2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(5)

「君が代」問題(2)

 前回引用した辺見さんの論説は次のように続いている。

 翻(ひるがえ)って、象徴天皇制下にして不敬罪もないはずのいま、八木英三先生のような教員が、ほぼ絶滅しかかっているのはなぜなのだろう。それどころではない、1999年の「国旗・国歌法」採択以来、学校では現行憲法がうたう「良心の自由」など、事実上否定されているに等しいではないか。新聞やテレビではあまり詳しく報じられていないけれども、入学式や卒業式での日の丸掲揚や「君が代」斉唱に逆らう教職員らが、このところ多数処分されている。胸に抗議のリボンをつけただけで、地方公務員法の職務専念規定違反だとして戒告されたりしてもいる。そればかりではない。マークシート方式で日の丸・君が代に対する教員らの意識調査というより思想チェックをやってみたり、一部には陰湿きわまりない監視までなされている。

 これに加えて、小中学校で2週間、高等学校で1ヵ月間の奉仕活動を行い、やがて満18歳の国民すべてに1年程度の奉仕活動を義務づけるといった、「教育改革国民会議」の提案も、現場教員らのとまどいのもとになっているという。さらには、中曽根元首相や「新しい歴史教科書をつくる会」などがしきりに唱える「公の観念」の発揚なども、教育現場への精神的圧力になっている。復古調の教育指針を押しつける側にも、それに抗う側にも、心の閉塞はあっても、どうやらユーモアもヘチマもありはしないようなのだ。

 さて、どうだろう、2001年のせんせいたちも、八木先生にならい、「君が代」じゃないぞ、「我が代は千代に八千代に」だぞと、教室でもいい、職員会議でもいい、敢然といい放ってみたら。そこて盛り上がれば、「わあがよおはー」とみんなでうたうも結構、うたわぬも結構。それだけのことで、もしも、いちいち処分がでるとするならば、この国は90数年前と同じということではないか。思えば、教育への強権的な干渉者たちは「オッペルと象」のオッペルに似てきている。"象"にはオッペルを踏みつぶす力もないのだけれども。

 「マークシート方式で日の丸・君が代に対する教員らの意識調査」が行なわれていたとは知らなかった。こんな憲法違反の調査は全員で拒否してしかるべきだ。

 また、「奉仕活動の義務づけ」の目論見は「自衛隊への入隊体験」にまで拡大される危険をはらんでいる。まさにこの国の支配者どもはオッペルである。

 ちなみに、青空文庫では宮沢賢治の全ての作品を読むことが出来る。「オッペルと象」を紹介しておこう。
『オツベルと象』

 さて、辺見さんがここで「オッペルと象」を引き合いに出したのは何故だろう。私の蔵書の中に『宮沢賢治童話集1』(中央公論社版 「オッペルと象」「注文の多い料理や」を所収、宇野重吉・米倉斉加年の朗読レコード付)がある。ここから賢治がこの寓話に込めた思いを読み解いている堀尾青史さんの解説を転載しておこう。

 本巻1の二篇は、非道なブルジョアジーに対する怒りと抵抗を宗教的郷土的情念でファンタジー化した作品で、構想、表現の秀抜なこと、子どもの興味をひきつけることで広く知られている。

 「オッペルと象」は牛飼いが話すスタイルなので、七五調を主体の韻文形式になっており、語り聞かせというこのレコードの目的にもってこいの作品だ。

 オッペルはマニュファクチュア初期資本主義の、特に地主タイプのたいしたものとしてあらわれる。(もちろんこれが反語的な意味だということはあとでわかるが。)このオッペルは、白象を労働力としてとりこむためにブリキの時計や紙の靴のアクセサリーをやり、にげないように四百キロの分銅をくさりでつなぎ、はじめは十把のわらを与え、つぎつぎと減らしていく一方、仕事は税金が高いといってどんどん量をふやし、結局動けなくなるまで働かせてゆく。このあたり、資本家の搾取ぶりをこれほど判りよく書いた童話はまたと無い。

