2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(22)

9・11同時多発テロ後の世界(4)

今回使用する辺見さんの論考の表題は「非道」である。枕には夏目漱石著『三四郎』の第2章(東京に上京したときの三四郎の驚きを描いている)から、次の一文を引用している。
世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。
けれどもそれに加わる事は出来ない。
自分の世界と、現実の世界は一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。
そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。
甚だ不安である。

 本文は「何年も前に見た」という2025年頃の世界を描いた映画の記憶から書き始めている。

 映画によれば、というより、私の朦々(もうもう)たる記憶によれば、2025年ごろ、世界はいまと一変して大動乱の最中にある。西も東も、すさまじいばかりの不況である。西欧にはおびただしい難民が押し寄せてきている。難民らはしばしば暴徒化し、兵士が機関銃を乱射して鎮圧したりしている。経済的利害をめぐり、EUと米国は、ぬきさしならぬほどの敵対関係となっている。米国はといえば、ホワイトハウスにぺんぺん草が生えっぱなしというくらいの没落ぶりで、大統領は、これまでのコーカソイド(白色人種)ではなく、人口伸び率の高いヒスパニク系から選ばれている。中国は泥沼の内戦中である。北京政府と広東だか上海だかの地方政府が軍事衝突しており、難民が週に数万単位で、海路、日本をめざしてやってくる。その日本だが、そのころには本格的に軍国主義化していて、海軍力まで動員し、難民排除の水際作戦を展開している。とにもかくにも、全編、希望の光など毫(ごう)もないという未来予測ではあった。と、ここまで書いて、やや気後れしてくる。記憶が混濁しているか、脚色されているか、どちらかではないか。あれは、やっぱり、夢だったか…・。

 辺見さんはこの映画が描く世界が実際の世界を予測していると観じ、次のように続けている。

 でも、実際の話、あと四半世紀ほどしたら、世の中はどう変わっているのだろう。米国はひきつづき世界の覇者をもって自任し、相も変わらず威張りくさって、ああしろこうしろと、各国に号令をかけているのであろうか。おそらく、そうではあるまい。これは単に私の勘でしかないのだけれども、ほぼ「2025年」の予測のとおりに、米国は見る影なく没落しているのではないだろうか。アフガニスタンに対する非道この上ない爆撃がはじまったとき、私はそう直観し、直観が当たるのを心の底から願ったことである。とまれ、米英によるアフガン爆撃は、長期にわたる世界の動乱要因を決定的にこしらへた。

 私もならず者国家アメリカのできる限り早い没落を願ってやまない。が、現状を顧みれば、単なる夢で終わりそうだ。大変悲観的な妄想が浮かんでくるが、もしかすると、アメリカの暴走が核戦争にまで突入し人類の滅亡に至るかもしれない。

 「マスコミに載らない海外記事」でアメリカによる核戦争勃発を懸念している記事に出会った。紹介しておこう。『真実は反米と化した』

 最後に、辺見さんはアメリカの「非道」ぶりを「国家テロリズム」と断じて、その怒りを激しく表出している。

 私としては、いまや、欧米の民主主義を根本から疑わざるをえない。たった一発分の金額で、飢えたアフガン難民数万人がしばらく腹いっぱい食うことができるほど高価な巡航ミサイルを、連日、何十発も、情け容赦なくぶちこむことのできる米英の"知性"をまのあたりにして、私はつよく念じた。この"知性"は一日も早く滅びたほうがいい、と。すさまじい爆撃と同時に、食糧や薬品を空中から投下した米国式の"慈愛"を見て、私は思った。ああ、なんという思い上がりであろうか。彼らは無残に人を殺すかたわら、同じ手で人命救助をすることが、人道的だとでも思っているのか。人を激しく殴りいたぶる一方で、優しくなでさすることが、人間的だとでもいうのか。このような傲慢きわまりない"慈愛"こそが、じつは、同じ種である人間への、計り知れない侮蔑であり、差別であることに、なぜ気がつかないのであろうか――と。こうした「理念の不在」も、世界の新しい動乱要因となっているのではないか。

 報復攻撃に参加している米英を中心とする金持ち列強がいま、連中の誇る精密誘導兵器を駆使して、着実になしとげていることがある。それは、テロの根絶などではさらさらなく、じつのところ、テロの育成なのだ。すなわち、理不尽な爆撃を重ねることで、アフガン住民、ひいてはイスラム世界、そして、南の貧困諸国住民の多くが心のうちにもつ「怨念(おんねん)の種子」を刺激し、次々に出芽させてしまっているということである。それらは、憎悪の人間爆弾と化して、いずれの日にか、米欧列強に(ひょっとしたら日本にも)、またぞろ不意の暴力としてぶつかってくるはずである。「不朽の自由」という名のおぞましい作戦が、日々に拡大再生産しているもの。それは、南の貧困層の北の受益者層に対する「不朽の怨み」なのであり、世界の動乱要因なのだ。

 ところで、保安官ブッシュの力説する「テロの根絶」の語感が私には気になってしかたがない。ナチズムの「最終解決」の語感となにやら怪しく響き合うのである。ブッシュという男は、テロリストというほとんど無限定の可変的概念を、自分とは異なった血をもつ、"異なった種"かなにかだと思いこんでいる節がある。反米主義者ならばだれでも、テロリストまたはその予備軍と決めつけている気配もある。そして、その"異なった種"をその信念ごと、ナチスの発想さながらに、物理的に抹殺できるものと信じているようだ。ユダヤ人はガス室で、テロリストは精密誘導兵器で、というわけか。換言すれば、「不朽の自由」作戦は、その倒錯の質において、ナチスのユダヤ人に対する「最終解決」の実践と、どこか似ているのである。この作戦の背後には、頑迷無比なシオニストたちがいるといわれているけれども、人というのは、まことに過去に学ばないものだ。

 で、この無知蒙昧にして倨傲(きょごう)の大統領閣下は、次のようなことにまったく気づくということがない。大別すると、テロリズムには、国家に対するそれと、国家によるそれがあって、自身がいま、アフガンの人々に対する紛うかたない国家テロリストの頭目となっていること、に。反国家テロリズムと国家テロリズムとでは、犯罪とその被害の規模がまるで桁ちがいであることは、いうをまたず、後者による圧倒的な殺傷が、前者の発生源ともなる。世界でもっとも富裕な国々が、よってたかって、世界でもっとも貧しい、国ともいえない国を撃つ。それこそが、最大のテロであり、未来へと引きつづく動乱要因なのである。

 えっ、冒頭の引用の意味はなにかって? すっかり、忘れていた。今回は、まあ、苦しまぎれの語呂合わせみたいなものである。でも、きょうびは、「近代人の孤独」もへちまもありはしない。「世界の動揺」を拱手(きょうしゅ)傍観している場合ではなかろう。アフガン攻撃反対の声を、精一杯上げるほかない。

 ちなみに、アメリカの「非道」を牽引しているのは「軍産複合体」と呼ばれている戦争利権屋たちであることを度々書いてきたが、上で紹介した『真実は反米と化した』では「軍治安複合体」(the military/security complex)という言葉が使われている。
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