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永遠の不服従のために(23)

番外編:大道寺将司(まさし)さん追悼

5月24日、大道寺さんが亡くなられた。辺見さんはブログでその死を悼む記事を書き継いでいる。転載しておく。

2017年05月24日 大道寺逝く

◎大道寺将司死す

 畏友、大道寺将司が本日午前11時39分、東京拘置所にて、多臓器不全で逝去した。哭するのみ。

2017年05月26日 大道寺

◎「大道寺将司とテロの時代」を配信

友人各位
 拙稿「大道寺将司とテロの時代――奇しき生、奇しき死」が本日、共同通信から配信されました。明日以降の加盟各紙に掲載されます。みじかい原稿ですが、お読みいただければさいわいです。昨夜、大道寺将司全句集『棺一基』を刊行してくれる出版社をさがしていたころのことをおもいだしていました。けっこう難航したのです。きわめて不快な発見もありました。
 やってくれるとおもっていた、表向きリベラル系、左派系をふくむいくつかの版元が、「あれだけの犯罪をおこした人物」であることを理由に、やんわりと、そして断乎として、刊行を拒んだのです。おとこたちはそのことでとくにたたかいもしませんでした。かれらは卑怯でした。刊行拒否を「他者のせい」にしたのです。「共謀罪」を、いかにも反対のふりをして、受けいれてしまうような素地はそのころからあったのです。

 性的、民族的偏見を承知で言います。ヤマトゥは卑劣です。ニッポンのおとこたちはどこまでも卑怯です。リベラルぶった、サヨクぶった、アタマのわるい、不勉強で、口だけたっしゃな、誤植,誤表記ばかりだしている、醜いヤマトゥンチューのおとこたちには、とくに注意したほうがいい。あいさつがわりに頭突きかキンテキ蹴りを食らわせてやりましょう。

 大道寺はごくごくまれな例外でした。『棺一基』『残(のこん)の月』を、丹精こめてつくってくれた太田出版の落合美砂さんに、あらためて感謝申し上げます。

2017年05月27日 五月闇

人知れず柩押し遣る五月闇
 『残(のこん)の月』(太田出版)所収。

 2014年。生きながら、かれは自身を柩におさめていた。

「法務省によりますと、大道寺死刑囚は7年前に多発性骨髄腫と診断され治療を受けていましたが24日午前、収容されていた東京拘置所で死亡したということです。これにより全国の拘置所にいる死刑囚は127人となりました」。と、書いたNHKのバカ記者、でてこい!ぶんなぐってやる。

2017年05月28日 「希望」

◎「文學界」にエッセイ

掌篇「希望」と目取真俊さんについてのエッセイ(5枚)を、6月1日発売の「文學界」最新号に寄稿しました。

2017年05月28日 声

夏深し魂消る声の残りける
 『棺一基 大道寺将司全句集』(太田出版)26頁。1997年。

 詞書に「東京拘置所で永山則夫君ら二人の処刑があった朝」とある。「魂消(たまぎ)る声」は、朝、とつぜんに刑場に連行される永山のすさまじい絶叫であった。大道寺はそれを聞いてふるえた。永山の声を耳にのこし、大道寺は逝った。

2017年05月29日 花影

花影や死は工(たく)まれて訪るる
 『友へ 大道寺将司句集』(パル出版)。59頁。2000年。そういうことだな。

2017年05月30日 掲載紙

◎中国新聞が掲載ーー大道寺死去関連エッセイ
 5月28日づけの中国新聞が、拙稿「奇しき生と奇しき死ーー大道寺将司とテロの時代」を改題して掲載しました。にしても、掲載率のおどろくべき低さに唖然としています。なぜなのか。いま、なにがおきているのか。危ういのは、外面よりも、内面の沈滞にあるのではないでしょうか。

2017年05月31日 純粋

◎「純粋な幸福」の第3回を送稿
 連載詩「純粋な幸福」の第3回「市内バス」(脚注つき約21枚)をほんじつ「現代詩手帖」に送稿。つかれた。

いつだったか、大道寺に手紙を書いた。じぶんはあなたと野原にすわってビールでものみたいだけなんだ。ただそれだけのことなんだ、と記した、と記憶する。なに話すでもなく、だまってのむのがいい。土手。河川敷。キャッチボールする子どもら…。ただの想像。もうつかれたよな。どちらかともなく、そのくらいはつぶやくかもしれないけれども。
 返事がきた。アルコールが苦手で、ちょっとのんでも顔が赤くなる、と。こころで苦笑し、どうじに、「あっ」とおどろいていた。いつまでもおどろいた。かれはだれよりも善良な市民にでも公僕にでもなりえたのだ。

