2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(38)

年若い死刑囚A君(1)

 辺見さんが死刑廃止論者であることは『永遠の不服従のために(11):死刑廃止論(1)』『永遠の不服従のために(12):死刑廃止論(2)』で取り上げた。辺見さんはその立場から確定死刑囚・大道寺将司さんとの深い関り合いの記事をたくさん書いている。これまで、それらの記事も紹介してきた。

 ところで「戦争Ⅷ(最終)節」は、辺見さんが関わってきたもう1人の「年若い死刑囚A君」との関わりを通して、マスゴミ(ここでは辺見さんは「糞バエ」と呼んでいる)が戦争構造の構築に貢献していることを論じている。

 この「年若い死刑囚A君」についての辺見さんの最初の記事は第4章の「奈落」だが、「国家テロリズム」の記事と関連しているので第4章を飛ばして第5章「戦争」を取り上げてきた。そこで今回からカテゴリ名を「国家テロリズム」から「年若い死刑囚A君」に替えて、辺見さんとA君との関わりをまとめることにした。まず、「奈落」を読むことにする。

 「奈落」は<a・b・c>という3節で構成されている。「奈落」の枕として次の文が置かれている。
奈落は眼では見られない。奈落の暗さは恐怖の原因ではない。
視覚はこれらのイメージと何の関係もない。深淵は墜落から演繹される。
イメージは運動から演繹される。(ガストンーバシュラール『空と夢』宇佐見英治訳)

 a節の本文は臨時に宿泊したホテルで見た奇妙な夢の話から始まる。その夢は一審・二審で死刑を宣告されたA君のために書くつもりだった最高裁への意見書の作成が滞っていたことに対する蟠(わだかま)りを反映する夢だったようだ。

a
 いま住んでいるところから目的地まではとても遠いし、朝のラッシュに巻きこまれたくないので、入谷(いりや)の小さなホテルに前泊した。そうしたら、未明に腓返(くむらがえ)りになり、痛くて痛くて悲鳴を上げて、やっとそれがおさまったと思ったら、おかしな夢を見た。
「なにかの立食パーティーの最中なのに、左の耳の孔から、大小の藁屑(わらくず)や腐ったスポンジみたいな耳垢が、床にボロリボロリといつまでも落ちてきて、それは、じつはちょっとした快感をともなうものではあったのだけれど、人前ではやはり恥ずかしいから、手で左耳をふさいでみたり、虫みたいに床を這う大きな耳垢を靴の底で踏みつけて隠したり、さとられまいとするのに必死であった。朝、下りの地下鉄に乗っても、耳から耳垢が落ちてくる気配がするので、三ノ輪をすぎるあたりまで、ずっと乗客の視線を意識し、左耳を、携帯電話でもかけるように、手で押さえていた。
 次の駅は南千住だというアナウンスを右耳で聞き、念のため左耳を手のひらで隠したまま、あわててドアに突進する。降りようとしたのだが、そうなのだ、私はいま南千住には住んでいないのだ、と自分にいいきかせて、不審がる乗客の視線を避け、窓の外に顔を向けた。列車はもう地上部分にでていた。一瞬、駅近くの寺の、「首切り地蔵」の黒い頭がさっと眼の端に入って、消えた。しばらく見ない間に、ずいぶん煤(すす)けてしまったなあと思う。あの石の地蔵は、以前は、もっと大きかった気がするが……。江戸期には、電車が通過したあたりに刑場があって、何万人もが斬首、火刑などに処せられたのだという。怨霊も地霊も多くいるその界隈に、私は五年近く住んだ。電車は、委細構わず、霊たちを轢(ひ)いて進み、やがて荒川鉄橋でいっぱいの光を浴びてから、私の目指す駅に停まった。耳垢のことは、すでに忘れていた。」

 土手沿いの道を歩きながら、私は心のどこかで、あの青年と、結局は、会えないことを願っていたかもしれない。あるいは、会うのを拒否されることを。とてもではないが、顔を見る勇気がなかった。つまらぬ渡世にかまけて、もう何カ月も会っていない。つまり、私が面会をさぼっていたということだ。ことここに至って、どの面下げて会えるというのだ。これじゃ、体(てい)のいい儀礼にすぎないではないか。最期のあいさつというわけか。まったく、冗談じゃない。なにを話せばいいのか。顔をどうつくろえばいいのか。

