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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(59)

有事法制(3)

 『不服従』第6章の④「Kよ」は、この表題の通り、「Kよ」という呼びかけで始まっていて、Kさんへ語りかけている文章である。Kさんとはどういう人なのだろうか。文中の文を用いて推測すると、どこまでも権力に迎合しまくっているマスゴミの中で、ひどく悩みながらもまともな仕事を心掛けている辺見さんの著作の編集者あるいは新聞記者のようだ。

 辺見さんは枕として、『創』2002年6月号所載の「檜森孝雄の遺書」を転載している。次の通りである
まだ子どもが遊んでる。
もう潮風も少し冷たくなってきた。
遠い昔、能代の浜で遊んだあの小さな
やさしい波がここにもある。
この海がハイファにもシドンにもつながっている。
そしてピジョン・ロックにも。
もうちょっとしたらこどもはいなくなるだろう。

 カタカナの地名が三つ記載されているが、恥ずかしながら、それぞれどこの国の地名なのか、私は知らなかった。調べてみたら「ハイファ=イスラエルの都市」「シドン=レバノンの都市」で、いずれも地中海に面している都市と分かったが、ピジョン・ロックは全く分からなかった。もしかしたら都市名ではないのかも(どなたかご存じの方、教えてくれませんか)。

 また、私は檜森孝雄(ひもりたかお)という方を全く知らなかった。ネット検索すると多くの人が取り上げていた。その中に大道寺将司さんが檜森孝雄さんについて書いた文章をアップしているサイトがあったので紹介しておこう。『大道寺将司くんの今日このごろ』

 辺見さんは「Kよ」の冒頭で檜森孝雄さんについて詳しく書いているので、改めてネットからの転載はしない。ともかく本文を読み始めよう。

 Kよ。檜森孝雄というパレスチナ支援の活動家が焼身自殺をしたことを知っているか。2002年3月末の土曜の暮れ方、彼は日比谷公園・かもめの広場で、ひとしきり派手な焔(ほむら)のダンスを踊った。智慧の火で煩悩の身体を焚くように。あるいは、老いた魔術師の最期の芸のように、ぼうぼうと燃え、くるくると舞ったのだ。やがて、真っ黒の襤褸(ぼろ)か消し炭のようになって、うち倒れた。享年54歳。

 いや、知らなくたっていいんだ。知ったって憂鬱になるだけだし。ただ、もしもいま、君と会えて酒でも飲めたならば、ぼくはこのことをかなり熱心に話しただろう。檜森の自裁を聞いたとき、檜森と同じく、ぼくにも紅蓮(ぐれん)の焔の内側から、束の間だけれども、くねり踊る焔を通して、赤く揺らめく世界が見えたのだ。その奇跡を、なんとか君に伝えようとしただろう。檜森孝雄はぼくの淡い知り合いの親友だった。たとえようもなく心優しい男だったと聞いた。そのことはさして重要ではない。ハイファもシドンもピジョン・ロックも知らなくていい。自死をぼくは美化しない。大事なのは、火焔の外側ではなく、自身の肉を焼け焦がす火焔の内側から、(ぼくの場合はただの錯視かもしれないのだけれども)ぼくらの世界をかいま見たということだ。そのとき、ぼくは炎のなかで憎しみの沸点を見失い、すぐに引き替わって、世界に対する澄明で安らかな殺意が身内に満ちるのを感じた。それで、とても静かになれた。

 君は信じないかもしれないが、かつてなく虚心になった。檜森の自死にいかなるメッセージがあったか、なかったか、つまびらかではない。イスラエル軍によるパレスチナ民衆虐殺への抗議、米国の暴虐への怒り、日本のファッショ化への絶望。そうした気分はないわけがないし、むろん、それらだけでもなかっただろう。怒りを買うのを承知でいえば、ぼく個人としては、委細は知らぬが、うん、ころあいだな、とは思った。時宜にかなっている、と。わが身に引きつけるなら、なんのかんばせあって、平気で笑って生きていられるのだ。まっとうなら、とうに死んでいる。ないしは、すでに死んだ生をそれと知って生きている。そう思いなすほかない。

