受けてきた者たちの非人間的行動の継承と繰り返しにより、いままたわれわれの眼前に立ちあがってきたことをどう考えればよいのか。

 シャロン政権にはもはやナチス・ドイツを非難する資格はない。それを全面的に支えているブッシュ政権にこれ以上、正義や人道や文明を語らせてはならない。理非曲直を明らかにするのはわれわれなのであり、まずもってブッシュやシヤロンたちを戦争犯罪人として告発すべきであると私は思う。米英両軍によるアフガン空爆についても同様だが、イスラエル軍によるパレスチナヘの一トン爆弾の投下に無関心でいられるとしたら、世界にはもういかなる見通しも出口も光明もない。慣れっこになっているというのなら、われわれは二度と人間の価値を口にすべきではない。これを座視できるのだとしたら、思想も芸術も学問もジャーナリズムもない。だがしかし、そう息まけば息まくほど、日本という国では赤錆のような疲労感だけが浮いてくる仕掛けになっているのはなぜなのだろう。ブッシュやシャロンの狂気をさして異様とも感じさせない別種の視えない狂気と無知が日本を覆っているからだろうか。

 と、ここまで書いたところで、ヨルダンにいる友人からEメールが届いた。アンマンのインターネット・カフエからだ。先日、死海のあの油のような水にぷかぷか躰を浮かせていたら、対岸の灯がおぼろに揺れて見えたのだという。死海の西側のその灯はとても悲しげで、とてもとても遠く思えた、とメールにはあった。ガザはさらに遠く、地中海沿岸だけれども、メールの向こうに私は一トン爆弾の野太く赤い火柱が立つ風景を思い描いた。

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