2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(9)

物書きたちの途方もない背理(1)

 辺見さんは「業さらし」と言う表題を付して、枕には北原白秋の歌集『桐の花』の「哀傷篇」から、次の作品を引用している。

かなしきは人間のみち牢獄(ひとや)みち馬車の(きし)みてゆく礫道(こいしみち)

 本文に入る前に注を付しておこう。辺見さんが表題に用いている「業さらし」。私はこの言葉に初めて出会った。例によって広辞苑で調べてみた。
『ごう・さらし【業曝】
①前世の悪業(あくごう)の報いによって、現世で恥をさらすこと。また、その者。ごうつくばり。因果ざらし。
②人をののしっていう語。恥さらし。浄、油地獄「ヤイーめ提婆(だいば)め」浄瑠璃 女殺油地獄』

 ①は古い時代から用いられたきた本来の意味であろう。前世を信じている人などほとんどいない(と私は思っている)現在では単純に②の意味で用いられているとしてよいと思う。

 もう一つ、「哀傷篇」は白秋が姦通罪(戦後廃止されている)で告訴され、獄につながれたときの歌で成り立っている。このことについて、手元にある①「白秋詩集」(思潮社・現代詩文庫)と「北原白秋特集」を組んでいる②「ユリイカVOL.5.15(1973年刊)」を用いて予備知識を得ておくことにする。まず、①を用いて事件関係に絞った年表を作っておく。

1910(明治43)年・26歳
 9月、青山原宿へ転居。隣家の松下俊子(22)を知り、恋愛へと発展する。
1911年・27歳
 2月、京橋木挽町へ移る。
 12月、京橋新富町に移る。
1912年(大正1)年・28歳
 2月、一家と浅草聖天横町に住む。
 6月、京橋越前堀へ移る。
 7月16日、俊子が白秋のもとへ走ったため、姦通罪で告訴され、拘留される。
 同月20日、弟鉄雄の奔走によって保釈。のち300円で示談が成立。
 8月10日公判で公訴棄却放免となる。
1913年・29歳
 1月、自殺を思いつめ、海路三崎へ渡る。同月、処女歌集『桐の花』を刊行。
 4月、俊子と再会し、結婚。
 5月、一家をあげて三崎向ヶ崎の通称異入館へ移る。
1914年・30歳
 2月、妻俊子の病気療養のために小笠原父島へ渡る。
 7月、帰京し、麻布坂下町に一家と同居、俊子と離別。
(松下俊子は1954年に死去。66歳だった。白秋は1916年5月、江口章子と結婚している。1942年11月2日に死去。58歳だった。)

 ②に「北原白秋の復権」と題する共同討議記録がある。参加者は吉本隆明・鮎川信夫・大岡信・山本太郎・入沢康夫。この記事から白秋の姦通罪事件を論じている部分を転載しよう。
著者 (著)