きみは、かつてもいまも、青い気圏のそとをゆっくりとまわらされている。死んでも。ずっとそうおもっているよ。ニッポンの国家権力ってすごいよな。世界一じゃないか。だって、なんでも知ってるし、人民大衆のほとんどを味方につけているんだもの。シチズンもナロードもプロレタリアートも、いまや警察の味方だよ。なあ、そうおもわないか。人民大衆は、いつかおのれの血管や脳内に警察をもつようになったんだね。

 30日の記事で中国新聞に掲載された記事のことが書かれているが、その新聞記事のpdfファイルが添付されていたので、読み取りをした。次のような記事だった。

特別寄稿 大道寺将司死刑囚死去 作家辺見 庸

私たちは「テロ」を知らない

 「死の覚悟求めて止まず花の雨」。生前刊行されたものとしては最後の句集『残(のこん)の月』の一句である。「花の雨」は、桜を打つ雨。獄中の大道寺将司はそれをみたわけではない。心の花を雨で散らせ、みずからに課した死を、くりかえしなぞったのだ。逮捕から約40年、獄中での自責と悔恨、死のシミュレーシヨンは、かれの日課だった。つまり、かれは想念で毎日くりかえし死んでいた。
 大罪はむろん大罪である。大道寺がいくら詫びてたとて、獄死したとて、事件の被害者はよみがえらない。遺族は救われない。
 その酷烈な諸事実の間の、気がとおくなるほどの距離に、しかし、なにもまなばないとしたら、40余年の時間とおびただしい死傷者は空しいムダにしかならない。

 若い人びとはおそらく知るまい。一見はげしく対立するはずの、ヒューマニズムとテロリズムの二点をむすぶ線分は、おどろくべきことに、かつて、それほどに長いものではなかったのだ。直線的な理想主義とそれを根拠とする憤激が、あるとき短絡し、おぞましい殺りくを結果した例は、1970年代の連続企業爆破事件にとどまらない。連合赤軍事件も内ゲバ事件も、生まれついての暴力分子の手になるものではなく、まことに逆説的で皮肉なことには、もともと過剰なほど真剣に理想をとなえるものたちの所業だったのである。
 おもえば、ロシア革命も中国革命も、気だかい理想と凄惨な暴力が織りなした、善とも悪とも結論しがたい端倪すべからざる歴史の突出であった。いくつもの曲折をへたいま、この国では、公権力を執拗に批判し、理想を言いつのることが危険視され、ばあいによっては「共謀罪」の要件になりかねないというのだから、歴史の逆流はとどまるところをしらない。
 先達の思想家によれば、あらゆる時代には、その時代を象徴する「暗い死のかたち」があるという。いまはどうか。目にはそれとみえないながらも、「全民的な精神の死」のかたちが、社会の全域に、どんよりとくぐもっていはしないだろうか。言葉は口からはっする以前に複雑骨折していないか。理想主義はおしなべて「なんちやって」視されていないか。澄んだ目で堂々と「社会正義」を主張することが、反社会的活動ないし、はなはだしくは「狂気」とさえみなされてはいないか。
 これほど多くのテロを経験しながら、わたしたちはテロとはなにかを知らない。ナチスは反ナチ勢力の活動をテロとしてほしいままに弾圧した。中国を侵略した「皇軍」は、抗日ゲリラをテロリストと同等の「匪賊」とだんじて、残酷な掃蕩と処刑にあけくれた。「反テロ」が、歴史的に、悪しき体制をまもるための超法規的方便にされてきたことを忘れてはならない。

 大道寺将司が逝ったいま、二つのパラドクスが暗示するものを、わたしはじっとかんがえつづけるだろう。一つは、事件関与をのぞき、それだけをのぞき、かれが『高潔』といってよいほどの人格のもちぬしだったこと。もう一つは、連続企業爆破事件のころ、世の中はそうじて明るく、いまのように戦争とテロをリアルに予感せざるをえない空気はなかったのである。つけくわえれば、当時は、いまほどひどい政権ではなかった。われわれは今後、奇しき生を生き、奇しき死を死ぬだろう。


(追記6月6日)
 辺見さんのブログの「大道寺将司さん追悼」記事はその後も続いています。興味ある方のためにブログのアドレスを紹介しておきます。
(http://yo-hemmi.net/)
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