2006年9月4日 ホームページ『「日の丸・君が代の強制」と闘う人たちと勝手に連帯するレジスタンスの会』からの引越し完了しました。
領土領海ナショナリズム(5)

 本道に戻ろう。
(「両岸論」74号と76号を用います。)

 これまで、「アベコベ軽薄姑息うそつきカルト」政権が数々の悪政にもかかわらず、支持され続ける要因は、中国脅威論に代表される「排外主義」と、その裏表の関係にある「日本ホメ」であることを明らかにしてきた。では、前回の「本音のコラム」で山口さんが「世の中をますます息苦しいものにしようとする動きと戦う時である」と言っていたが、この閉塞状況を克服する道はどこにあるのだろうか。これが今回のテーマである。

閉塞状況を克服する道

 中国脅威論をさらに補強する手立てとして、中国の軍事費の伸びが取り上げられる。中国の軍事費が毎年約10%増の高い伸びを示していることからマスゴミは「膨張する国防費の透明性を求める声が国際社会から改めて高まるのは必至」と、軍事予算発表のたびに書く。記事を繰り返し読まされれば、読者の頭に中国脅威のイメージが刷り込まれるのは容易に想像できる。

 岡田さんは軍事費膨張の問題は「GDP成長率など中国の国力全体の発展と併せて考察すべき」と主張する村田忠禧(横浜国立大名誉教授)さんの論考「データに基づく『中国脅威論』批判」を取り上げている。村田さんはストックホルム国際平和研究所のデータを用いて論を進めているが、次のようなデータを示して、「軍事費膨張」を脅威の根拠にするのを戒めている。


 中国の軍事費は1990年から2014年までに21倍になったが、同時期のGDP増加は26倍で、軍事費だけが突出しているわけではない

 一人当たりの軍事費でみると、2014年の米国は1.891ドル、日本は360ドルなのに、中国は155ドルに過ぎない。

 こうした事実を無視して、中国の軍事費膨張の「意図」については、米国を中心に
「中国が南シナ海を2030年までに中国の湖にしようとしている」(米戦略国際問題研究所)
という見立てが幅をきかせている。

(注:「米戦略国際問題研究所(CSIS)」は日本をアメリカの属国にし続けるためのとんでもない謀略機関である。要点を分かり易くまとめているブログ記事を紹介しておきます。『米戦略国際問題研究所は対日謀略の指令塔』

 これに対して、岡田さんは次のように批判している。

『では現在は、米国の「湖」と言うのだろうか。南シナ海は「米国の湖」でも「中国の湖」でもない。主としてそこを生活圏にする人々の共有財産である。冷戦時に構築した東アジアの勢力地図は既得権益かもしれないが、「永遠の正義」ではない。正義と見做すからこそ、中国に「勢力圏を奪われる」という被害者的な発想が生まれる。』

 私は上の岡田さんの主張と同意のことを書いていた。《『羽仁五郎の大予言』を読む》(7)で、「国家を開く」という吉本隆明さんの論説を読んで、私は次のように書いた。
『吉本さんが北方領土について述べていることは尖閣諸島についても敷衍できる。それは国家のものではなく、地域住民のものである。その周辺を漁場としている地域住民たちの自己管理に任せればよい。これまでの「棚上げ」という暗黙の合意をそこまで深めることが最も重要な課題だと思う。』

 基本的理念としてはこの方向にこそ閉塞状況を克服する道があると思う。岡田さんの論考を読んでみよう。

 閉塞状況を嘆いているばかりでは、埒はあかない。日本の近代化と歴史認識を踏まえながら東アジアの未来像を展望し、領土紛争からの出口を摸索する講演を紹介したい。

 西原春夫・元早稲田大学総長(アジア平和貢献センター理事長)が、「北東アジア研究交流ネットワーク」(NEASE-Net)主催の国際シンポジウム(2016年10月1日)で行った「“未来”の中にしか解決の道は見つからない」と題した講演である。