 白象には賢治の労働観があらわれている。労働はもともと本能であり苦痛ではなかった。原始人には遊戯とひとしく享楽でもあった。ところが人間が人間を支配し、労働者が人間性を犠牲にして生産に仕えざるを得なくなると苦痛となる。白象が労働本能を利用され徹底的に搾取され死に到ろうとしたとき、圧迫者であるオッペルは否定されねばならず、それには集団の力しかないと考えられる。そしてここでは象の仲間がまっ黒に吠えて沙羅の木の山を下り、オッペルのピストルの玉をはね返し、くしゃくしゃに踏みつぶしてしまう。このあたりの描写はすさまじいエネルギーの奔騰であるし、一切の存在に仏性を見て愛憐止むことのなかった賢治が一片の同情すら与えていないのも見のがせない。

 が、これで解決したのではない。助けられた白象はなぜかさびしく笑う。力による力の否定はやむを得ないかもしれない。が、白象はさびしい。労働がそれ自身善となる世界を考えるモリスやトルストイ、無抵抗の平和を訴えるガンジイなどを下敷きとし、世界全体幸福にならないうちは個人の幸福はないといい、無償の行為に生涯を終えた賢治の世界観が白象に表徴されていて、現実とのひずみに嘆かう。農民が仲間として組みこまれていないのも白象の生き方を原点とした作品だからである。

 この作品はのんのんのんといった擬態語、雑巾ほどあるオムレツといった形容詞が豊富である。最後の「おや、君、川へはいっちゃいけないったら」は牛飼いが語り了え、聞き手がわかれて川へ入ろうとするのを止めたのだが、これが何の意味かよく判らないとたずねられる。この不明の聞き手であり書き手である人物は、「風の又三郎」の中で子どもたちに「あんまり水をにごすなよ、いつでもせんせいうでないか」とはやされて川へ入るのを止めた洋服にわらじばき、手にステッキみたいなもの(多分ピッケル)をもった不明の人物を思い出させる。すぐ川へ入りたがるのは稗貫郡土性調査で「渓流に腰まで浸って」(書簡53番)石の標本さがしに夢中だった賢治のくせで、ここにもチョッピリ登場させているのをわたくしは笑ってしまう。

 テーマとはいささか逸脱するが、「無償の行為に生涯を終えた賢治の世界観」で思い出したことがある。次の過去記事を紹介しておこう。


「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(1)』 ~  「ほんとうの考え・うその考え」―宮沢賢治の実験(8)』

 もう一つ、「オツベルと象」「オッペルと象」の二通りの表題が使われているが、私はオツベルには初めて出会った。ネットで調べたら、「宮沢賢治の作品のオツベルと象は、本当は、オツベルなの?それともオッペルなの?」という質問をしている方がいて、それに次のような回答が寄せられていた。紹介しておきます。

 「オツベルと象」は、雑誌『月曜』の大正15年1月の創刊号に掲載されたものが初出です。
 「オッペル」と書かれたものの初出は、その同月、大正15年1月29日付『中央新聞』夕刊の中での評論にあった、「宮沢賢治氏の『オッペルと象』は全くすばらしい読物だ。」という一文。

 賢治の死後、賢治全集の編集時に「オッペル」という誤記があったことから長く「オッペルと象」のタイトルで広まったのですが、そのミスの指摘があってそれ以降は「オツベル」に変更されています。

 生前に発表された作品であり賢治本人がこの掲載時の「オツベル」という表記に異議を示した記録もないため本人が容認している形になるとみなされ、現在では「オツベル」が正しいタイトルとされています。
 死の寸前まで自分の作品の推敲重ね続けたことで知られる賢治ですが、この「オツベルと象」の草稿は残されておらず、雑誌初出時のものが「原本」の扱いになっています。

 ただ、「オッペル」とされていた時期が長いためにこの表記を支持する人も少なくなく、絵本などで出版する上であえて「オッペルと象」としている本も見受けられます。

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