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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(55)

チョムスキー(1)

 今回から『永遠の不服従のために』の第6章「② チョムスキー」を読むことにする。

 チョムスキー(言語学者)については『柄谷行人著「世界共和国へ」を読む(3) 国家の四つのタイプ』でその国家論を紹介して、チョムスキーが最も好ましいと考えている国家形態が「リバタリアン社会主義」であることを紹介している。辺見さんはそのチョムスキーに2002年3月15日にインタビューをしている。そのときチョムスキーは日本のメディアや知識人に対して、辺見さんが「畏怖の念」を感じるほどの手厳しくも真っ当な批判を開陳している。その批判とそれによって辺見さんの頭や心によぎった大きな変動を記録したものが第6章②である。

 それではまず、枕に使われている<バースキー著『ノーム・チョムスキー 学問と政治』土屋俊・土屋希和子共訳>からの引用文を読んでおこう。
彼はアメリカ政府に異議を唱えることにより、親ソビエトと非難され、また、
ボルシェビズムとソビエト政府に異議を唱えることによって、反ソビエトと非難され、
またユダヤ人に異議を唱えることによって親アラブと非難され、
同様の原理をアラブの行動に適用したことによって反アラブと非難され、
イスラエル共和国民に異議を唱えることによって反ユダヤ主義と非難され……(以下省略)。

ではチョムスキーによる手厳しい批判を記録した部分を読んでみよう。

 彼はほとんど私の眼を見ようとしなかった。話の最中にたまさか偶然に眼が合っても、なにか芳(かんば)しくないものでも見てしまったかのように、すぐに視線を逸らすのであった。私の眼は、相手のスモークブルーの瞳を追いかけた。インタビュアーとしてそれは義務のようなものだから。やや疑り深そうなその眼は、だが、さりげなく私から逃げた。堕ちつつあるなにか、崩れつつあるなにか、頽廃、下卑たユーモア、澱んだ虚無、諦観、毒だけの皮肉、狡知(こうち)、自棄……どう地悪く探ってみても、そうした色の微塵もない瞳なのであった。私かせめても縁(えにし)としたいものが、つまり、まったくない。逆に、私の眼はそれらすべての色のかけらを、いつもながら、隠しようもなく浮きつ沈みつさせていたはずである。やっぱり私は嫌われているな。この人はずいぶん遠いな。なにがなしそう思った。そのことを彼も察知したようだ。だからだろうか、あるいはこれが常態なのか、その痩身の碩学(せきがく)は話すほどに私に対し容赦がなくなっていった。

 彼、ノーム・チョムスキー氏を2002年3月15日、マサチューセッツエ科大学の研究室に訪ねた。インタビューの詳しい中身は、4月25日ごろ発売の月刊『PLAYBOY』(日本版)でお読みいただきたいが、私にとって近年ではもっとも興味深い会見となった。話の途中で気づいたことがある。チョムスキー氏は日本のマスメディアやいわゆる知識人を、あろうことか、私ごときに代表させていたようなのだ。それらへの「不信」のたけを、遠慮会釈なくぶちまけたのである。とんでもない人ちがいといいたいところだけれども、人生、なにが幸いするかわからない。めったには聞けない彼の忌憚(きたん)のない日本観を耳にすることができたのだから。その大半は私がいいたいことでもあったのだが、私は終始聞き役に徹し、いわば"糾弾"されつづけた。なんとも奇妙な経験ではあった。

 たとえば、彼はこんなようなことをいった。
「他人の犯罪に眼をつけるのはたやすい。東京で『米国人はなんてひどいことをするんだ』というのは簡単ですよ。あなたたちがいましなければならないのは、自身を見ること。鏡を覗いてみることです。そうしたら、それほど安閑としてはいられないでしょう」。
 私がブッシュ政権の戦争政策を非難したことへの、彼の基本的反応はこうだったのである。あなた方はブッシュ政権をとやかくいうほど立派なのかね、といった口吻であったのだ。前段にこれでもか、これでもかという論証があった。

 日本はこの半世紀以上、米国の軍国主義とアジア地域での戦争に全面的に協力してきた。戦後日本の経済復興は徹頭徹尾、米国の戦争に加担したことによるものだ。サンフランシスコ講和条約はもともと、日本がアジアで犯した戦争犯罪の責任を果たすようにはつくられていなかった。日本はそれをいいことに、米国の覇権の枠組みのなかで、「真の戦争犯罪人である天皇の下に」以前のファッショ的国家を再建しようとした。あなた方は対米批判の前に、そのことをしっかり見つめる必要がある。
 「1930年代、40年代、50年代、そして60年代、いったい、日本の知識人のどれだけが天皇裕仁を告発したというのですか」。
 ろくにそれさえしていないではないか。戦後50有余年をふくむ長い歴史には、あなた方が記憶にとどめておかなくてはならないことがらが数多くあるはずだ。それをまずふり返るべきではないのか。

 チョムスキー氏は、すなわち、私のブッシュ政権批判に対し、案に相違して、まったくといっていいほど同調しなかったのである。平たくいえば、これは、他者をうんぬんするより、〈自分のハエを追え〉ということであろう。私としては多少むっとしないでもなかったが、思えば一理はある。そればかりではない。この言語学の世界的泰斗は、私の提起する問題のすべてにことごとく反駁したのであった。

 彼は、米国の言論統制を案じているという私の発言を一笑にふした。作家スーザン・ソンタグ、下院議員バーバラ・リー、それにだれよりあなた自身が様々な脅しを受けているではないか、と水を向けたら、目許をゆがめ首を横に振って、ほんとうになにもわかってないなあという態度を露骨にしてみせる。とりわけ、ソンタグの名前をだすと、首の振り幅が大きくなった。最近になって米国の「反テロ戦争」を肯定する発言をした彼女に深い失望を感じていたようだ。加えて、この程度で「言論抑圧」だのなんだのと泣き言をいうのは不面目のきわみだ、と嘆くことしきりなのであった。言論の自由は、闘ってこそかちうるものだ、愚痴をいっているばあいではない、というのである。

 一つの例として、彼はトルコの言論状況を挙げた。彼の著作『米国の介入主義』の翻訳書を刊行しただけで、トルコ検察庁が反テロ法を根拠に出版社代表を起訴したのだという。イスタンブール国家治安法廷で、トルコの出版人たちは禁固刑を覚悟で出版の正当性を主張したのだが、チョムスキー氏は
「勇気があって誠実で高潔な知識人とは、こういう人たちのことをいうのです」
と何度も強調した。私は、氏が共同被告人になりたいという崇高な申し入れをしたという事実を、じつはその時点で知っていた。チョムスキー氏は、しかし、そのことについては一言も触れなかった。それにかぎらず、みずからをヒーローにしたり"孤高の知識人"とするようなジャーナリスティクな作為を、彼はどうあっても受けつけず、きっかけさえあたえないのであった。

 彼の語り口はある意味で驚くほどメタファーに乏しかった。文芸的レトリックも皆無といっていいほどだ。もっぱら乾いた事実の積み重ねでもって、マスメディアの虚偽、左右の知識人の偽善と惰弱をくちをきわめてなじるのであった。修辞を極端なほど排したその語法は、おそらく十分に意識的なのであろう。その分だけ信頼でき、また、その分だけとりつく島もない。私は嫌われていると思いつつ、同時に、眼前の人物に畏怖の念を感じていた。こんな男、正直、見たことがなかった。

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