2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
永遠の不服従のために(3)

ジャーナリズムの死

 今回から『不服従』を読んでいこう。
 冒頭の記事は「裏切りの季節」と題して、枕に丸山眞男の『自己内対話』から次の一文を引用している。
「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる。テーマは改憲問題。」

 辺見さんは、この一文の解釈を端緒にして、マスコミのていたらくぶりを摘出している。その批判の核心を紫陽花(アジサイ)に対する辺見さん特有の思いを比喩に用いていて面白くかつ奥深い論説となっている。その全文を転載しよう。

 アジサイは嫌いでないけれども、アジサイを見ていると、いつもなんだか不安になる。幾百もの手まり形の花が咲き群れる景色は、先に跳ねる色のしぶきで、目の玉も脳髄も青く染まってしまいそうなほど、妖しく美しい。だが、本音をいうと、いずれも青ざめた、たくさんの生首たちが一堂に会して、ざわざわとよからぬことを話しているようにも、あれは見える。そんな描写をいつかなにかで読んだからそう思うのか。東京・荒川区の小塚原の刑場跡近くに長く住んだ経験が、そう意識させるのか。わからない。ただ、アジサイを内心どこかで忌み、警戒する年来の癖が、このところ高じている。

 「転向」についての丸山眞男のメモを読んだとき、ふと生首、いやアジサイを思った。とくに、ガクアジサイ。白色だったはずが、いつの間にやら紫色になって、群れて騒いでいる。でも、ガクアジサイたちも、それを見るわれわれも、変色に心づくのは、ごく稀である。やっかいなのは、そのこと。無意識の、はっきりした痛覚もない変身であり変心なのだ。それがいま、この国の湿土のほうぼうで生じつつある。いわば、空前の「裏切りの季節」にわれわれは生きているのではないか。

 歴史が重大な岐路にさしかかると、群れなす変節の先陣を切るのは、いつも新聞なのだと、丸山はいささかの怒りと軽蔑をこめて記したのである。改憲問題とあるから、いまのことかと錯覚しそうだが、丸山逝ってはや五年目の夏だから、さにあらず。丸山眞男は自社55年体制発足の翌年の手帳に、すでにしてこれらの言葉を書きつけていたのだ。

 彼はなにをきっかけにこんなメモを残したのだろうか。以下は私の想像と付会である。

 1956年、鳩山首相が国会で現行憲法への否定的考えを明言し、
「飛行基地を粉砕しなければわが国の防衛ができないという場合には、その基地を侵略してもよい(後に「侵略」という言葉だけを訂正)」
などとぶちあげて審議がストップした。自民党の「解釈改憲」戦術の嚆矢(こうし)ともいわれるとんでもない暴言事件だが、新聞各紙の論調は、むろん、いまよりはよほど政府に対して厳しいものであった。丸山はそれでも、でたらめな解釈改憲を許す一部新聞論調に、背理と「転向」のにおいを嗅いだということなのかもしれない。

 新聞の「転向」に関するこのメモの前に、丸山は米国の哲学者・詩人ジョージ・サンタヤーナの言葉を、英文で同じ手帳に記している。訳せば、
「過去に学ばぬ者は、それ(過ち)を繰り返すよう運命づけられる」。
 過去とは、いわずもがな、戦前・戦中のことである。ジャーナリズムとは過去に学ばないものだ、という丸山の嘆息が聞こえてくる。2001年のジャーナリズムは、しかし、もっと学んでいない、と私は確信する。すなわち、このアフォリズムのとおりに、重大な過ちを繰り返しつつある。権力をチェックするのでなく、権力を翼賛する古くて新しい過ちを。解釈改憲も改憲そのものの動きも、いまや56年当時とは比べものにならないくらいに拡大し、加速もしている。ジャーナリズムの抵抗の水位は、だが、戦後例を見ないほど低い。

 にしても、記者風情がまがりなりにも「知識人」の範躊に入れられ、赫々たる学績の主によって、「転向」などという奥深い思想の言葉で難じてもらえたのだから、50年代の記者はまだ幸せみたいなものではあった。基軸になる思想(土性骨でもいい)がもともとない者たちには、「転向」などしたくてもできないのである。それこそが、いまという不幸な時代のマスメディアのありようであろう。「転向」も「非転向」も廉恥もなく、裏切りもまた自他ともに感知されない。哀れといえば哀れ、惨めといえば、人としてこれほど惨めなことはない。激突などさらになく、論点も徐々に溶解し、無と化してしまう。表面、穏やかなこのなりゆきこそ、新しい時代のファシズムの特徴のひとつだと私は思う。

