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2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(42)

年若い死刑囚A君(5)

 カテゴリ「年若い死刑囚A君」を始めたときの予定では前回が最終回だったが、『年若い死刑囚A君(2)』で取り上げた「A君が起こした事件の不可解さ」が宿題として残っていた。『永遠の不服従のために』にはこれまでに紹介した以外にA君を取り上げた記事はないので、辺見さんのその後の著作の中のA君を取り上げている記事を調べてみた。『いま、抗暴のときに』の①<第1章「大量殺戮を前にして」の第4節>と②<第6章の第1節「わが友」>の2記事と、『抵抗論』の③<第Ⅲ章の第6節「夢の通い路」>がA君を取り上げていた。その後の辺見さんとA君との関りも知りたいし、もしかすると宿題を解く鍵がその中にあるかもしれないと思い、①②③を用いて「年若い死刑囚A君」を続けることにした。

 最高裁の判決により確定死刑囚となったA君には近親者や弁護士以外は面会できない。近親者や弁護士から情報を得ることもあるが、辺見さんとA君の関りは主として手紙のやり取りによって続けられていた。

 では①から読んでみよう。ときはブッシュがイラク侵略をほのめかしていた時期であり、辺見さんの論考は死刑執行と気違い染みたブッシュによる国家テロリズムの同義性議論へと発展していく。

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 拘置所にいる年若い友人Aが、医務官から高血圧、高脂血症などを指摘され、努力してもっと痩せるようにといわれたそうだ。Aに接見した弁護士がメールで伝えてくれたのだが、ろくに運動もさせてもらえないのだろうから痩せろといわれてもすぐには難しかろうと私は反射的に想像したのだった。しかし、すぐにその思いをぐいっと呑みこんで、わきまえのなさを羞じた。彼はいわゆる確定死刑囚という身の上だからだ。いずれ絞首刑を執行しようとしているくせに、痩せろも太れもないだろう。重い意識の底でAはおそらくそう無言で反駁したのではないか。死刑をとりやめるというのならまだしも、時いたれば縊(くび)り殺すというのであれば、高血圧だろうが高脂血だろうが関係はないだろう、と。いつくるかわからない死に向き合わされている身としては、自棄の気分も手伝ってそのように反発するほうが自然かもしれない。勝手な想定をもとに、私はAと架空の問答をはじめる。

 「それでも、しぶとく健康でいたほうがいいよ。再審請求が通るかもしれないし、死刑制度が廃止される可能性だってあるのだから」
 「死刑を宣告し、同時に健康でいろと命じるのはおかしいとは思いませんか。それに、ぼくの耳にはもうカウントダウンの声が聞こえているのですよ」
 「幻聴だよ」
 「いや、心のなかでみんながカウントダウンしている。それがすごい音になるんです……」
 問答は無限につづく。

 友人Aのことを胃袋のなかの鉛の塊のように意識したまま、私はイラク攻撃に関する米国メディアの報道資料を読んでいる。戦争狂ブッシュは一月末、イラクの武装解除を促す外交努力について「数力月ではなく数週間の問題だ」と述べ、二月中にも査察を打ち切り、武力行使に踏み切る可能性をほのめかしている。読みつつ、世界中がカウントダウンしているように思えてくる。無声の唱和なのに、すさまじい轟音となって耳朶(じだ)を打ってくる。それが、架空問答でAが聞こえているといったカウントダウンと重なる。このことをなんとかしてAに告げたい衝動にかられる。Aはどう応じるだろうか。あのやや皮肉っぽい笑顔で<ぼくの死刑の問題とそれとでは根本的に次元がちがいますよ>とでも力なくいうのだろうか。私はしかし、相通じるところがどこにもなさそうな、無限小と無限大にも見える二つのことがらに、アフガンヘの攻撃の際もそうだったが、ほぼ同質の背理と「絶対暴力」とでもいうべき不条理を感じている。絶対暴力は生身の人間を強引に抽象化し数値化し記号化し、抹消可能なもののように概念化するところから立ち上がる。国家というのは、その根源において、死刑執行と戦争発動を闇の回廊で秘かにつないでいるのではないかと私は疑う。どこまでも暗視せよ。あの闇を見澄ませ。私は自身にそう命じる。

