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389 天皇制の基盤を撃つ ― 真説・古代史(41)
「アマクニ」の聖地「天の岩屋」
2005年10月3日(月)


 扶桑社版の超反動教科書「日本史」は「天の岩屋」の説話を取り入れた。 アメノウズメの胸のあらわなストリップをリヤルに描写しているという。 天皇中心の文化を日本の伝統文化と誤認している連中が「天の岩屋」の説話を その文化の原点と認識している故の選択だろうか。ともあれ、「天の岩屋」の説話 はヤマト王権が九州王権から盗んだ説話だ。

 古田さんは「天の岩屋」はアマクニの聖地であり、沖ノ島がその整地だという。 理由を五点あげて論証している。

 その理由の第一は、
岩上遺跡・岩蔭遺跡というように、この島は全山「岩」で おおわれている。その「一個の巨大な岩」が海域の中に突出し、すなわちこの島 をなしているのだ。ことに稜線の南、東北側は垂直に百五十メートルの岩壁が海 波の中に吃立している。まことに「天の岩屋」というにふさわしい。

 その理由の第二は、
「天の両屋」というように、「天の…屋」の形の名前にな っている。そしてその一つ(小さい方)は「小屋島」だ。とすると、全山岩で おおわれた〝屋島もしくは大屋島″の方が「天の岩屋」と呼ばれるのは、まこと にふさわしいのである。

 その理由の第三は、
祭祀遺跡の状況から見て、この島がこの海域(朝鮮半島 と九州との間)中、最大の宗教的中心をなしていたことは疑いない。
 同じく、『記・紀』神話中において、「天の岩屋」は「天国」の中心的位置 をしめている。しかも、いわゆる天つ神たちは、『記・紀』では決して〝あが められ″〝まつられる″存在として描かれているだけではない。

(イザナギ・イザナミの二神に対し)爾(ここ)に天つ神の命を以て、布斗麻邇 爾卜相(ふとまににうらな)ひて詔(の)り、……(神代記、大八島国の生成)

 イザナギ・イザナミは天つ神の意思を問うべく参上する。すると天つ神はみず から卜占によって占って〝判断″をうるのである(「ふとまに」は「太占」)。 また「天の石屋戸の段」にも、

 天児屋(こや)命、布刀玉(ふとだま)命を召して、天の香山の真男鹿の肩を 波迦(ははか)を取りて、占合(うらな)ひ麻迦那波(まかなは)しめて、 ……〈神代記〉

と、この天の岩屋で、卜占祭祀の行なわれたことが記されている(ここに沖ノ島 と相対する「小屋(こや)島」の名を示す「天児屋(こや)命」が登場すること は意味深い)。すなわち、「天の岩屋」は「天国」の祭祀の中枢の場であったの である。今の沖ノ島がすなわち、これだ。

 その理由の第四は、
ここ沖ノ島の奥津宮が天照とすこぶる関係の深いことだ。天照(とスサノオ) の子とされる三女神の長女、多紀理毘売(たきりひめ)命をこの島の奥津宮 に祀る。この女神が生まれたのは、「天の安河」のそばで行なわれた天照と スサノオの「ウケヒ」(誓約)によってであるから、当然その誕生地は 「天国」の中であり、天の岩屋にも近いと思われる。そして『記・紀』説話の 示すところ、多紀理毘売は、二二ギとは異なり、「天国」を出て他国へ去った 形跡がない(大国主との結婚が伝えられているにもかかわらず)。この三女神 は母なる天照の聖跡に〝居坐り″、祭神とされた形なのではなかろうか。
 九州本土の宗像の辺津宮の方が現在の宗像神社の本拠であるものの、その信 仰上の秘地は、海上に鎮まる神秘の孤島、この沖ノ島である。

 その理由の第五は、 はじめにあげた『古事記』の文章だ。イザナギ・イザナミは、国生みを終 えて出発点に帰ってきた。そこは、つぎの「オノゴロ島」問題でハッキリする ように、博多湾岸のそばだ。――そして今、「天国」の六つの島を眺望しよう。 もっともそこ(博多湾岸)に近い島、それがこの沖ノ島だ。


 古田さんは続けて「オノゴロ島」問題を論じているが、私はそれを割愛して 「最古王朝の政治地図」の完成を急ごうと思う。次の問題は「出雲国」だ。
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