2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(32)

国家テロリズム(9)

 ブッシュの狂気の一般教書演説をアメリカの議会や日本のマスゴミはどのように受け止めたのだろうか。

 狂気をもつ者にとっての昼は、とフーコーは設問し、
「その外見のもっとも表面的な夜にほかならないのである」
と指摘している。「夜こそ存在のもっとも奥深い昼だった」といった哲学ないし文学ではなくして、単純に昼を夜ととりちがえる悩乱。権力者のこうした病理により、歴史はしばしば大きな混乱を余儀なくされてきたと私は思う。9・11以降のブッシュのような言動については、ジャン・ボードリアール(Jean Baudrillard、1929年7月27日 - 2007年3月6日、フランスの哲学者、思想家)
「悪を追い払うという対抗恐怖症的な、あらゆる錯乱」(2001年11月3日のルモンド紙に寄せた論考。『環』2002年冬期号から)
があると説明している。訳者の塚原史・早大教授によれば、ボードリアールのいう「対抗恐怖症」とは「対象にありもしない恐怖を感じて過度に攻撃的になる病的状態」だそうである。さて、そのような狂気に彩られた一般教書演説に対し、米上下両院合同会議はどのような反応を示しただろうか。信じがたいことには、凄まじいばかりのスタンディング・オベーションだったのだ。狂気は勝利したといっていい。

 日本のマスメディアには狂気が存在しないのだろうかと、ときおり私は考える。ブッシュの一般教書演説を総じて事理相通ずるまっとうなもののように扱ったテレビや新聞報道は狂気じみていないか。ありていにいえば、つよい関心は示さなかったのだ。ということは、そこに狂気はなかった、ともひとまず診断はできる。だが、パスカル流に解析すると、「狂気じみていないことも、やはり狂気じみている」のである。ブッシュ演説のこれはどの狂気に対し、べっして反発もみせないこと自体に静かな狂気が宿っていると私は思う。これはとりも直さず、ブッシュの悩乱の世界観が日常的に投象されて、日本の戦争構造が日々穏やかに立ち上がっていることを意味するだろう。風景は刻々じつに静謐(せいひつ)に穏当に狂いつつある。あたかもこれ以上の正常はないかのように。

 ボードリアールは前述の論考で
「自由という比較的新しい思想はすでに風俗や意識から消滅しつつあり、リベラルなグローバリゼーションが自由とはまったく逆の形態をとって実現されようとしている。警察の支配と全面的管理のグローバリゼーション、セキュリティという名の恐怖政治だ。管理からの解放〔を求める運動〕は、原理主義社会にも匹敵する最大限の束縛と制約のうちに終わりを告げたのである」
と述べた。われわれの狂った正気と根拠のない理性と日々の惰性がそうさせたのだ。

 ここでちょっと横道へ。

 共謀罪法が姑息な方法で15日に強行採決された。共謀罪法は戦前戦中に猛威を振るった「治安維持法」になぞらえて多くの人たちが反対の歴史的根拠を挙げて反対を表明した。しかし、共謀罪を理由に冤罪で理不尽に国家によって殺された人が100年前にもいた。共謀罪が強行採決された翌日(16日)の東京新聞夕刊のコラム「大波小波」に「共謀罪が殺すもの」と題する記事が(筆者名「生きている愚者」)掲載された。それを転載しよう。

 百年ほど前、明治天皇暗殺共謀のかどで十二人が死刑になった大逆事件。首謀者とされた幸徳秋水は無関係で、彼と面識があっただけで謀議に加わったとみなされた者さえあった。巻き込まれ処刑された紀州の医師、大石誠之助の死に際して詠まれた詩が二編ある。

 一つは同郷の佐藤春夫の「愚者の死」。一節で
「死を賭して遊戯を思ひ、/民俗の歴史を知らず、/日本人ならざる者/愚なる者は殺されたり。」
とくさす。
 もう一編は、与謝野鉄幹の「誠之助の死」。
「日本人で無かった誠之助、/(略)/神様を最初に無視した誠之助、/大逆無道の誠之助。/ほんにまあ、皆さん、いい気味な、/その誠之助は死にました。/誠之助と誠之助の一味が死んだので、/忠良な日本人は之から気楽に寝られます。/おめでたう。」
とさらに手厳しい。

 どちらも処刑から時を置かずに発表された。誠之助とは旧知の仲であり、弁護士探しに奔走した鉄幹の思いがどこにあったのかは言うまでもないが、このような表現しか許されなかった時代を思う。誠之助の側に立てば、自分も共謀者と見なされかねなかったのだ。

 さて「共謀罪」法の強行成立。これで「愚者の死」は増えるだろう。「おめでたう」 (生きてゐる愚者)


 「生きている愚者」さんは佐藤春夫や与謝野鉄幹の愚者ぶり丸出しの呆れるほかない権力迎合の詩を「このような表現しか許されなかった時代」と、擁護するようなことをいっているが、これは日本のいわゆる文化人の心性の深々と根を張っている天皇教のなせる技である。いろいろな記事で書いてきたが、つい最近も『永遠の不服従のために(29):国家テロリズム(6)』で触れたように、叙勲・褒章受章にやにさがる政治家・作家・大学教授や嬉々として園遊会に参加する者たちの心性と繋がっている。

 ところで、この東京新聞の「大波小波」の記事を取り上げて佐高信さんが『週間金曜日』(6月23日刊)のコラム「風速計」で「屈しなかった人」と題して、佐藤春夫や与謝野鉄幹の対極に毅然として立っていた徳冨蘆花を紹介している。佐藤春夫・与謝野鉄幹の詩を引用して次のように続けている。

 公明党のように権力に屈従する者たちの低レベルな詩だが、現代で言えば、櫻井よしこや曽野綾子に当たるのだろうか。

 しかし、春夫や鉄幹と違って、明治政府のお先棒をかつがなかった人もいる。作家の徳冨蘆花である。

 1911年2月1日、幸徳秋水らの刑死がまだ世を震撼させていた中で、旧制一高に招かれた蘆花は「謀叛論」と題して熱弁をふるった。招いたのは弁論部の河上丈太郎(のちの日本社会党委員長)。講演を聴いた者の中には矢内原忠雄や南原繁(共にのちの東大総長)がいた。

 最初に「僕は臆病で、血を流すのが嫌い」と断りながら、蘆花は
「彼らは乱臣賊子の名をうけても、ただの賊ではない、志士である。ただの賊でも死刑はいけぬ。まして彼らは有為の志士である。自由平等の新天新地を夢み、身を献げて人類のために尽さんとする志士である。その行為はたとえ狂に近いとも、その志は憐むべきではないか」
と続けて、さらに踏み込む。

 彼らは富の分配の不平等に社会の欠陥を見て、生産機関の公有を主張した社会主義者だが、社会主義が何か恐いか? 世界のどこにでもあるではないか。

 自らも捕まることを覚悟しなければできないような講演は、次の結びで最高潮に達する。

「諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見倣されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である」(徳冨蘆花『謀叛論』岩波文庫)。

 私は、この徳富蘆花の論調は辺見庸さんの論調と相通じるところがある、と思ったので、ここで紹介することにした。
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