 彼の専門は刑法だが、法哲学的思考から論じる国際政治の分析は定評がある。西原はまず、南沙諸島の領有をめぐる7月の仲裁裁判所裁定について「仲裁とはうまく物事を解決して戦争にならないようにするためだが、むしろ問題を悪化させた」とし、国際司法制度には欠陥が多いと批判した。

 興味深いのは、紛争処理が成功しない理由を「現状を前提にした」ことに求める視点である。領有権紛争で、対立する主張(現状)を並べ正義争い(「どちらのものか」という問題設定)をしても紛争の解決にはならない。だから「解決の前提を現状から未来へ移すほかはない」と提言する。ここがミソだ。今は見えない将来を現在に引き寄せる想像力と言ってもよいだろう。具体的に言えば、領有権の主張を「棚上げ」して、東アジアの「将来的な秩序」(「アジア共同体」や「アジア合衆国」)の中に解決策を見出そうというのである。

 さらに彼は「歴史には法則性がある」と指摘しつつ、法則的な出来事すべてが歴史の「本流」ではなく、「逆流」もあることを見極める必要を強調する。そして、世界的なナショナリズムの潮流を「行き過ぎたグローバリズムへの一時的抵抗」と分析する一方で、国境の壁が低くなる潮流は科学技術の発展に伴う必然とみる。トッドの言う「国家への回帰」ではなく、グローバル化は不可逆的な「本流」と見做す。浜矩子・同志社大教授は「ヒト、モノ、カネが国境を超えることが、それ自体として、一義的に格差と貧困の拡大をもたらすとはいえない。問題は、そうした経済活動の越境的拡散に対して、国々の政策がどう対処するかということだ」(「AERA」10月3日号)という指摘は、「本流」と「逆流」の関係をうまく説明している。

(注:)

 (<トッドの言う「国家への回帰」>以降が分かりにくいが、「両岸論 71号で論じていた次の議論を引き継いで書かれている。)

 排外主義的なナショナリズムの背景はなんだろうか。フランスの歴史学者エマニュエル・トッドは、米国が推し進めてきたグローバル化の下での新自由主義が、経済格差と社会の階層化を加速させたことに、人々が耐えられなくなったからだと説く。そして「グローバル化の終焉が近づいている。~中略~国家への回帰だ」(「朝日」10月4日朝刊)と断じる。

 新自由主義とは「小さな政府」「規制緩和」「市場原理」「民営化」を世界中に拡大し「米国主導の資本主義を押し広げようとする動き」(丹羽宇一郎「財界だって格差社会はノー」文芸春秋07年3月号)であり、それが人と社会を窒息させる背景だ。典型が環太平洋パートナーシップ(TPP)である。TPPに賛成したヒラリー・クリントンが、米大統領選が始まると反対の姿勢に転じたのは、新自由主義に対する有権者の視線が厳しいからに他ならない。

 しかしトッドの主張には肯けない部分がある。新自由主義を推し進めるのは「グローバリズム」というイデオロギーである。新自由主義が終わっても「ヒト、モノ、カネ」が国境を超えて移動するグローバル化(グローバリゼーション)が止まるわけではない。不可逆的な「グローバル化」(中国語で「全球化」)と国家を、二択的な対立概念として据えるのは正しくない。「終焉が近づいている」のは「グローバリズム」と言い換えるべきではないか。

 西原は最後に、地域的な超国家組織の形成を「歴史の本流」と見做し、「東アジア共同体」はいずれ「東アジア合衆国」へと発展していき、「合衆国になれば現在の領土問題はなくなる」と展望する。尖閣紛争について筆者は以前から、日本、台湾、中国の3地方自治体による「平和特区」が「共同管理・開発」することによって、国家主権を相対化すべきと説いてきた。これもまた「地域的な超国家組織」のひとつである。いまほどナショナリズムを自覚し、乗り越える道を摸索する必要な時代はない。

 「地域的な超国家組織」については、岡田さんは最新の「両岸論 76号」(2017.03.06)で詳しく再論している。次回はそれを読むことにする。
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