吉本
 それで、プライベートにわたって申し訳ないですけど、その事件で、けっきょく成就したわけですか、恋愛は。
入沢
 結婚したわけでしょう。
山本
 ちゃんと入籍までしたわけです。ぼくは母親から聞いた細かい話がいろいろあるけども、いいのかね、そんな話しして(笑)。
大岡
 藪田さんの評伝で、かなり詳しいことまで出てきたね。(管理人注:藪田義雄著『評伝北原白秋』のこと)
山本
 あれはそういう意味では非常に貴重なもので、今まで揣摩臆測(管理人注:しまおくそく:あて推量)みたいなかたちで語られていたり、興味本位で扱われたものへの正しい指針になるものです。なにしろ長い間、身じかにいた人が、更に色々しらべて正確に書いた労作だからね。
大岡
 読んでみると「姦通事件」という、そういうことばで感じるようなものじゃないですね、ぜんぜん。ものすごく初なものですよ、若いしね、隣家の亭主の新聞記者がちょっと性格異常みたいな男でね、その若妻に同情しちゃうわけね。その若妻がまた非常にコケットなんで、白秋は青年の純情な気持で同情しているうちに、だんだん二人の気持が近寄っていく。そういうかたちになっているから、姦通事件というような、そういうことばでね……。
鮎川
 いや、それは戦前のことばさ。 入沢
 姦通罪があったときのね。
吉本
 いや、ぼくもそう思いますよ、よくないって。訂正してもいいくらいよくないですよ。恋愛事件だ。
山本
 まあ、「いわゆる姦通事件」でいいですけどね、白秋自身に小笠原の小品とか、いわゆる詩作、歌作以外の文章があるわけですが、そういうもののなかで、ぼくは結婚するまで神に誓って肉体関係は結ばなかったと、はっきり書いていますよ。ただしかし問題はそれが成就はしたんだけれども、同情が愛情というものへ変貌した事に気づいた時にハタンがうまれる。白秋はつねに受け身なんだ な、ある意味では。ぼくの聞く限りでは、その女性は白系露人みたいに大柄な女性で、顔もちょっとエキゾチックな人で、エキセントリックな性格の持ち主ではあったらしい。ちょうど三崎へ北原家が没落して落ちのびたときと重なったわけですよ。すべていちどきに若い白秋の身の上に重たいものがドサーッとやってきた状態だから、傷も深かった筈ですよ。ところが三崎では白秋自身は生活のことはなにもしないわけだ。どうも白秋のそういう、詩作三昧ってところが(祖父さん祖母さんや、ほかの叔父たちの話を総合するとエゴイズムだが)ぼくにはえらかったと思える点でもありますね。白秋は離れ座敷で彼女と二人で閉じ籠もったまま詩を書いとる……なんかしとるんだな。父親が怒って回り縁を下駄でガタガタさせながら、「隆吉(白秋の本名)出てこいッ」というようなことをいって怒鳴る。そういう連日なんだね。そういう連日のなかで作品を書いていたわけでしょう。破産した北原家は金がなくて少し持ってきた小判があるから、それを金に替えて生活していたらしいですね。魚の仲買業をやっては騙され……それは後にアルスの社長になった弟の鉄雄さんと白秋の父親と、二人でやるわけですけど、まあ武士の商法というか素人商売でどっちみちうまくいかない。それでみんなはまた東京へ引揚げるということで、白秋たちだけが二人三崎に残った。で、なおかつ今度は、そこにもいれなくなって小笠原に行くわけですよ。小笠原に行けば完全な孤独な状態になるのはわかりきっている。二人は対面せざるをえないわけですよ、ひとりの女とひとりの男が。「シンジツニ人ハ遣瀬ナシ/シンジツー人ハ堪ヘガタシ」(最尾に全文を①から転載しておきます)つてことになるわけよ(笑)。その上奥さんのほうは胸が悪くなったりするわけでね。今から考えてもすごい孤島だけど、その頃は文字通り鳥も通わぬ離れ島だったに違いないんでね。よくもあんなとこまでいっちゃったと思うんだけど、で、奥さんのほうが先に帰ってきちゃう。つまり事実上の離婚ですよ。
大岡
 けっきょく、白秋は責任とったかたちで結婚したわけでしょう。社会的な責任をね。
山本
 そういうことになるね。そしてむしろ彼女のほうが逃げ出したというかたちになる。
大岡
 生活に耐えられなくなってね。
山本
 だから小笠原での詩文というのは、ぼくはよく読むと非常に面白いと思うんだ。
(以下略)

詩集『白銀之独楽』所収の「他ト我」
 二人デ居タレドマダ淋シ、
 一人ニナツタラナホ淋シ、
 シンジツニ人ハ遺瀬(ヤルセ)ナシ、
 シンジツー人ハ堪ヘガタシ。

 大分前置きが長くなってしまった。次回から辺見さんの本文を読んでいこう。
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