2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(10)

物書きたちの途方もない背理(2)

 辺見さんは枕に白秋の歌を選んだ経緯から書き始めている。

 いや、なにも、あの人畜無害の「折々のうた」を真似ようというのではない。表現者とその時代のようなことを調べているうち、久しぶりに白秋に行きあたり、懐かしくなったまでのことである。結論を先に述べれば、国家や大正義を微塵も帯びない詩境のほうが、当たり前の話だが、なんだかほっとするよな、ということだ。

 懐かしい新聞連載「折々のうた」が出てきたのでちょっとふれておこう。これは詩人・大岡信さんが朝日新聞で長期間にわたり詩・短歌等を取り上げて解説をしていた連載コラム(1979年1月25日~2007年3月31日)の表題である。この大岡信さんが亡くなったことをつい先だって新聞報道で知った。亡くなられたのは2017年4月5日で、享年86歳。「ユリイカ」(1976年12月号)が大岡信特集を組んでいるので、その雑誌を取り出して懐かしんでいたのだった。

 「業さらし」を続けよう。

 こないだの選挙で権力亡者たちからいやというほど聞かされた、まことに嘘くさい大言壮語の数々が、まだ耳鳴りみたいに頭蓋に残っているせいかもしれない。息み気張って国を論じるより、そんなものどこ吹く風と、ひたぶるに個人の迷妄に生きる。人としてそのほうが好ましい気がしてくる。猫も杓子も、にわか国士よろしく政治に口角泡を飛ばす今日このごろ、たとえばの話、人生裏街道で密かにしっぽり色恋に浸かりこむなり、カトンボの性器研究のたぐいに一意専心するなりの、まったき非政治を貫くほうが、おそらく政治よりよほど根性がいるだろうけれども、いっそまっとうというものではなかろうか。といった、ひねくれた見地から、おそれ多くも、青年白秋の歌を引用してみたのである。

 さて、痩せても枯れても白秋ではある。冒頭の歌は、さっと読み流したって、技の冴えがわかる。けれど、この歌、どことなく演歌調だからか、概して高くは評価されていないようなのだ。一部の解説書などは「文学的価値に乏しい」とまで断じている。だが、文学的価値なんぞはなから信じない私は、この歌が嫌いではない。同じ『桐の花』の「哀傷篇」のなかでは、

一列(ひとつら)に手錠はめられ十二人涙ながせば鳩ぽっぽ飛ぶ」

も、哀切かつユーモラスで、思わず引きこまれる。また、歌境の深みにおいて、これら二首に負けないのは

監獄(ひとや)いでてじっと(ふる)へて()む林檎林檎さくさく身に染みわたる」

であろうか。しかしながら、三首のいずれも、とてもじやないが、褒章対象作品にはなりえない性格なのである。つまり、"非国民"的であり、いわば業さらしの歌なのだ。むしろ好ましいのは、そこである。

 牢獄だの手錠だのというから、大逆の罪か革命運動に連座するかして捕まったのかといえば、そんな恰好のいい話ではない。隣家の新聞記者夫人、松下俊子と、いまでいう「不倫」の仲となり、白秋は夫から姦通罪で訴えられ、市ヶ谷の未決監に拘束された。明治45(大正元、1912)年、歌人白秋28歳の人気絶頂のときであった。「有夫ノ婦姦通シタルトキハ二年以下ノ懲役二処ス其相姦シタル者亦同シ」という旧刑法がまかり通っていた時代である。

 二週間ぶちこまれ、示談が成立して自由の身になったものの、人気歌人のスキャンダルとして新聞で報じられ、世間の好奇の目にさらされたわけだから、白秋の落ちこみようといったらなかった。三首はそのころ詠まれた、いまふうにいえば、トホホの歌なのだ。「かなしきは」と「一列に」は、囚人用の編み笠をかぶせられ、他の囚われ人らと数珠つなぎにされて、砂利道を囚人馬車で未決監へ送られたときの情景。「監獄いでて」は、保釈後、久しぶりの自宅でひとりうずくまり、冷たいリンゴを食べたときの心境であろう。「哀傷篇」には、これら三首以外にも