 Kよ。若い君にとって、檜森の死は、たぶん、遠い遠い芥子粒(けしつぶ)のような風景であるにちがいない。それはいたしかたのないことだ。世界とは、少なくとも初歩的には、それぞれの人間の個人的事実(事情)からしか眺めることのできない、やっかいななにものかなのだから。多くの人の死や多くの人の死の可能性をよそに、日常を何気なく生きてしまうことで、君がいちいち咎められるいわれはない。ぼくは咎めない。庇(かば)う。ただ、ぼくはぼく自身とぼくの世代およびそれ以前から生きながらえてきたこの国の人間の大半を、いま、とても庇う気になれない。いや、世代で断じてはならない。いいかえよう。ぼくはぼく自身およびぼくとともに世界の病に気づき、それを語ってきたのに、いますっかり忘れたふりをしている者たちに寛容ではいられない。彼らのなかにはマスコミ企業の中枢にいる者が少なくない。その者たちは、Kよ、君らが知ろうとしてもなかなかつかめない言葉の、独特の語感を知っている。あるいは追体験的に知っているはずだ。知らないとはいわせない。新聞、通信社、放送局、出版社の社長どもは、もっとよく知っている。翼賛、治安維持法、レッドパージ、転向、裏切り、日和見、反動……。現在の有事法制も、これらの忌(い)むべき語感系列にある。それらを忌み、拒み、軽蔑し、抵抗すること。それは、全部ではないがかなり多数のまともな記者やディレクターや職員にとって、かつては常識であった。どうか信じてほしい、最低限の作法でさえあったのだ。逆に、抵抗もしないことは恥とされた。それをいま、年寄りどもは知らぬふりをきめこみ、尻の孔のように薄汚い眼つきをし、臭い息を吐き吐き、経営効率、コストダウン、人員削減、独立採算、販路・部数拡大、視聴率アップのみを呼号し、裏では組合のダラ幹ども(ああ、これも君の知らない語感だね)と下卑た笑いを浮かべて談合をつづけている。有事法制など、どこ吹く風なのだ。

 Kよ、なぜかわかるか。ジャーナリズムの理想(ぼくは信じてはいないけど)が本気で称揚されたら、たちまち彼らの居場所がなくなるからだ。ジャーナリズムの理念を裏切りつづけてきた彼らには、本能的にそれがわかっている。だから、理念を嗤(わら)い、抑えつけ、どこまでも権力に迎合する。ファシズムの悪水は、政府権力からだけではない、戦前、戦中同様に、マスメディアの体内からも、どくどくと盛んに分泌されているのだ。そのことと檜森の自殺がどう関係するのか、君はいぶかっているにちがいない。

 Kよ、見えたのだよ。彼の死によって喚起された焔(ほむら)立つ幻視の向こうで、高笑いしている連中の顔が。それはゴヤの1800年代の版画「妄」シリーズによく似た、鋳(い)つぶしたような人間の顔だった。おぞましい妄の顔、顔、顔。そのなかにぼくのもあったかどうか。あったような気もするし、なかったような気もする。ただ、ぼくは坦懐になった。憎悪の沸点が消え、これ以上ないほど静謐(せいひつ)な殺意がぼくを落ち着かせてくれた。檜森の死の風景はあまりにも寂しい。惨めだ。その対極に、底の底まで腐敗した妄の顔の持ち主たちの、下品な高笑いがある。両者はなんの関係もない。ぼくが無理に付会しているだけだ。でも、どちらに狂気があるのか、ぼくは考える。どちらが人として真剣に悩んだか。どちらが弱い者の味方をしたのか。どちらが戦争の時代に抗ったか。答えは見えている。

 Kよ。君よりだいぶ年長の、"気づいている者"には、いま重大な、きわめて重大な責任がある。Kよ。ぼくは君の個人的事情は大いに認めるけれど、"気づいている"はずの君の上司たちの個人的事情など認めはしない。彼らの嘘臭い憂い顔も、むろん。Kよ。賢い君がいまひどく悩んでいることをぼくは知っている。つらいから、ときに眼を閉じ、耳をふさいで仕事していることも知っている。ぼくはもう君に対し過剰な批判はしないだろう。静まったのだよ。火焔の錯視で、かえって平静になった。悩むかぎり、ぼくはずっと君の味方だ。君はぼくの味方でなくていい。冒頭の遺書の語感を、君ならばきっと好いてくれるだろう。それが嬉しい。信じられる。

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