2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(31)

国家テロリズム(8)

 「悪がいけしゃあしゃあと善面をし」ているもっとも適切な例を挙げるとすれば、そうあのブッシュである。ここでもブッシュが再登場することになる。辺見さんはブッシュの言動をめぐってさらに突っ込んだ分析をしている。

 さて、気のふさぐことではあるけれども、この戦時下、フットボールをテレビ観戦中にプレッツェル(ドイツ発祥の焼き菓子)というスナック菓子を喉につまらせて失神したという、情けない男の話からはじめなければならない。男の名前はブッシュ、ちなみに中国語読みだと、「プーシー」となる。これを(おそらく故意にだろう)プッシー(女性器の別称だそうだ)と聞きちがえて、北京での記者会見中に吹きだしただけではない、「プッシー大統領だとよ、いいねえ」と、結構な声量でひとりごちた優秀な米国人記者を私は知っている。息子よりプラス3%ほど利口で、二倍も陽気な父ブッシュの時代であった。いまよりずいぶん冗談がいえたのだ。菓子で死にぞこなった息子ブッシュが先月末行った一般教書演説は、しかしながら、冗談にも洒落にもならない。

 この一般教書に表題をつけるとしたら、「戦争」以外にはありえないだろうが、いうまでもなく、ル・クレジオの『戦争』とまったくことなり、ブッシュのそれには芸術性のひとかけらもありはしない。あるのは、もっぱら被害妄想と殺意のみ。ただ、アフガニスタンヘの不法な報復攻撃が国際社会になし崩し的に受け容れられ、大きな作戦が一段落したからでもあろう、この一般教書においても悪の大いなる前進がみられ、悪が堂々と"善"の貌へと反転していることがわかる。もっとも注目しなければならないのは、ブッシュが善面をして、北朝鮮、イラク、イランの「悪の枢軸」なるフィクションをでっちあげ、真顔でそれらの国々に恫喝をかけ、場合によっては戦争を発動しかねないような言辞を弄(ろう)していることである。いまの世界の深刻な戦争構造は、じつのところ、それら3ヵ国によって築かれたのではなく、米政権が「悪の枢軸」という虚構をつくり、その虚構にもとづき、約3800億ドルという冷戦終結後最大の国防予算を現実に通したことにより、一気に立ち上がったのだ。

 これは大犯罪である。だが、世界はこの犯罪を立証できはしない。すでに米国のアフガンでの戦争犯罪を許してしまったからである。悪が"善"に反転しただけではなく、狂気が"正気"に成り代わった。そうでもなければ、「枢軸」(AXIS)などという言葉をもちだすのが憚(はばか)られたはずだ。AXIS(アクスィス)とは、第二次大戦中に連合国に敵対した日本、ドイツ、イタリアなどの協調関係を指したのであり、米国にとってみれば、いつでも躊躇なく撃てる狂気じみた敵を意味する。つまり、ブッシュはかつての連合国対日独伊の仮借ない関係を、現在の反テロ同盟対北朝鮮・イラク・イランの関係に強引に重ねることにより、世界構造を戦争化したのだ。

 「やつは敵である。敵を殺せ」――いかなる政治指導者もそれ以上卓抜なことをいいえない、と見きわめたのが埴谷雄高の虚無思想であった。皮肉にも、ブッシュは卓抜でもあるということだ。よくよく心しよう。愚昧が"卓抜"に、悪が"善"に、狂気が"正気"に、そしてなにより、戦争が"平和"に反転して、われわれの生活を侵しつつある。

 自らの愚昧を"卓抜"と、悪を"善"と、狂気を"正気"と、そしてなにより、戦争を"平和"と思い違いして、われわれの生活を侵しつつあった史上最悪な「アベコベ軽薄姑息うそつきカルト」首相がようやく終わりを迎えることになりそうだ。もしそうなれば、近来まれに見るよろこばしいニュースである。ところが、東京新聞が一面のトップで次のようなニュースを報じていた。この頭の芯までいかれてしまった首相が神戸市内で講演し、「自民改憲案 秋国会に提出」とか、加計問題をはぐらかすためだろう、「獣医学部を全国に」とか喚いたという。まだ、やる気満々なのだ。この講演は日本会議傘下の神戸「正論」懇話会の設立記念特別講演会で行なわれた。たぶん、このバカげた演説も、聴衆は全員お仲間だから、大きな拍手喝采を受けたことだろう。

