2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(37)

国家テロリズム(14)

 「戦争Ⅶ節」は辺見さんが飛行機でニューヨークからボストンへと出かけたときの経験談である。9・11以降のアフガニスタンなどへの侵略戦争のために各空港での入国審査や保安検査が厳しくなったが、その厳しさはある点では嗤ってしまうほどばからしさで行なわれていた。それは戦時体制下の国家のばからしの表徴と言ってよいであろう。

 まず、辺見さんは北京特派員時代に国家安全省の役人から受けた脅しのような扱いを思い出し、継いでニューヨークで入国審査官に提出する質問カードを成田空港で書かされた話に入っていく。次のようである。

 心臓が凍りついてしまうほどの恐怖と、逆にゲラゲラと哄笑したい衝動とが体内で同時に激しくせめぎあうという経験をこれまでに何度かしている。たとえば、ある朝二日酔いで寝ていたところを、突然、国家安全省の役人らに踏みこまれ、強制的に連行されたとき。北京特派員時代、ニュースソースを明かせという当局の要求を拒否していたら、報復なのであろう、そのような目に遭った。結局は国外退去処分とされたのだが、連行の途次では、たぶん殺されはしないにせよ、二、三年は身柄を拘束されるかもしれないなと想像した。すると、まず舌が口いっぱいに膨れ、頭蓋のなかでキーンという金属音が鳴り響き、臓腑の熱が一気に冷えていくような身体の失調があった。同時に、シャンパンの瓶を何度も振ってから一気に口を抜くように、大声で激発的に笑ってみたい衝動にもかられた。まったく相対立する二つの情動が同時に躰を襲うというのは、ふり返ってみれば、国家が幻想のベールをかなぐり捨てて眼前に登場したときの、私の生理的な癖のようなものかもしれない。カスのごとき存在である私に対し、しきりにいきりたつ国家というものが、怖くもあり滑稽にも思えてくるのである。

 先日、成田からニューヨークに向かった機内でも、私は引きつった笑いを低く声にだして笑っていた。入国審査官に提出するI―94Wというフォームのカードにいろいろ書き入れながらだ。印刷された米移民帰化局の問いには、
「犯罪活動あるいは不道徳な性行為を行うために米国に入国しようとしていますか?」
とあり、これにイエスかノーで答えなければならない。国是よりジョークを万倍も大事に考えている私に、この質問について笑うなというほうが無理というものだ。
「これまでに、あるいは現在、スパイ行為やサボタージュ、テロリスト活動ないしは集団虐殺に従事、参加したことはありますか、または参加しつつありますか?」
という質問事項もある。はい、従事しております、というばかがいるかい、といいたくなるが、9・11を思えば、笑っちやいけない問いなのだろう。けれども、ついうっかりイエスの欄にチェックを入れてしまう真面目で間抜けなテロリストがいたりして、と想像すると、とても笑いをこらえることができないのであった。

 次いでニューヨーク空港での入国審査である。

 そこまでは、まあ、それで済んだのだ。ニューヨークの入国審査官にパスポートと到着カードを渡すや、その係官の顔色が変わった。開口一番、「あんた、最近パキスタンに行ってただろう」と詰問してくる。反射的に「ソウ・ファッキング・ホワット?」(だからどうしたっていうんだい)とでもいい返したらさぞ気持ちいいだろうな、と思いはしたが、口のほうはお行儀よく「はい」と答えていた。次の問いは〈アフガニスタンにも行つたな〉であろうと先読みし、答えを用意していたら、ちがった。「(最終目的地の)ボストンになにしに行くんだ」と訊いてくる。面倒くさいので「か、かんこう……」とつぶやいたら、「観光のわけがないだろうが。なにか書きに行くんだろう。あんた作家だろう」と、たたみかけてくる。知っているなら訊くんじやないよ、といいかけてやめた。入国OKの雰囲気になってきたからだ。

 私は、月刊誌の企画で、ある人物に会うため担当編集者とともにボストンに行く途中であった。9・11以来、米国の戦争政策についていいたいことをいってきているから、じつのところ、米国入国は無理かもしれないとも思っていた。ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)として、入国拒否されることもないではないと予想していた。私としては、内心、拒否されたらされたで大騒ぎせずに、帰りの機内で、たとえばコーエン兄弟の新作映画でも観ながら泰然と引きあげようくらいに考えていたのだ。結果、審査官に多少からまれたけれども、入国はできた。そのことを私は当然だと思っているし、私がパキスタンに行こうがアフガンに入ろうが、いちいち咎められる筋合いのことではないと考えている。米国はべつに度量が広いのではない。私の入国はたんに当然のことなのである。

 次はニューヨークでボストン行の小型機に乗り換えるときの保安検査の厳しさを書き留めている。

 けれども、ニューヨークからボストンに行く小型機に乗り換える際の保安検査の厳しさといったらなかった。銃を手にした黒ベレー、迷彩服の兵士の前で、執拗な手荷物検査だけでなく、靴を脱がされ、靴底まで丹念に調べられた。しかも、一時間に二度も。同行の編集者は靴を脱がされてはいない。彼は私の眼つきがわるいからだというのだが、じつはちがう。私はまた笑ってしまったのだ。そうしたら真剣にセキュリティ・チェックをしている黒人女性と眼が合う、彼女がむっとする、同僚の検査官に目配せするという成り行きとなり、いやがらせなのか、私は再びチェックされたのだ。

 なぜ笑ったか。われながら説明が難しい。一回目の保安検査のとき、私は衝動的に二つのばか話をしたくなったのである。一つは、「ぼくがタリバンつてよくわかるねえ」。もう一つは、「カブールの空港じゃ、あんたがたの軍隊のシェパードに荷物検査されちゃってね。でも、その犬の鼻、乾いてたよ」。後者は事実だったのだが、二つとも、むろん、口にしてはいない。そんな雰囲気ではないのだ。保安係官の眼がすわっていた。明らかに「戦時」を意識している。いや、「平時」だってこの手のばか話はいやがられるにちがいないし、殴られるかもしれない。そう思うと、なぜだかかえって口にしたくなった。同時に、とても怖いのである。怖いと思えば、ますますしゃべってみたくなる。一つの躰で二つの矛盾する感情が格闘し、結果として、私はひとり喉でくくくと笑った。それが連中の気に障ったようだ。これは思想ではなく、私の生理のようなものなのだけれども。

 ボストンで聞いたのだが、こうした局面で似たようなジョークを飛ばした欧州からの観光客が、身柄拘束され、翌日強制送還されたケースもあったという。"反テロ戦争"の最中に、あってはならない不謹慎かつ悪質ないたずらだというわけだ。だからであろう、空港では執拗かつ無礼な保安検査にだれも文句をいわず、諦め顔で応じている。こうした場合、粛々として従うのは当然でありエチケットでもあろうという考えが大勢を占めてもいる。私は、しかし、ジョークを忌み嫌いはじめた国家は、一般に、危機に瀕しているのだと信じる。ばかにして笑ったとてなに悪かろう。だいたい、国家こそ最大のジョークみたいなものなのだから。

 日本の有事法制も、異議申し立てへの抑圧だけではなく、まちがいなくジョークの否定につながるであろう。笑うと怒られるぞ。そう思うと、なおのこと笑いたくなる。

 辺見さんが上のように予想していたことが、十数年後、ついに「共謀罪法」が大手を振ってまかり通るほどにまでなってしまった。やんぬるかな。
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