 一月下旬のロサンゼルス・タイムズは、軍事アナリストらの話として、米軍がイラク攻撃に際し、戦術核の使用をも選択肢に入れて研究を進めていると伝えている。そういえば2002年1月、ペンタゴンは「核戦力体制見直し」案を議会に提出した。以後、「低出力・精密誘導核兵器」の開発を進めて、通常兵器と戦術核兵器の垣根を取り去る政策を実行しようとしている。同紙報道は、米国が単なる抑止力というより実際に「使える核兵器」を、ここにきて本気で実戦使用する気構えになりつつあるということを裏づけているわけである。イラクによる大量破壊兵器製造の可能性をなじり武装解除を執拗に迫る米国自身が、大量破壊兵器をどの国より大量に保有、製造し、それをイラク攻撃で場合によっては使用するかもしれないというのだ。この途方もない不合理と絶対暴力にいま世界中が呑みこまれている。

 絶対暴力に抵抗するには、いかに精緻であれ論理的思考だけではおそらく無理であろう。絶対暴力への不服従。それは人間の抽象化、数値化を拒み、想像力の射程を無限に伸ばし拡大することにはじまるのではないか。思考のあらゆる局面に、常に個体としてのリアルな人間身体を措定するのである。たとえば、「戦争の風景」と題した想像の画布に、バグダッドに住む特定個人の身体を置き、被弾した彼や彼女の脳みそと臓腑、血と肉片と骨片が、数メートル四方に飛び散る、カラフルにして酸鼻の様をいちいち思い描かなければならない。翻っていうならば、健康であれと命じられながら死刑の執行を待たされている友人Aは、私にとって無色、無臭、透明の数値としての確定死刑囚の一人ではありえない。長い拘置所生活でブロイラーのように肥えてしまった、たぶん百キロはとうに超えたであろう躰をかかえて、来る日も来る日も酷い記憶にさいなまれ、祈り、怯え、悔い、怒り、自棄し、妄想し、何度も何度も彼自身の想念のなかで絞首刑を執行されている、断じてA以外ではありえない、痛々しい個体としての身体なのである。絶対暴力に抗うこの二方向の想像力はめぐりめぐってどこかで結ばれるのではないか。私はそう願う。

 先日はCBSニューズ・コムを読んで絶句した。ペンタゴン関係者らはイラク攻撃開始日を「Aデー」と呼んでいるのだそうだ。airstrike(空爆)の頭文字をとったのだ。現在の戦争計画がそのまま実行されるならば、「3月のある日、空軍と海軍は三百から四百基の巡航ミサイルをイラクの目標地点に撃ちこむであろう」という。たった一日で、である。これは前回湾岸戦争の約40日間でイラクに放たれた巡航ミサイルの総数をさらに上回る数字だという。この戦争計画によると、Aデーの翌日にはさらに三百から四百基の巡航ミサイルを発射する予定というから紛うかたない大量殺戮である。「衝撃と畏怖」(shock and awe)作戦とも呼ばれるこの猛爆により「バグダッドには安全な場所などなくなる」と軍事当局はいい放っているという。これは物理的破壊というよりイラク軍の戦意を一気に喪失させる「心理的破壊」をねらったものというが、二日間で六百から八百基の巡航ミサイル発射というのは、原爆投下を除けば人類史でもっとも破壊的な作戦となるのではないだろうか。ある軍事関係者は「数日とか数週間とかでなく、数分間で」戦意喪失にいたらしめた広島への原爆投下にこの作戦をなぞらえているというから、無神経ももはや狂気の域にたっしているといっていいだろう。

 米国の軍事当局者らにあっては、かつてアフガンに対しそうであったように、イラクの人びとを米国人と同じ壊れやすい人間身体としては認めず、人外のなにかか、あるいは疎ましい記号か屑のようにしか意識していないようだ。きたるべきブッシュの戦争とそれに付き従おうという小泉政権の政策に、私がいささかの躊躇もなく反対する根拠はそこにある。そのことを、私はだれより獄中のAといま静かに静かに話してみたい。

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