「夕されば火のつくごとく君恋し命いとほしあきらめられず」

などという、なんと申しますか、フランク永井の「君恋し」みたいな、ただもうメロメロの歌もある。第一首の礫道(こいしみち)は、どうやら「恋し道」の懸詞(かけことば)みたいだし、いわれてみれば、「文学的価値」にはたしかに乏しいのかもしれない。

 しかしなあ、と私は疑るのだ。唐突だけれども、

「天皇(すめらぎ)は戦い宣(の)らしあきらけし乃ち起る大東亜戦争」
だとか

「ああ既に戦(たたかい)開くまたたくま太平洋を制圧すれば」

には、いったい、いかなる「文学的価値」があるのだろうか。なおまた、

「天(あめ)なるや、/皇御神(すめらみかみ)のきこしをす/道直(ただ)にして聖戦(みいくさ)とほる。/(中略)/国挙げて/奮ひ起つべし、/大君のみまへに死なむ/今ぞこの秋(とき)。」(「今ぞこの秋」)

などという歌に、どのような佳味があるというのか。これらは別人の詩歌ではない。功なり名を遂げた北原白秋が最晩歳、すなわち1942(昭和17)年に発表した。前者は「大東亜戦争」と題され、初出は『日本評論』。後者の、いま読めばじつに馬鹿げた歌は、ほかでもない、『サンデー毎日』(同年1月4日)に寄せられた。現在はどうか知らないが、サンデーも当時は、他誌同様に、堂々翼賛の一角を担っていたのである。

 余分なことだけれど、ここでまたチョット一言。辺見さんの著書『不服従』は「サンデー毎日」に連載された記事が元になっている。

 いうまでもなく、これらの詩歌は前年12月の太平洋戦争開戦、そして、天皇による宣戦の詔書に昂奮して綴られており、
「神怒り大いに下る冬の晴ホノルル爆撃の報爆(は)ぜたりぬ」
なんていうのもある。白秋だけじゃない、上は茂吉から下は無名歌人まで、みんながこの手の歌を詠んだのだといえば、そうなのだけれど、おいおい、「かなしきは人間のみち牢獄みち」はどこへ行ったの、と問うてみたくもなる。ちょっと、あんた、「林檎さくさく身に染みわたる」を忘れてしまったの、と。人妻に手をつけて姦通罪でブタ箱にぶちこまれるのは、業さらしかもしれないが、戦争賛歌をみんなでうたいあげるより万倍もましだ。若いこの業さらしで、いささかなりとも地獄を見たことがあるのなら、しかも、それを詠んだことさえあるのだから、口をぬぐって「国挙げて/奮いひ起つべし」なんていっちゃいけないよ、と私は思う。

 白秋を批判したいのではない。問題は、いまなのだ。景気が悪いくせに、いや、景気が悪いゆえにか、頭に血が上り、気持ちがこれまでになく怒張気味のこの国で、トホホの私的過去をかなぐり捨てて、妙に勇ましくなってしまった物書き、評論家、記者が増えている。今ぞこの秋、国挙げて奮い起つべし、みたいなことを、眼を充血させていっている。笑止千万である。俺もあんたたちも、業さらしの昔のほうが、よほどましだったのに。

 この国でものを書くということは、といま再び私は考える。そう意識しようとすまいと、戦前、戦中の物書きたちの途方もない背理と、どこか深いところで関係することを意味する、と。

 ちなみに、私は「戦前、戦中の物書きたちの途方もない背理」の記事を《『羽仁五郎の大予言』を読む》シリーズで書いている。そこには新聞や著名な物書きたちの大政翼賛ぶりの言説を取り上げている。紹介しておこう。 『終末論の時代(2):ジャーナリズムの死(2)』
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