 アジサイ話に戻れば、変色を常とするのはなにもガクアジサイにかぎるわけではなく、土壌の酸性度によっては他の種類でも花色が変化するのだそうだ。「酸性度が高くなると鉄およびアルミニウムが多く溶け出し、ことにアルミニウムが吸収されると花色は青色が強くなる。逆の場合は桃色が強く出る」(『世界有用植物事典』)。ああそうか、変色のわけをアジサイ本体に求めるのでなく、土質のせいにすることもできるのだ。

 世間の多数が小泉内閣に歓呼の声をあげている。あからさまな弱者切り捨て政策に、己が排除されようとしているにもかかわらず、どう勘ちがいしてか、決して強者ではない層までもが賛成している。共産党支持層の七割もが小泉内閣支持という、絶句するほかない調査結果もでた。ひとつの芝居が、もはや喜劇の域を越えて悲劇に変じつつある。メディアは、ここは敢えて花色を変えず、時代の病理を執拗に摘出すべきなのだが、反対に、時代とどこまでも淫らなチークダンスを踊るばかりなのである。民衆意識という社会的土壌の酸性度が異常に高くなったことにたやすく応じて、そこに咲き狂うアジサイならぬマスメディアの徒花(あだばな)が、ためらいもなく、いみじき変色をしてしまったというわけだ。

 きょうびのこの国は、けだし、満目(まんもく)不気味な背理の風景ばかりではある。マスコミだけではない。政党が党員を、労働組合が組合員を、宗教団体が宗徒を、教員が生徒を、司法が憲法を、弁護士が被告人を、言葉が現実を、歴史学者が歴史を、哲学者が自身を、それと意識せずに裏切りつづけ、かと思えば、関係が転倒し、逆に裏切られつづけてもいる。

 50年代と変わらないのは、たぶん、メディアの寵児たちの、妙に自信たっぶりで不遜な口吻(こうふん)であろう。そして、いまも昔も、時代と和解的な評論家や学者たちは、みずからの変節にまったく臆するということがない。アジサイの花言葉も、そういえば、「高慢」であった。問題は、裏切りの花たちの花期だ。それが果てたなら、いったいどんな風景が立ち上がるのだろうか。

 「ジャーナリズムの死」を推し進めているのは、いま流行語になっている言葉で言えば、支配階級への忖度である。もう一つ、右翼団体による暴力を伴った脅しも指摘しておきたい。私は《『羽仁五郎の大予言』を読む》で連載した「ジャーナリズムの死」の(7)から~(13)で「戦後の言論弾圧」を取り上げている。『ジャーナリズムの死(7):戦後の言論弾圧(1)』

の冒頭部分を転載しておこう。

 大日本帝国時代の言論弾圧の悪法の親玉「治安維持法」は敗戦直後の1945年10月15日にGHQの命令により廃止された。また同時に、その法律による弾圧先鋒をになった冷酷な執行者「特別高等警察」も解散を命じられた。さらに、新聞・書籍に対する弾圧法(新聞紙法・出版法)も1949年5月24年に廃止された。

 では、敗戦後の日本国では言論は自由になったのか。否否、大日本帝国の弾圧法はなくなったが、GHQによる弾圧が行われている。当初は占領政策の批判や軍国主義的な発言に対する検閲,統制を実施していたが、冷戦が本格的になってきた1950年以降は共産主義に対する弾圧(レッドパージ)が徹底された。レッドパージは7月28日には新聞・通信・放送にまで及んでいる。そして、GHQによる事前検閲や事後検閲は6年8ヵ月にわたる占領期間を通して行われた。

 では、サンフランシスコ講和条約が発効(1952年4月28日)し、主権が回復した以降の新生日本における言論の自由はどのようであっただろうか。新聞法や出版法のような政治権力によるあからさまな弾圧法は作られなかったが、政治権力による脅しや懐柔策は時に応じて行使され続けてきた。この手の言論弾圧は現在のアベコベ政権や自民党に限ったことではない。もう一つ、右翼による暴力をともなった脅しも挙げておくべきだろう。右翼の脅しは自民党政権の言論弾圧の先鋒役を果たしている。その結果、一部のジャーナリズムは「政治的中立」というまやかしの大義名分を身にまとって、萎縮し続けてきた。

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