 引っ越して、彼のところから相当遠くなってしまったこともある。多忙で体調をくずしたこともある。テロ事件と戦争のことに気を取られていたこともある。正直、疲労もある。性質の異なる惑いが、いくつか、重く固く結ぼれて、なにごとも億劫になったということもあるにはある。実際、ただ酒を呑んで遊んでいたわけではないのだ。胸の底には、いつも彼のことが水銀のように沈み滞(とどこお)っていた。ただ、躰が動かなかった。どうにも動かなかった。でも、これらはすべて、いいわけにすぎない。なぜなら、私はかつて心にいったんは固く誓ったのだから。来るべき時期が来たならば、最高裁にあてて意見書を書いてみよう、と。かりに、そのことがまったく無駄な行為であっても、死刑判決に反対する、説得力のある、しっかりした文章を書かなくてはならない、と。

 数日前からやろうとはしていたのだ。疲れた頭で、意見書を書きかけてはいた。そのころから左の耳がおかしかった。耳鳴りがずっとつづいていた。「検察側の調べ、起訴事実、審理過程全般につき重大な疑義があります」といったんは記した。たしかに複数の人々が犠牲になっているけれども、そもそも彼には殺意がなかったことを、何度も強調した。ただ、彼が、ある少女の磁力に引っぱられるようにして、惨劇に誘われていく、肝心のみちすじが、うまく書けず、はしょったままになっていた。

 死刑判決の趣旨とはまったく異なる彼の「人間性」にかんしては、初稿ではずいぶん書きこんだ。とくに、彼、つまり被告人がこれまで観た映画のなかでいちばん感動したというチャップリンの『ライムライト』について、わざわざあらすじまで紹介した。リウマチで脚をわるくして自殺未遂したバレリーナ、テリーのこと。自分の生活を犠牲にして彼女を励ましつづけ、ついにテリーを晴れの舞台に立たせて、みずからは死んでしまう芸人力ルベロのこと。カルベロのテリーへの言葉も引用した。
「人生を恐れてはいけない。人生に必要なのは、勇気と想像力と、少しばかりのお金だ」。
 それに感応する被告人の心根のありようについても長く言及した。『ライムライト』の部分は、しかし、意見書全体のなかで多すぎたかもしれない。

 意見書はしばしば中断を強いられた。テロと報復戦争のことを書く必要が生じたからだ。二つの原稿の関連性を、私はおのれに何度か問うた。無関係なのだが、まったくそうともいいきれない気もした。二つの原稿の優先順を私は思案した。〈それは、もちろん意見書を優先すべきだ〉と、頭のほうは、いわばまっとうに考えたのだ。だが、手のほうはしきりにテロと戦争のことを書いていた。頭のなかでは「極小」のテーマと「極大」のそれが、絶えずせめぎあったり、絡まりあったりしていた。最高裁への意見書を中断し、テロと戦争のことを書いているのは、論理的には正当でありえても、人間的には卑怯なのである。同じ無駄な情熱でも、テロと戦争についての文章表現のほうが、一審、二審とも死刑を宣告されている被告人をかばう文章よりは、よほどとおりがいい。だからこそ、卑怯なのだ。そうと知っていながら、私はブッシュとそれにつきしたがうコイズミに、原稿のなかで悪罵を浴びせつづけていた。人としての自分になかば呆れ、なかば軽蔑しつつ、報復戦争反対の「正義」を演じていた。意見書の提出は、結果、時間切れになりつつあった。四日後には、十中八九、死刑が確定する。賢い被告人は、まちがいなく私の本性を見抜き、怒り心頭に発しているはずであった。

 三番の面会室に入るようにスピーカーから指示があった。東京拘置所にはこれまで三十回ほど面会に来たことがあるが、三番ブースはこれがはじめてだ。殺虫剤の臭いがしないのにも気がついた。夏から来ていない。そうだ、もう冬なのだ。透明アクリル板の向こうのドアが開き、ぬっくり大きな男が係官とともに入ってきた。私と眼が合うと、満面に笑みを浮かべた。そう私には見えた。

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