 さて、辺見さんはブッシュに対して、「ときにぞっとするような狂気を感じる」と、次のようにブッシュの狂気を分析している。私はこの論説をも「アベコベ軽薄姑息うそつきカルト」首相を重ねて読んでいる。

 ミシェル・フーコーが自著『狂気の歴史』(田村俶訳)の序言の冒頭で引用しているパスカルの言葉には多層の含蓄がある。
「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」。
 狂気と非狂気はもともと分割可能な二つの異なった人間表現ではないということである。疑りもなくみずからを理性の側に置き、軽々しく他者の狂気を語ってはならない、ということでもあろう。それを十分承知でいうのだが、私はジョージ・W・ブッシュと彼の政権に対し、ときにぞっとするような狂気を感じるのだ。それは、彼がプレッツェルを喉に詰まらせて気絶するという奇矯な身体行動におよんだからではない。憖(なま)じいに息吹き返して、その後、上下両院合同会議で行った一般教書演説の内容に総毛立ったのである。つまり、10歳児のそれよりも狭隘(きょうあい)でねじくれた世界認識に鳥肌が立ったのだ。

 その最たるものが「悪の枢軸」というアナクロ的いいがかりだが、もの狂おしい錯誤はそれにとどまらない。以下に三例のみあげてみる。


 わずか4ヵ月、われわれは数千人のテロリストを捕まえ、アフガニスタンのテロリスト・キャンプを破壊した。人々を飢えから救い、一つの国を残虐な圧制から解放した。

 たとえ7000マイルも離れ、海と大陸で隔てられ、山の頂や洞窟に潜もうとも、お前たち(テロリストのこと)はこの国の正義から逃れることはできない。われわれの大義は正しく、今後ともそうである。

 この戦争(対テロ戦争)の戦費は膨大である。毎月10億ドル以上を費やしてきた。アフガンで証明されたのは、高価な精密兵器は敵を負かし、罪のない人々の命を助けるということだ。こうした兵器がもっと必要だ。

 文例1は、ブッシュなりの勝利宣言である。日本の中都市の財政規模にもおよばない年間予算しかなかった超貧乏国の飢えた大地を襲撃し、タリバンだけではない、食えないから隊列に加わっただけの失業者、農民とまったくの非戦闘員多数を空爆によりごく気楽に虐殺して、対テロ戦争に「勝利しつつある」というのだ。ほとんど無抵抗の者たちを圧倒的軍事力でむごたらしく殺すことを「勝利」といい、途方もない戦争犯罪を「解放」という。一万歩譲歩しても、しかし、事実はちがう。すなわち、アフガンの人々は飢えから救われておらず、「解放」もされていない。

 文例2は、どうやら格調が高い文とでも思ったか、ブッシュが躰を揺すり、自己陶酔気味に一段と声を張り上げたくだりである。これが、3800億ドルという驚愕の国防予算をもつ戦争超大国の最高指導者の言葉なのである。格調どころではない、復讐を誓うそこいらの組織暴力団の偏執と大差ないではないか。ここには高い政治理念など微塵もない。国家という暴力装置とそれを担う暗い情念を、なにはばからず発現しただけのこと。文章表現から察せられる知的レベルとしては、ビンラディンにはるかにおよばず、下賤なマフィアとそう変わるところがない。

 文例3は、米国がアフガンで生身の人々を被験者とし多彩な兵器の実験をやりましたと告白したのに等しい。それらはトマホーク、バンカーバスター、デイジーカッター、クラスター爆弾、そして秘蜜裏に実戦使用された新型爆弾などを指している。ただ、高価な精密兵器がもっと必要だということは、新たな戦術核開発や米本上ミサイル防衛(NMD)をも含意した発言とみるべきであろう。にしても、高価な精密兵器こそが人を救うとは、哲学の貧困を通り越し、哲学絶無という満目荒涼たる地平を見せつけられているようなものではないか。

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